参考資料2053 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

伝道の書 その14
「1 わたしはこのすべての事に心を用いて、このすべての事を明らかにしようとした。すなわち正しい者と賢い者、および彼らのわざが、神の手にあることを明らかにしようとした。愛するか憎むかは人にはわからない。彼らの前にあるすべてのことは空である。
2 すべての人に臨むところは、みな同様である。正しい者にも正しくない者にも、善良な者にも悪い者にも、清い者にも汚れた者にも、犠牲をささげる者にも、犠牲をささげない者にも、その臨むところは同様である。善良な人も罪びとも異なることはない。誓いをなす者も、誓いをなすことを恐れる者も異なることはない。
3 すべての人に同一に臨むのは、日の下に行われるすべての事のうちの悪事である。また人の心は悪に満ち、その生きている間は、狂気がその心のうちにあり、その後は死者のもとに行くのである。
4 すべて生ける者に連なる者には望みがある。生ける犬は、死せるししにまさるからである。
5 生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。
6 その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。
7 あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざをよみせられたからである。」
旧約聖書「伝道の書」第9章1節~7節

感想
ところで、以前にソロモンは凡夫だが、書いた事はシンクロニシティーを起こす可能性があると述べた。一応、その根拠は、

「一説には神から知恵(指輪)を授かった、もしくはユダヤ教の秘儀カバラが記された『ラジエルの書』を託されたとも言われ、多くの天使や悪魔を使役したとされる。またソロモンの指輪という指輪をはめて動物や植物との会話もしたという。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ソロモン#生涯

とあり、天使や悪魔と交流があった可能性があるからである。

「しかしそのような予言は、永遠不変の至高の支配力であった聖霊の口から生じました。天上と共に結合された(支配力)。その多数の中のある人達が重大で驚嘆すべき出来事を予言しました。その場所での私、私はそのような称号を全く我が物としません。とんでもない、私は全ては神から来るという事をきちんと告白します。そして(私は)彼に神の恩恵、名誉、そして不滅の功績を返します。」 
「アンリ二世の手紙」の一部

ノストラダムスも神や聖霊と交流があった選ばれし者と考えている。そこで、「伝道の書」もシンクロニシティーを起こす可能性があるとして解釈する。

>1 わたしはこのすべての事に心を用いて、このすべての事を明らかにしようとした。すなわち正しい者と賢い者、および彼らのわざが、神の手にあることを明らかにしようとした。愛するか憎むかは人にはわからない。彼らの前にあるすべてのことは空である。
2 すべての人に臨むところは、みな同様である。正しい者にも正しくない者にも、善良な者にも悪い者にも、清い者にも汚れた者にも、犠牲をささげる者にも、犠牲をささげない者にも、その臨むところは同様である。善良な人も罪びとも異なることはない。誓いをなす者も、誓いをなすことを恐れる者も異なることはない。

新共同訳では、

「09:01わたしは心を尽くして次のようなことを明らかにした。すなわち
善人、賢人、そして彼らの働きは
神の手の中にある。愛も、憎しみも、人間は知らない。人間の前にあるすべてのことは
09:02何事も同じで
同じひとつのことが善人にも悪人にも良い人にも
清い人にも不浄な人にも
いけにえをささげる人にもささげない人にも臨む。良い人に起こることが罪を犯す人にも起こり
誓いを立てる人に起こることが
誓いを恐れる人にも起こる。」

「臨むもの」は「主の日」だろう。因みに、イエスは「誓うな」と教えたが、「終わりの時」に「真理の御霊」(契約の使者)が現われたら誓っても構わないだろう。二極分化が目的なのだから。

「5:33 また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:34 しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。
5:35 また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。
5:36 また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。
5:37 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。」
「マタイによる福音書」第5章33節~37節

誓ったら、あとは忍耐あるのみである。

「13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。」
「マタイによる福音書」第24章13節~14節

「10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。
「ヨハネの黙示録」第13章10節

>3 すべての人に同一に臨むのは、日の下に行われるすべての事のうちの悪事である。また人の心は悪に満ち、その生きている間は、狂気がその心のうちにあり、その後は死者のもとに行くのである。

「09:03太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、だれにでも同じひとつのことが臨むこと、その上、生きている間、人の心は悪に満ち、思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ。」(新共同訳)

シンクロニシティーとして、「終わりの時」の事と考える。「主の日」が来て、小惑星が衝突して社会が滅茶苦茶になって「黙示録の獣」が台頭し出したら、悪の世となるだろう。

「1.第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。
2.そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。
3.その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。
4.彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
5.彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。
6.その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。
7.これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、
8.また、そのかみの毛は女のかみのようであり、その歯はししの歯のようであった。
9.また、鉄の胸当のような胸当をつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。
10.その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。
11.彼らは、底知れぬ所の使を王にいただいており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシャ語ではアポルオンと言う。」
「ヨハネの黙示録」第9章1節~11節

「いなご」が黙示録の獣一派と考えている。「地のさそりが持っているような力」は軍事力だろう。因みに、「いなご」は漢字では「蝗」で「皇帝の虫」と書く(底知れぬ所の使を王にいただいており)。
今、気付いたが、ヒトラーはこの4節からユダヤ人を大虐殺したのではないだろうか。因みに、ヒトラーは森林を保護している。https://ja.wikipedia.org/wiki/ナチズムと環境保護
念のため、表向きの理由は、

「19世紀に登場した新しいユダヤ人迫害の理由は、民族主義である。 迫害の対象が宗教ではなく、人種の問題となった。すなわち、「白人は世界で最も優秀な人種であり、ユダヤ人との混血で汚してはならない」 という結論に達したのである。ヒトラーによるユダヤ人迫害もこの理由からである。
                     (中略)
「ユダヤ人は悪魔の子」という古くからの反ユダヤ人感情と、世界恐慌以来のドイツ経済の窮乏・国民の不満が結びつき、ユダヤ人絶滅という狂信的スローガンになっていった。」
引用元:http://www.kyoritsu-wu.ac.jp/nichukou/sub/sub_gensya/history/20century/persecution_of_Jew.htm
など。

補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12435820443.html
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11985933383.html(ヒトラーは黒魔術の秘儀で転生したのだろうか。)

おまけ