参考資料2049 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

伝道の書 その12
「1 だれが知者のようになり得よう。だれが事の意義を知り得よう。人の知恵はその人の顔を輝かせ、またその粗暴な顔を変える。
2 王の命を守れ。すでに神をさして誓ったことゆえ、驚くな。
3 事が悪い時は、王の前を去れ、ためらうな。彼はすべてその好むところをなすからである。
4 王の言葉は決定的である。だれが彼に「あなたは何をするのか」と言うことができようか。
5 命令を守る者は災にあわない。知者の心は時と方法をわきまえている。
6 人の悪が彼の上に重くても、すべてのわざには時と方法がある。
7 後に起る事を知る者はない。どんな事が起るかをだれが彼に告げ得よう。
8 風をとどめる力をもつ人はない。また死の日をつかさどるものはない。戦いには免除はない。また悪はこれを行う者を救うことができない。
9 わたしはこのすべての事を見た。また日の下に行われるもろもろのわざに心を用いた。時としてはこの人が、かの人を治めて、これに害をこうむらせることがある。」
旧約聖書「伝道の書」第8章1節~9節

感想
>1 だれが知者のようになり得よう。だれが事の意義を知り得よう。人の知恵はその人の顔を輝かせ、またその粗暴な顔を変える。
2 王の命を守れ。すでに神をさして誓ったことゆえ、驚くな。

一応、新共同訳を見てみて驚いた。

「08:01「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる。」賢者のように、この言葉の解釈ができるのは誰か。
08:02それは、わたしだ。すなわち、王の言葉を守れ、神に対する誓いと同様に。」

自分(ソロモン王)の事だったのか。さすが、神から知恵を授かった者である。笑

「9 それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」。
10 ソロモンはこの事を求めたので、そのことが主のみこころにかなった。
11 そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、
12 見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。」
「列王紀上」第3章9節~12節

12節の予言は外れているね。イエスはソロモンの知恵を超えているだろう。

「12:42 南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。」
「マタイによる福音書」第12章42節

因みに、「終わりの時」に現われる「真理の御霊」(契約の使者)は「ノストラダムスの予言詩」の解釈者らしい。

「アンリ二世への手紙」の始まりと終わり(20年ぐらい前の自分の訳)
「A L'INVICTISSIME, TRES PUISSANT et Tres Chrestien Henry roy de France second Michel Nostradamus son tres-humble, et tres-obeissant serviteur et subiect, victoire et felicité.」(川尻本の原文)
「不屈でとても強力なそしてとても寛容な新たなフランスのアンリ王へ、とても取るに足りないそして従順な奉仕者で臣下であるミシェル・ノストラダムス、勝利と至福を。」

「Mais tant seulement ie vous requiers,ô Roy tré-clement,par icelle vostre singuliere et prudente humanité,d'entendre plutôt le desir de mon courage,et le souverain estude que i'ay d'obeyr à vostre serenissime Maiesté,depuis que mes yeux furent si proches de vostre splendeur solaire,que la grandeur de mon labeur n'attainct ne requiert.De Salon,ce 27 Iuin,Mil cinq cens cinquante huict.」
「おお、とても寛大な王よ、しかし唯一つだけ私はあなたに懇願します。あなたの奇抜で用心深い人間性(古典研究)によって、ある程度私の心からの願望を理解することです。そして君主は、私があなたのうららかな小春日和に従順であるという事、その後私の観察眼(見解)は、傷つかない私の労作の偉大さが必要としないあなたの太陽の栄光(繁栄)からとても近かった(似ていた)という事を研究します。サロンから1558年6月27日」
補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11512135110.html

因みに、「息子セザールへの手紙」の方も当時赤ん坊だった息子への手紙ではなく、未来の誰かに宛てた手紙だという説もある。

「では次に、ノストラダムスが『諸世紀』の序文として書いた“息子セザールへの手紙”に隠された謎の解明に挑んでみたい。
 ミッシェル・ド・ノストラダムスの最初の予言の出版は、フランス中南部のリヨンで1555年5月4日に完成された。これは序文と第四巻目が未完成の四つの100詩篇、すなわち353の四行詩から成るものである。
 ノストラダムスがこの序文を書いたのは1555年の3月1日だが、このとき、息子セザールは生後15ヵ月にも満たない赤ん坊だった。この事実はいったいなにを意味するのだろうか?さまざまな解釈がなされているなかで、いちばん信憑性があり、納得のいく解釈は、この序文はノストラダムスの実際の息子セザールに宛てられたものではなく、予言から500年後の滅亡の時代に生きる人びとに宛てられたものだという解釈である。
 つまりノストラダムスは自分の息子の名を借りて、のちの世の人びとに予言と警告を発しようとしたのである。」
「ノストラダムスの遺言書」ダニエル・ルゾー著・流智明監修より

>3 事が悪い時は、王の前を去れ、ためらうな。彼はすべてその好むところをなすからである。

新共同訳では逆だね。

「08:03気短に王の前を立ち去ろうとするな。不快なことに固執するな。王は望むままにふるまうのだから。」

普通に解釈すれば、新共同訳の方が正しいだろう。ただし、「王」を未来の「真理の御霊」(契約の使者)と考えると、口語訳の方も教訓だろう。(「真理の御霊」は「裁く人」らしいから。)

「24 わがしもべダビデは彼らの王となる。彼らすべての者のために、ひとりの牧者が立つ。彼らはわがおきてに歩み、わが定めを守って行う。
25 彼らはわがしもべヤコブに、わたしが与えた地に住む。これはあなたがたの先祖の住んだ所である。そこに彼らと、その子らと、その子孫とが永遠に住み、わがしもべダビデが、永遠に彼らの君となる。
26 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らの永遠の契約となる。わたしは彼らを祝福し、彼らをふやし、わが聖所を永遠に彼らの中に置く。
27 わがすみかは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわが民となる。
28 そしてわが聖所が永遠に、彼らのうちにあるようになるとき、諸国民は主なるわたしが、イスラエルを聖別する者であることを悟る」。」
「エゼキエル書」第37章24節~28節

「23 わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。彼は彼らを養う。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。
24 主なるわたしは彼らの神となり、わがしもべダビデは彼らのうちにあって君となる。主なるわたしはこれを言う。」
「エゼキエル書」第34章23節~24節

>4 王の言葉は決定的である。だれが彼に「あなたは何をするのか」と言うことができようか。
5 命令を守る者は災にあわない。知者の心は時と方法をわきまえている。

「08:04王の言った言葉が支配する。だれも彼に指図することはできない。
08:05命令に従っていれば、不快な目に遭うことはない。賢者はふさわしい時ということを心得ている。」(新共同訳)

賢くなれという教訓だろう。現代のインチキ民主主義はわがままな人間ばかりを増やしている。https://twitter.com/MIKIcool72/status/1092824796813877248

>6 人の悪が彼の上に重くても、すべてのわざには時と方法がある。
7 後に起る事を知る者はない。どんな事が起るかをだれが彼に告げ得よう。

「08:06何事にもふさわしい時があるものだ。人間には災難のふりかかることが多いが、
08:07何事が起こるかを知ることはできない。どのように起こるかも、誰が教えてくれようか。」(新共同訳)

全く、「くら寿司」であんな事が行なわれていたなんて誰が知ろう。笑 まぁ、たまにファミレスで皿をガチャンと置かれる事もあったけどね。教育がなってないね。(上の者の責任だろう。)

>8 風をとどめる力をもつ人はない。また死の日をつかさどるものはない。戦いには免除はない。また悪はこれを行う者を救うことができない。
9 わたしはこのすべての事を見た。また日の下に行われるもろもろのわざに心を用いた。時としてはこの人が、かの人を治めて、これに害をこうむらせることがある。

「08:08人は霊を支配できない。霊を押しとどめることはできない。死の日を支配することもできない。戦争を免れる者もない。悪は悪を行う者を逃れさせはしない。
08:09わたしはこのようなことを見極め、太陽の下に起こるすべてのことを、熱心に考えた。今は、人間が人間を支配して苦しみをもたらすような時だ。」(新共同訳)

時代の流れをとどめる者はいないだろう。個人的な「死の日」は自殺すれば調整できるが、「主の日」は調整できないだろう。ハルマゲドンを免れる者はいない。善悪二元論で物事を語る事は出来ないが、善人しか携挙されないだろう。最後の1行は、インチキ民主主義が衆愚政治である事だろう。というより、社会のパワハラ問題か。

おまけ