参考資料2043 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ラプチャーこそがYHWHからの最終回答 その21
ひとりは取り去られ、ひとりは取り残される1
「いえ、待って下さい。よろこぶのはまだ早いのです。マタイ伝によれば「そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう」(24/40)と。ルカ伝によると「ふたりの女が一緒にうすを引いているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう」(17/34)と。
 本邦預言でも「獣となりて這い回る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かりてくるぞ」(日月神示)と、みな告げています。要するに、全人類がすべてこの恩典にあずかれるわけではないらしいのです(文字どおりの”確率二分の一”ではないにしても)。”全入制”ではないということです。
 これはまことに切ない事態といえましょう。なぜなら、ある日突然、あなたの親や子、夫や妻、恋人や友人が、あなたの目の前から(神隠しのように)本当に消えてしまうのです。もし、あなたの幼な子が取り去られるとしたら。もし、あなただけが取り残されるとしたら・・・・。
 考えたくない光景です。とはいえ、あなたの感情や願望で「神の計画」が変更されるわけでもありません。ならばやはりここはともに頑張るしかないのです。
「大峠の最中になったら、キリキリ舞いして助けてくれと押し寄せるなれど、そのときでは間に合わん。逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん。みな己の心であるからぞ。いまのうちに改心結構」(日月神示)。”そのときでは間に合わん・・・・どうすることもできん”。
 これは、ソロモンのソースも「準備せざる者たちは、天を見上げたまま後に残され、神がそのときでさえ自分たちをお受け入れになるよう、天に向かって泣き叫ぶが、彼らは準備ができていない。もう遅すぎるのである」(176)
「泣き叫んでももう遅すぎる・・・・それは”準備ができていない”からだといいます。なんの準備か。魂の側の準備です。「肉体の恐しさではないぞ。霊(たま)の恐さぞ。霊の戦やは見当取れまいがな」(日月神示)」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より

感想
>いえ、待って下さい。よろこぶのはまだ早いのです。

一応、先週の記事はこちら。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/day-20190127.html

>マタイ伝によれば「そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう」(24/40)と。ルカ伝によると「ふたりの女が一緒にうすを引いているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう」(17/34)と。

一応、原文を挙げておこう。

「40 そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。
41 ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。
42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」
「マタイによる福音書」第24章40節~42節

「17:34 あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
17:35 ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。〔
17:36 ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう〕」。」
「ルカによる福音書」第17章34節~36節

夫婦的な事は述べられていないので、「真理の御霊」(契約の使者)が現われて艱難辛苦を乗り越えた夫婦は、別れるか魂のレベルで絆が深まるか(ソウルメイト)で、一緒に地上に残されるか携挙されるのだろう。

「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
そして家の者が、その人の敵となるであろう。
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。」
「マタイによる福音書」第10章34節~38節

これはイエスの事だが、「真理の御霊」(契約の使者)が来るのは、二極分化のためである(ハルマゲドンの準備)。

>本邦預言でも「獣となりて這い回る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かりてくるぞ」(日月神示)と、みな告げています。

因みに、ヒトラー予言でもロボット生物と神人に分かれるね。

「ただ諸君。それでも人類はいなくなるのだ。いまの意味での人類は、そのときもういない。なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに“進化”するか、そうでなければ退化してしまっているから。
 それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは“神人”(ゴットメンシュ)と呼んでかまわない。
 残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的なロボット生物になっているのだ。」
「1999年以後」五島勉著より

>要するに、全人類がすべてこの恩典にあずかれるわけではないらしいのです(文字どおりの”確率二分の一”ではないにしても)。”全入制”ではないということです。

当然である。そこの所は、内藤正俊氏に代弁してもらおう。

「この世はあまりに腐り切っている。こんな腐った土台の上に、地上天国など築かれようはずもないのだ。この腐り果てた世の中がそのままでよいとするのは、薄汚いところに住むダニ、ゴキブリ、ウジ虫の類いである。
 かつて光輝く「神のかたち」に作られた人間は、今やたんなる「五尺五寸のクソ袋」と化している。その人間が「私は排泄物製造機」ではないと自覚することもなく、堕落するばかりで、少しも向上しようとする意思がないとすれば、これはきれいさっぱり焼き払い、消毒する以外、手の打ちようがない。」
「666の大破滅」内藤正俊著

私の予想では、1/3ぐらいが携挙されるんじゃないかな。その根拠は、

「主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。」
「ゼカリヤ書」第13章8節

>もし、あなたの幼な子が取り去られるとしたら。もし、あなただけが取り残されるとしたら・・・・。

多分、選民は幼な子は持っていないと思われる。何故なら、聖書に、

「24:19 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。」
「マタイによる福音書」第24章19節

とあり、賢い選民は準備をしておくからである。

「2.あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人(ぬすびと)が夜くるように来る。
3.人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。
4.しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
「テサロニケ人への第一の手紙」第5章2節~4節

「真理の御霊」(契約の使者)が現われて、それを信じる者には「不意に襲うことはない」のだろう。

>「大峠の最中になったら、キリキリ舞いして助けてくれと押し寄せるなれど、そのときでは間に合わん。逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん。みな己の心であるからぞ。いまのうちに改心結構」(日月神示)。
>ソロモンのソースも「準備せざる者たちは、天を見上げたまま後に残され、神がそのときでさえ自分たちをお受け入れになるよう、天に向かって泣き叫ぶが、彼らは準備ができていない。もう遅すぎるのである」(176)

「ローマは一日にしてならず」だろう。長年、ちょっとずつ積み重ねた信念じゃないと自分の体が勝手に浮くような超常現象は起きないのだろう。(イエスが引っ張り上げる訳ではないと考えている。)
因みに、前出の内藤正俊氏は面白い事を述べている。(私には疑問であるが。)

「レビ記23章22節には、
 あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈り入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。
 という記述がある。この預言に従えば、たとえ世界を焼き尽くす炎の日の後の地上という畑に落ち穂は残る。すなわちごく一部の人びとが、核戦争で焼き尽くされ、強度の放射能に汚染されたこの地上に細々と生きつづけることになる。
 彼ら、つまり焼けただれた地上に残された者たちには、信仰の「貧しい者」や「寄留者(まだキリストを信じていない異教徒)」に伝道する使命が託されている。
 だから自分がイエスの携挙に漏れたといって悲観することはない。信仰がないので取り残されたのではなく、「大迫害に耐え、伝道の使命を果たせる」と神が見たので残されたのだ。信仰が熱心だから、神の目で見て「神の用に役立つ見込みがある、迫害に耐えてその使命を果たせる」と思われたから残されたのである。」
「666の大破滅」内藤正俊著

何故、疑問かと言うと、先の「ゼカリヤ書」の前後に、

「万軍の主は言われる、「つるぎよ、立ち上がってわが牧者を攻めよ。わたしの次に立つ人を攻めよ。牧者を撃て、その羊は散る。わたしは手をかえして、小さい者どもを攻める。主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。」
旧約聖書「ゼカリヤ書」第13章7節~9節

とあり、1/3からさらに減るようだからである。内藤正俊氏とは逆である。

おまけ