ユディトという女 その1
「この話は、ふつう聖書には出ていない。しかし、ヨーロッパの古い聖書にはすべて出ていて、後世の画家や作家にもよく扱われている有名な物語だから、ここに採ってみた。
一口でいえば、ユディトはイスラエル民族の危機を救った女の英雄である。ただ、ユディトがやったという仕事は歴史上の事実ではないらしいため、いまは聖書の正典からのぞかれて「外典」にいれられている。しかし事実かどうかは別にして、これはたいそう面白い物語だ。おそらく昔のイスラエル人のつくった小説だろう。この「ユディト記」ばかりでなく、聖書の中には、まえに書いた「ルツの話」とか、つぎに話す「ヨブの話」とか、小説ふうの作品がいくつもまじっている。
さて、ユディトはエルサレムの近くのベツリアの町に住む美しい未亡人だった。夫は三年ばかり前に死んでいたが、ゆたかな財産を残してくれたので、彼女は女中をつかってなに不自由なく暮らしていた。
当時はアッシリアがたいへんな勢いで四方を攻めしたがえていた。メデイアは都を占領されて滅び、海岸地方のフェニキアや、イスラエルの北のシリア地方も、すべてアッシリアに併呑された。やがてアッシリアの将軍ホロフェルネスは、大軍をひきいてイスラエルに攻めこんできた。イスラエルとその都エルサレムの運命は、いまや風前のともしびのように危いものだった。
ホロフェルネスは二十万の大軍で、ユディトの住むベツリアの町の近くの谷間に陣どると、イスラエルの小さな町などは一挙にふみつぶしてしまうぞ、神の助けなどを待ちうけてもむだだ、と言って、町の人々に降伏をせまった。
このベツリアの町が占領されては、エルサレムの都は死命を制されてしまう。エルサレムの大祭司ヨアキムは、使いをおくってベツリアの人たちをはげました。町の人々もよく防戦した。
敵はベツリアの守りが固いのを見て、ついに水攻めをすることにし、山のふもとの泉を占領してしまった。水が飲めなくなった人々は、みるみる元気を失っていった。水攻めは三十四日もつづいた。子供や病人などは続々と死にはじめた。
「こうなっては仕方がない。城にとじ籠ってむざむざ死を待つより、いっそのこと降参しようではないか。」
こんな弱音をはく者がしだいに多くなった。長老のオジアスは、こういって町の人々をはげました。
「どうかもう五日だけ待ってくれ。そのあいだに神はきっとわれわれをあわれんで雨をふらしてくださるか、救いを送ってくださるかするだろう。もし、その五日がすぎてもなんの助けもないなら、その時は止むをえない。きみたちのいうとおり、降伏するとしよう。」
ユディトはこれを聞いて、情ないと思った。五日と日をきって神の援助を頼むなどとは、もってのほかのことだ。それは神をためすというものだ。そんな思いあがった心がけで、はたして神の助けを期待できるだろうか。」
「聖書物語・旧約物語」山室静著より
感想
>ただ、ユディトがやったという仕事は歴史上の事実ではないらしいため、いまは聖書の正典からのぞかれて「外典」にいれられている。しかし事実かどうかは別にして、これはたいそう面白い物語だ。おそらく昔のイスラエル人のつくった小説だろう。この「ユディト記」ばかりでなく、聖書の中には、まえに書いた「ルツの話」とか、つぎに話す「ヨブの話」とか、小説ふうの作品がいくつもまじっている。
「外典」について並木伸一郎氏は次のように述べている。
「紀元前三世紀から紀元前二世紀にかけて翻訳されたギリシア語のセプトゥアギンタ(七十人訳聖書)を基準に、何度も結集会議が開かれ、一応の決着をみたのは、1870年のヴァチカン会議でのことである。
当然、千八百年もの間、会議を重ねるうちに、多くの文章が除外されていった。それらは、選択に携わった人々の基準(カノン)に合わないがために正典から除外されていった。
排除された文書は、外典(アポクリファ=「隠されたもの」「奥義」「秘義」)と、ひとまとめにして呼ばれた。中には、昔の聖者や義人などの名を借りて書かれた文書類もあり、それらは偽名の書であるとして偽典と呼ばれた。
では外典・偽典は、とるに足りない文書類なのだろうか?
いや、そうではない。なぜなら、
「正典も、外典も、偽典も、それを信じる者にとっては『聖書』であった」からである。
つまり、正典は外典や偽典を除外したが、真の意味での『聖書』を理解しようとするなら、長い間、民がひそかに崇めてきた外典や偽典にも目を通すべきである。それは、我々の知る正典には記されていない、驚くべき記述に満ちているからである。
(中略)
そう、外典・偽典は、正典が意図的に秘してしまった事柄を、詳しく暴露しているのである。
しかも、正典が意図的に秘したこと、すなわちアポクリファした人類の未来についての神の計画が、外典・偽典には詳しく書かれている。外典・偽典には、迫り来る地球の危機、いや人類が直面する戦慄の未来とその後が記されているのだ!
外典・偽典は、いわば封印された“もうひとつの聖書”なのである。」
「封印された【黒聖書】の真実」並木伸一郎著より
因みに、「ヨハネの黙示録」も初めのうちは偽典・外典扱いされていたようである。
「たとえば、今一番この書を支持しているローマカトリック教会でさえ、正典として承認したのは二世紀の中頃である。「ヨハネ黙示録」は、紀元後96年頃に書かれたとされた文書であるから、約百五十年間、無視されていたわけだ。つまり、それまでは偽典・外典扱いされていたのである。
また、ロシア正教会をはじめとする東方正教会が「ヨハネ黙示録」を受け入れたのは、四世紀の末だが、今でも教会の儀式で朗読されることはない。
プロテスタントに至っては、宗教改革を断行したドイツの神学者ルターの「私はそれを聖書の中に加えることを黙視できない」と言ったというように、黙殺あるいは攻撃対象として扱っている。どう見ても、「ヨハネ黙示録」は、長い間、あるいは現在でも異端書扱いを受けているようだ。」
「封印された【黒聖書】の真実」並木伸一郎著より
私は、「ヨハネの黙示録」は当時の神学者が旧約聖書から作り出した創作物だと考えているが、2000年近くも生き残って来たのには理由があり、「終わりの時」に「真理の御霊」(契約の使者)が解読する事によりシンクロニシティーが起こると考えている。
例えば、従来は「王の王」などはイエス・キリストと解釈されて来たが、ちゃんと読むと、「終わりの時」に生れて来るメシアの事を述べているのである。また、ほふられた小羊もイエス・キリストではなく「真理の御霊」(契約の使者)である事が分かる。
「1.わたしはまた、御座(みざ)にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。
2.また、ひとりの強い御使(みつかい)が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。
3.しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。
4.巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。
5.すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。
6.わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。
7.小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。
8.巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢(はち)とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。
9.彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
10.わたしたちの神のために、彼らを御国(みくに)の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。」
「ヨハネの黙示録」第5章1節~10節
再臨するイエスは、ハルマゲドンの最中に現われるので、「終わりの時」の真っただ中である。ところが、ほふられた小羊が封印を解く事によって「終わりの時」が始まるので、二人は明らかに別人である。というより、「ほふられた小羊」の出現によって事が始まるので、「イエスの再臨」の準備をする者だろう。
「あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、
ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた」。
呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。
もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高底のある地は平らになり、険しい所は平地となる。
こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである」。」
「イザヤ書」第40章1節~5節
「ほふられた小羊」はほふられただけでなく、20年ぐらい刑罰を受けていたような人物かもしれない。「20年」はノストラダムスの1巻48番の詩から推測した。(シンクロにシティーとして。)
おまけ