ヤコブとエサウ その4
「とうとう夕日が沈んで、砂漠の上には真暗な夜がおとずれた。そのとき、いきなりだれかが、ぐいとヤコブをつかんだ。真暗闇の中だから、相手がだれだかわからないが、とにかくたいへんな力だった。
ヤコブも負けてはいなかった。もうれつな取組みあいになったが、勝負はなかなかつかない。さいごに相手は、どうしてもヤコブを組みふせることができないとわかると、いきなりヤコブの足の関節をはずしてしまったが、それでもヤコブは相手をはなさなかった。
そのうちに、夜があけてきた。相手はあわてて、夜があけてきたから、わたしを行かしてくれ、とたのんだ。しかし、ヤコブは言った。
「あなたがどういうかたか知りませんが、とにかくわたしを祝福してください。でなければ放しません。」
止むなく、相手はヤコブを祝福して言った。
「おまえはこれからはヤコブといわずに、イスラエル(神がまもってくれる人という意味)と名のるがよい。おまえは神と相撲をとって勝ったのだからな。」
ヤコブははじめて彼が一晩じゅう取組みあっていたのが神だと知った。しかも神は、ヤコブを祝福してくれたのである。これは大変すばらしいことだった。
ヤコブは、よくふしぎな夢をみる人だったようだから、これも夢だったかもしれない。しかし、とにかくこの時からヤコブは、びっこをひくようになったという。名前も、神にいわれたとおりにイスラエルと改めた。
アブラハムを先祖とするユダヤ人は、イスラエル人ともよばれる。現在ユダヤ人は、ながらく祖国を失っていたあとで、故郷のパレスチナに、ふたたびイスラエルという国をつくっている。このイスラエルという国名は、神からもらったこのヤコブの新しい名まえからきているわけで、それほどこの民族は祖先のヤコブをあがめ、このイスラエルという名を大切に考えているのだろう。
さて、一夜あけると、すがすがしい朝だった。
見ると、向うの方からエサウが四百人の部下をつれてやってくる。しかし、ヤコブはもはや恐れなかった。彼もながいあいだ苦労したおかげで、心がずっときたえられもし、清くもなっていた。自分の悪かったところは、すなおに兄にわびる覚悟ができていた。彼はいそいですすみ出て兄に近づくと、いくどもいくども頭をさげた。
エサウは乱暴ではあったが、もともと気のよい人物だった。ひさしぶりで弟が帰ってきたのを見ると、走ってきてヤコブをだきしめて接吻した。兄弟はしっかりと抱きあったまま、いつか泣きだしていた。
こうしてヤコブは、ふたたびなつかしい故郷で、仲よく兄と一緒にくらすことになった。母親のリベッカはもう死んでいたけれど、年とってあれほど弱っていた父のイサクは、まだ生き永らえていて、ゆくえしれずになっていた弟息子を、喜んでむかえてくれた。」
「聖書物語・旧約物語」山室静著より
感想
>「おまえはこれからはヤコブといわずに、イスラエル(神がまもってくれる人という意味)と名のるがよい。おまえは神と相撲をとって勝ったのだからな。」
あまり関係ないが、「真理の御霊」(契約の使者)が現われるとすると、「神が守ってくれる人」らしい。
「『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。
わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。」
「ヨハネの黙示録」第3章7節~10節
念のため、「聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者」はイエス・キリストと考えている。
ただし、途中で見捨てられるようだが。
「89:38 しかしあなたは、あなたの油そそがれた者を捨ててしりぞけ、彼に対して激しく怒られました。
89:39 あなたはそのしもべとの契約を廃棄し、彼の冠を地になげうって、けがされました。
89:40 あなたはその城壁をことごとくこわし、そのとりでを荒れすたれさせられました。
89:41 そこを通り過ぎる者は皆彼をかすめ、彼はその隣り人のあざけりとなりました。
89:42 あなたは彼のあだの右の手を高くあげ、そのもろもろの敵を喜ばせられました。
89:43 まことに、あなたは彼のつるぎの刃をかえして、彼を戦いに立たせられなかったのです。
89:44 あなたは彼の手から王のつえを取り去り、その王座を地に投げすてられました。
89:45 あなたは彼の年老いた日をちぢめ、恥をもって彼をおおわれました。」
「詩篇」第89篇38節~45節
とあり、「契約は破棄」され、悲惨な目に遭うらしい。年取ってからの苦労は嫌だねぇ。麻原彰晃を連想しちゃったよ。
「89:46 主よ、いつまでなのですか。とこしえにお隠れになるのですか。あなたの怒りはいつまで火のように燃えるのですか。
89:47 主よ、人のいのちの、いかに短く、すべての人の子を、いかにはかなく造られたかを、みこころにとめてください。
89:48 だれか生きて死を見ず、その魂を陰府の力から救いうるものがあるでしょうか。
89:49 主よ、あなたがまことをもってダビデに誓われた昔のいつくしみはどこにありますか。
89:50
89:51 主よ、あなたのしもべがうけるはずかしめをみこころにとめてください。主よ、あなたのもろもろの敵はわたしをそしり、あなたの油そそがれた者の足跡をそしります。わたしはもろもろの民のそしりをわたしのふところにいだいているのです。
89:52 主はとこしえにほむべきかな。アァメン、アァメン。」
「詩篇」第89篇46節~52節
まぁ、それに耐えられる御霊の持ち主という事だろう。(「年老いた日」とあるから、20年も続く事はないだろう。せいぜい3年ぐらいか。)
「神の計画」は人智では測り知れない。(単純にイエスの嫉妬かもしれないが(主は妬む神とあるから)。まぁ、結果オーライならいいんだけどね。)
>彼もながいあいだ苦労したおかげで、心がずっときたえられもし、清くもなっていた。
「終わりの時」の艱難の目的は、これだろう。ただし、一説には死者を妬むほどの艱難らしいが。
「21.その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
22.もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。」
「マタイによる福音書」第24章21節~22節
「地上の多くのものは破壊され、無数の人が滅びる。生き残った者は、死者をねたむほどの艱難に襲われる」
「ファティマ・第三の秘密」五島勉著より
おまけ