参考資料1943 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

アブラハムの話 その3
「ところが神はある日、だしぬけにアブラハムに命じた。
アブラハムよ、おまえが本当にわたしの言いつけを守るというのなら、息子のイサクをモリアの山につれていって、彼を焼いてわたしにささげよ!」
 アブラハムはおそれおののいた。
 それでもアブラハムは、さいごまで神に忠実だった。どこまでも神のおおせに従おうと決心したのである。
 彼は驢馬の背にたきぎをつむと、イサクをつれて砂漠のほうへ旅だった。三日のちに、モリアの山のふもとにつくと、たきぎをイサクにおわせ、じぶんは羊を殺すときに使う大きなナイフと火をもって、山のほうへいった。
 息子のイサクは、父が神からどんな命令をうけているのか、少しも知らなかった。父はいつものように犠牲(いけにえ)をささげにいくのだと思って、すなおについてきただけである。
 やがて、頂上の石の祭壇のところにきた。イサクはここまでくると、父の様子がこれまでとひどくちがっているのに気がついた。父の顔はひどく悲しそうにゆがんでいる。大きなナイフをもった手は、なぜかわなわなと慄えて(ふるえて)いるようだった。
 しかも、犠牲としてささげる羊がいない。
「父上、犠牲の動物はどうしたのですか」
と、イサクはきいてみた。
「そんなことは心配せんでもよい。そのときがくれば、エホバが子羊をそなえてくださる。」
 こうアブラハムは答えたが、心の中はどんなだったろうか。これは聖書の中でも最も感動的な場面の一つだが、記述はあまりに簡単で、アブラハムとイサクの心の中まではうかがわせてくれない。
 とにかくアブラハムは、いきなり息子をだきあげて祭壇のざらざらした石の上にねかせると、喉ぶえが切りやすいように、ぐいと首をのけぞらせた。それから、羊を殺すときのナイフをとりあげた。とたんに、エホバの声がもう一度きこえた。
「アブラハムよ、おまえの心はわかった。おまえはわたしのために、だいじな子供まで喜んでささげようとした。よくそこまでわたしを信じてくれた。もうよいから、イサクをはなしてやるがよい。」
 イサクはだきおろされた。ふと見ると、一ぴきの大きな黒い羊が、近くのやぶに角をひっかけて動けないでいる。アブラハムはその羊をイサクのかわりに祭壇にささげた。
 こうして二人は、また山をおりてぶじに家へ帰ったのであった。」
「聖書物語・旧約物語」山室静著より

感想
何となく、「岡山金属バット母親殺害事件」を思い出した。

事件の概要
「2000年(平成12年)6月21日、岡山県内の公立学校の野球部員の少年(当時17歳・高校3年生)(以下、少年A)が練習中に突然そばにいた部員4人をバットで殴り逃走。少年Aは自宅に戻った後、居間でテレビを見ていた母親(当時42歳)をバットで殴打し逃亡。母親はほぼ即死状態だった。
少年Aは去年の秋から日常的に後輩集団に自身の動作のまねをされたり、所属の野球部でからかわれるなどのいじめを受けていた。事件当日は雨天のため高校の武道場で部活を行っていた。少年Aは、普段から自身をからかうなどしていた後輩ら四人をバットで殴打し、重軽傷を負わせた。その後、自宅において別のバットで母親を殴打し殺害した。また母親を殴打・殺害したのは、自分が野球部員の少年を殺して殺人者になったと早合点し、そのまま母親が生きていれば不憫であると思ったためであるという。」
「岡山金属バット母親殺害事件」ウィキペディアより

ただし、今回知ったのだが、母親もあまり好きじゃなく「狩った」らしい。とにかく、いじめなんかする奴は自業自得だろう。

おまけ