参考資料1940 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

アブラハムの話 その2
「このカナンの地方で、そのころ最も勢いが強かったのは、エラムの王だった。王はメソポタミアに大帝国をたてたアッシリアと戦ってさえ、じぶんの国をまもりぬいた。王は勢いにのって、ソドムとゴモラの町からもみつぎ物をとりたてようとし、町がそれをはねつけると、軍隊をひきいてヨルダンの谷間に攻めこんだ。ソドムとゴモラは占領され、町の人々は殺されたり、捕虜になったりした。近くに住んでいたロトと家族も、まきぞえをくって捕えられ、引きたてられていった。
 アブラハムはこれをきくと、急いで部下の召使や羊飼いをあつめて後を追いかけ、夜おそくエラム王が野営しているところにおいつくと、休むまもなく攻めかかった。そして、寝ぼけまなこの番兵たちがうろうろしている間に、すばやくロトたちを救いだし、エラム人たちが奪っていったぶんどり品もおおかた取りもどして、さっと山地へひきあげた。
 この事件でアブラハムの名声は大いにあがった。しかも信仰にあついアブラハムは、奪いかえしてきたぶんどり品を、もとのソドムやゴモラの町の持ち主にかえしてやった。
 アブラハムの行いは、たいそうエホバの神のみ心にかなった。神はアブラハムにむかって言われた。
「アブラハムよ、おまえの正しい心がけのために、おまえに大きな恵みをさずけてやろう。」
「主よ、あなたはいったい何をわたしに下さろうというのですか。わたしには子供がありません。それが何よりも悲しいのです。」
「空の星を眺めてごらん。お前の子供や孫は、やがてあの数にもまけぬほどになるだろうよ。」
 神にこう言われても、アブラハムにはなかなか信じられなかった。なにしろ妻のサラと結婚して何十年にもなるのに、まだ一人も子供がなかったからだ。しかし、神の言葉にまちがいはなかった。まもなく妻のサラは一人の男の子を生んだ。二人は夢かとばかりよろこんで、その子をイサクと名づけた。イサクというのは「笑い」という意味だ。こんな名前をつけたのも、この子が一家に喜びと笑いをもたらしたからだった。イサクは父母の深いいつくしみをうけて、ぐんぐん立派な若者に成長した。」
「聖書物語・旧約物語」山室静著より

感想
>ソドムとゴモラは占領され、町の人々は殺されたり、捕虜になったりした。近くに住んでいたロトと家族も、まきぞえをくって捕えられ、引きたてられていった。

ちょっと長いが、「創世記」第19章全体を抜き書きしてみよう。

「19:1 そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。そのときロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して、
19:2 言った、「わが主よ、どうぞしもべの家に立寄って足を洗い、お泊まりください。そして朝早く起きてお立ちください」。彼らは言った、「いや、われわれは広場で夜を過ごします」。
19:3 しかしロトがしいて勧めたので、彼らはついに彼の所に寄り、家にはいった。ロトは彼らのためにふるまいを設け、種入れぬパンを焼いて食べさせた。
19:4 ところが彼らの寝ないうちに、ソドムの町の人々は、若い者も老人も、民がみな四方からきて、その家を囲み、
19:5 ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。
19:6 ロトは入口におる彼らの所に出て行き、うしろの戸を閉じて、
19:7 言った、「兄弟たちよ、どうか悪い事はしないでください。
19:8 わたしにまだ男を知らない娘がふたりあります。わたしはこれをあなたがたに、さし出しますから、好きなようにしてください。ただ、わたしの屋根の下にはいったこの人たちには、何もしないでください」。
19:9 彼らは言った、「退け」。また言った、「この男は渡ってきたよそ者であるのに、いつも、さばきびとになろうとする。それで、われわれは彼らに加えるよりも、おまえに多くの害を加えよう」。彼らはロトの身に激しく迫り、進み寄って戸を破ろうとした。
19:10 その時、かのふたりは手を伸べてロトを家の内に引き入れ、戸を閉じた。
19:11 そして家の入口におる人々を、老若の別なく打って目をくらましたので、彼らは入口を捜すのに疲れた。
19:12 ふたりはロトに言った、「ほかにあなたの身内の者がここにおりますか。あなたのむこ、むすこ、娘およびこの町におるあなたの身内の者を、皆ここから連れ出しなさい。
19:13 われわれがこの所を滅ぼそうとしているからです。人々の叫びが主の前に大きくなり、主はこの所を滅ぼすために、われわれをつかわされたのです」。
19:14 そこでロトは出て行って、その娘たちをめとるむこたちに告げて言った、「立ってこの所から出なさい。主がこの町を滅ぼされます」。しかしそれはむこたちには戯むれごとに思えた。
19:15 夜が明けて、み使たちはロトを促して言った  「立って、ここにいるあなたの妻とふたりの娘とを連れ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義のために滅ぼされるでしょう」。
19:16 彼はためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。
19:17 彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。
19:18 ロトは彼らに言った、「わが主よ、どうか、そうさせないでください。
19:19 しもべはすでにあなたの前に恵みを得ました。あなたはわたしの命を救って、大いなるいつくしみを施されました。しかしわたしは山まではのがれる事ができません。災が身に追い迫ってわたしは死ぬでしょう。
19:20 あの町をごらんなさい。逃げていくのに近く、また小さい町です。どうかわたしをそこにのがれさせてください。それは小さいではありませんか。そうすればわたしの命は助かるでしょう」。
19:21 み使は彼に言った、「わたしはこの事でもあなたの願いをいれて、あなたの言うその町は滅ぼしません。
19:22 急いでそこへのがれなさい。あなたがそこに着くまでは、わたしは何事もすることができません」。これによって、その町の名はゾアルと呼ばれた。
19:23 ロトがゾアルに着いた時、日は地の上にのぼった。
19:24 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
19:25 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
19:26 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。
19:27 アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、
19:28 ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた。
19:29 こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された。
19:30 ロトはゾアルを出て上り、ふたりの娘と共に山に住んだ。ゾアルに住むのを恐れたからである。彼はふたりの娘と共に、ほら穴の中に住んだ。
19:31 時に姉が妹に言った、「わたしたちの父は老い、またこの地には世のならわしのように、わたしたちの所に来る男はいません。
19:32 さあ、父に酒を飲ませ、共に寝て、父によって子を残しましょう」。
19:33 彼女たちはその夜、父に酒を飲ませ、姉がはいって父と共に寝た。ロトは娘が寝たのも、起きたのも知らなかった。
19:34 あくる日、姉は妹に言った、「わたしは昨夜、父と寝ました。わたしたちは今夜もまた父に酒を飲ませましょう。そしてあなたがはいって共に寝なさい。わたしたちは父によって子を残しましょう」。
19:35 彼らはその夜もまた父に酒を飲ませ、妹が行って父と共に寝た。ロトは娘の寝たのも、起きたのも知らなかった。
19:36 こうしてロトのふたりの娘たちは父によってはらんだ。
19:37 姉娘は子を産み、その名をモアブと名づけた。これは今のモアブびとの先祖である。
19:38 妹もまた子を産んで、その名をベニアンミと名づけた。これは今のアンモンびとの先祖である。」
「創世記」第19章全体

時代もあるだろうが、やはり、「神の計画」は人智では測り知れないのだろう。念のため、バグワン・シュリ・ラジニーシみたいな人物は凡夫だと思っている。https://blogs.yahoo.co.jp/kaoru_aoko/51199972.html

「尚、神が人間に「近親相姦はだめ」って律法を与えたのはこのロトの出来事よりずっと後のことであり、この時点では律法なんてなかったから聖書上で矛盾でもNGでもない。」
引用元:http://lfk.hatenablog.com/entry/2015/09/09/020129

「「セックスの徹底した真実、セックスの裏にある意味すべてを知る者にとって、セックスは用のないものとなる。彼はただ通り抜ける。彼はセックスを超越する」と、バグワンは言う。そして、また、「完全な性超越者のみが、セックスと神性についての完全な真実を明らかにできる」と断言し、このような“性超越”こそがブラフマ・チャリアに他ならないと述べているが、その究極的内容は詳述されていない。」
「脱カルマ霊動法」中野裕道著より
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11311518460.html

「バグワンが「もし純粋な心と尊敬の感情をもってセックスに近づいたら、私たちは簡単に神の一瞥を得ることができる」と言っているように、二神融合を理想とするタントラの立場で、もし「愛」の感性にもう一つの条件を加えるとしたら、それは「敬」の一語でなければならない。敬の念を伴った愛の感情こそが性を霊性化させる条件であり、神に到る道に他ならないわけだ。愛は一つになるというエネルギーの放射に過ぎない。アートマンとブラフマンとが合一するために、愛が選ばれたのだと言ってもよい。それにバグワンも言う如く「敬」の情念が加わることによって、それは宗教的儀式に昇華することができる。」
「脱カルマ霊動法」中野裕道著より
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11312226195.html

「イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。」
「マタイによる福音書」第22章29節~30節

「イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天使にも等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。」
「ルカによる福音書」第20章34節~36節

未来の事は未来になってみないと分からないね。因みに、もっともらしい事を言うだけの奴は全く信用していない。http://d.hatena.ne.jp/hoshius/20081108

>イサクというのは「笑い」という意味だ。

何となく、「東京らふストーリー」を思い出した。ザキヤマさん面白いよね。

おまけ