参考資料1680 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

宇宙人に選ばれたイスラエルの民 その1
古代の宇宙観にみる近代科学の粋1 
「イエス・キリストを通じての神の顕示とか、宇宙人の出現とかの問題は、全宇宙の謎、すなわち、私たちをさんざんまごつかせ、かつてイザヤを恐懼させた宇宙の持つ謎を対象として考えねばならない。キリスト教の伝道に努めた使徒たちは、なるほど熱烈な宣教者ではあったが、天文学の知識は持っていなかった。霊界に飛躍することはできたかも知れないが、宇宙の謎などということは想像もできなかったであろう。
 人類史を通して、宇宙そのものはほとんど変わっていないはずである。したがって、時代によって変わる宇宙論は、つまりその時代の人間の精神や宗教の状態を如実にうつし出したものに他ならないのだ。異教の哲学と、キリスト教の教義と、近代科学の説くところと、それぞれの相違の大きさをみれば、のちの世の人たちの持つ宇宙観は、いまの私たちにはとても想像のできないようなものになるであろう、と考えるのが、むしろ妥当なのではあるまいか。人間は、わずか5つの感覚器官によって知り得ることだけを根拠にして、いろいろな観念をつくりあげている。
 ごくまれに、第六感を持った人があると、不可思議領域の現象を知得することもあるわけなのだ。星間を飛び歩く超人類などがあるとすれば、それは当然、私たちの平凡な想像を絶する能力をそなえ、私たちが夢にも考えつかなかったような宇宙観を呈示してくれることがあるとしても、別におかしなことではないはずだ。
 20世紀になって、やっと人びとが気づいたことで、見逃せないのは、「神」の概念に、少なくとも二種類あるということであろう。われわれの住む宇宙そのもので、現人化を要さないもの(たとえば仏陀がそのいい例であろうか)、そういう概念と、他の惑星や他の次元からときどきやって来ては、人間に何かの刺激をあたえる、地方的な神々とか、宇宙人とかいったような概念もある。」
「やはりキリストは宇宙人だった」レイモンド・ドレイク著・北村十四彦訳より

感想
>のちの世の人たちの持つ宇宙観は、いまの私たちにはとても想像のできないようなものになるであろう、と考えるのが、むしろ妥当なのではあるまいか。人間は、わずか5つの感覚器官によって知り得ることだけを根拠にして、いろいろな観念をつくりあげている。

宇宙観に限らず、短いスパンの未来なら予想可能だが、預言者のように2000年後とかは絶対に無理である。逆にそれが当たっているようならば認めざるを得ないだろう。

「2.おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
3.だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。」
「ルカによる福音書」第12章2節~3節

客観的に考えて、イエスは聖霊のようなものが言い広めると考えていたのだろうか。私はそうは思わない。イエスはインターネット社会の事を述べたのだと考えている。そして、それが「終わりの時」のしるしの一つなのだろう。

「26.あなたがたについて、わたしの言うべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実なかたである。わたしは、そのかたから聞いたままを世にむかって語るのである」。
27.彼らは、イエスが父について話しておられたことを悟らなかった。
28.そこでイエスは言われた、「あなたがたが人の子を上げてしまった後はじめて、わたしがそういう者であること、また、わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していたことが、わかってくるであろう。」
「ヨハネによる福音書」第8章26節~28節

>20世紀になって、やっと人びとが気づいたことで、見逃せないのは、「神」の概念に、少なくとも二種類あるということであろう。われわれの住む宇宙そのもので、現人化を要さないもの(たとえば仏陀がそのいい例であろうか)、そういう概念と、他の惑星や他の次元からときどきやって来ては、人間に何かの刺激をあたえる、地方的な神々とか、宇宙人とかいったような概念もある。

「現人化を要さないもの」が仏陀というのはよく分からないが、「天の父」なんかまさにそうだろう。ただし、イエスは実際に会っているような気もするが。

「41.さて、イエスの両親は、過越(すぎこし)の祭には毎年エルサレムへ上っていた。
42.イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。
43.ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
44.そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、
45.見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。
46.そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
47.聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。
48.両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。
49.するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。
50.しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。
51.それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。
52.イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。」
「ルカによる福音書」第2章41節~52節

「わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」とは、「天の父」の家にいたという事だろう。因みに、イエスは12歳で「聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆」させていたそうだが、天の父の遺伝子と家庭教師のお陰なのだろう。

>ごくまれに、第六感を持った人があると、不可思議領域の現象を知得することもあるわけなのだ。星間を飛び歩く超人類などがあるとすれば、それは当然、私たちの平凡な想像を絶する能力をそなえ、私たちが夢にも考えつかなかったような宇宙観を呈示してくれることがあるとしても、別におかしなことではないはずだ。

私は逆だと思っている。何かが欠けた人の方が別の所が特化される可能性が高い。http://karapaia.com/archives/52136110.html(コメント欄の方が面白いかもしれない。)
つまり、超能力者は思索のスペシャリストにはなり得ないだろう。

おまけ