参考資料1667 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ヘブル人への手紙 その2
「1.こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることを、いっそう強く心に留めねばならない。そうでないと、おし流されてしまう。
2.というのは、御使たちをとおして語られた御言(みことば)が効力を持ち、あらゆる罪過と不従順とに対して正当な報いが加えられたとすれば、
3.わたしたちは、こんなに尊い救をなおざりにしては、どうして報いをのがれることができようか。この救は、初め主によって語られたものであって、聞いた人々からわたしたちにあかしされ、
4.さらに神も、しるしと不思議とさまざまな力あるわざとにより、また、御旨(みむね)に従い聖霊を各自に賜うことによって、あかしをされたのである。
5.いったい、神は、わたしたちがここで語っているきたるべき世界を、御使(みつかい)たちに服従させることは、なさらなかった。
6.聖書はある箇所で、こうあかししている、
「人間が何者だから、
これを御心(みこころ)に留められるのだろうか。
人の子が何者だから、
これをかえりみられるのだろうか。
7. あなたは、しばらくの間、
彼を御使たちよりも低い者となし、
栄光とほまれとを冠として彼に与え、
8. 万物をその足の下に服従させて下さった」。
「万物を彼に服従させて下さった」という以上、服従しないものは、何ひとつ残されていないはずである。しかし、今もなお万物が彼に服従している事実を、わたしたちは見ていない。
9.ただ、「しばらくの間、御使たちよりも低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、栄光とほまれとを冠として与えられたのを見る。それは、彼が神の恵みによって、すべての人のために死を味わわれるためであった。」
「ヘブル人への手紙」第2章1節~9節

感想
>6.聖書はある箇所で、こうあかししている、
「人間が何者だから、
これを御心(みこころ)に留められるのだろうか。
人の子が何者だから、
これをかえりみられるのだろうか。
7. あなたは、しばらくの間、
彼を御使たちよりも低い者となし、
栄光とほまれとを冠として彼に与え、
8. 万物をその足の下に服従させて下さった」。

「詩篇」第8篇と第144篇にそれらしい箇所があるので、抜き書きしてみよう。

「4 人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。
5 ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ、
6 これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれました。」
「詩篇」第8篇4節~6節

「3 主よ、人は何ものなので、あなたはこれをかえりみ、人の子は何ものなので、これをみこころに、とめられるのですか。」
「詩篇」第144篇3節

一応、第8篇を新共同訳でも。

「08:05そのあなたが御心に留めてくださるとは
人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう
あなたが顧みてくださるとは。
08:06神に僅かに劣るものとして人を造り
なお、栄光と威光を冠としていただかせ
08:07御手によって造られたものをすべて治めるように
その足もとに置かれました。」
「詩篇」第8篇5節~7節(新共同訳)

口語訳と新共同訳を何気なく読むと、人類全般について語っているのかと思ったが、パウロの言うようにイエスについて述べている可能性もあるね。ただし、「終わりの時」に現われる「真理の御霊」の方が当てはまりそうだが。

>「万物を彼に服従させて下さった」という以上、服従しないものは、何ひとつ残されていないはずである。しかし、今もなお万物が彼に服従している事実を、わたしたちは見ていない。

これは不可能だろう。というより、「神の計画」はそんなものではない。二極分化させてハルマゲドンを起こさせ、選民だけを残すのが「神の計画」である。パウロはイエスを神格化し過ぎて、正しく聖書を解釈出来ていないね。これは現代のクリスチャンにも言える事だろう。

「16:07しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。 16:08その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 16:09罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、 16:10義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 16:11また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。 16:12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 16:13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 16:14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 16:15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」 16:16「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」」
「ヨハネによる福音書」第16章7節~16節(新共同訳)

何度も同じような事を書くが、「真理の霊」の「霊」は英語やフランス語では「精神」の意味もあるので、古代ギリシャ語ではどうだか知らないが、「真理の霊」は「人の子」(人間)である可能性が高い。(個人的には、アロンのメシアや契約の使者と考えている。)

「3:1見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。 3:2その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。」
「マラキ書」第3章1節~2節

「およそ、律法の会議から離れて、心かたくななまでに歩んではならない
そのときは、共同体の人々が、初めに教えられたおきてによって裁かれる
ひとりの予言者と、アロンおよびイスラエルのメシアの現れるまで」
死海写本『会衆要覧』

昨日の記事の「ひとりの牧者」と「ダビデ」が同一人物のように、この「ひとりの予言者」と「アロンのメシア」も同一人物だろう。

補足:ノストラダムスの2巻13番の詩
Le corps sans ame plus n'estre en sacrifice,
Jour de la mort mise en nativite:
L'esprit divin fera l'ame felice,
Voyant le verbe en son eternite.
感情のない身体はもはや犠牲とはならない
(キリストの)降誕において置かれる滅亡の日
崇高な精神は心を至福にするだろう
予言者、彼の永遠への言語表現  

訳の解説
「corps sans âme」は、慣用句で「魂の抜けた人、ふぬけ、指揮官(指導者)を失った軍隊(党)」なので、「魂のない肉体」というような死体的なイメージより現実的な表現を選んだ。
また、「nativite」(〔キリストの〕降誕、〔聖母マリア、洗者ヨハネの〕誕生、キリスト降誕図(像))降誕(誕生)に「naissance」(誕生、出現)ではなく、「nativite」を使ったのは、キリストの降誕を表したかったとしか考えられない。

「ヨハネによる福音書」に「これから起こることをあなたがたに告げるからである」とあるので矛盾しない。

「10.そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間(しもべなかま)であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。」
「ヨハネの黙示録」第19章10節

イエスはハルマゲドンの最中に空中再臨するので、これは「イエスの使いの証し」だろう。「霊」については上と同様。つまり、予言者で矛盾しない。
補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10623879416.html

おまけ