参考資料1660 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

テトスへの手紙 その2
「1.しかし、あなたは、健全な教にかなうことを語りなさい。
2.老人たちには自らを制し、謹厳で、慎み深くし、また、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように勧め、
3.年老いた女たちにも、同じように、たち居ふるまいをうやうやしくし、人をそしったり大酒の奴隷になったりせず、良いことを教える者となるように、勧めなさい。
4.そうすれば、彼女たちは、若い女たちに、夫を愛し、子供を愛し、
5.慎み深く、純潔で、家事に努め、善良で、自分の夫に従順であるように教えることになり、したがって、神の言(ことば)がそしりを受けないようになるであろう。
6.若い男にも、同じく、万事につけ慎み深くあるように、勧めなさい。
7.あなた自身を良いわざの模範として示し、人を教える場合には、清廉と謹厳とをもってし、
8.非難のない健全な言葉を用いなさい。そうすれば、反対者も、わたしたちについてなんの悪口も言えなくなり、自ら恥じいるであろう。
9.奴隷には、万事につけその主人に服従して、喜ばれるようになり、反抗をせず、
10.盗みをせず、どこまでも心をこめた真実を示すようにと、勧めなさい。そうすれば、彼らは万事につけ、わたしたちの救主なる神の教を飾ることになろう。
11.すべての人を救う神の恵みが現れた。
12.そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、
13.祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。
14.このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。
15.あなたは、権威をもってこれらのことを語り、勧め、また責めなさい。だれにも軽んじられてはならない。」
「テトスへの手紙」第2章1節~15節

感想
>5.慎み深く、純潔で、家事に努め、善良で、自分の夫に従順であるように教えることになり、したがって、神の言(ことば)がそしりを受けないようになるであろう。
6.若い男にも、同じく、万事につけ慎み深くあるように、勧めなさい。
7.あなた自身を良いわざの模範として示し、人を教える場合には、清廉と謹厳とをもってし、
8.非難のない健全な言葉を用いなさい。そうすれば、反対者も、わたしたちについてなんの悪口も言えなくなり、自ら恥じいるであろう。

全く時代に合わない。そんな事より、「義」があれば自分から物事を判断すればいい。ただし、欲やコンプレックスに捕らわれているうちはダメだろう。

「彼らは未来の奥義からその魂を救い出すことはできない
これは、あなた方のためのしるしである
義が世界の基準として、太陽とともに現れるだろう
驚くべき奥義をとどめておくすべてのものは存在しない
知識は世界に満ちて、おろかさは永遠に存在しない」
死海文書『奥義の書』よりhttps://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12124535532.html

因みに、従来の解釈は、

「この断片は逆説に富んでいる。神の計画を記した『死海写本』は、未来においてもはやユダヤの民の救いにならない、いや意味さえなさなくなるというのである。
 太陽とともに新しい価値観=主義が登場し、奥義は存在価値をなくすという。この新しい価値をもたらす太陽とは何を象徴しているのだろうか。やはり、イスラエルの滅びた後のユダヤの、いや世界の盟主として台頭する日本を指しているのではないだろうか。
 だが、それにしても奥義が、つまり神の計画そのものが意味をなくすとはいったいどうしたことだろう。いや、この断片では、奥義そのものを「おろかさ」とまで表現しているのだ。
 この神の豹変ぶりはどうしたことだろう。これまで、ユダヤ人を導いてきた神が、自らを否定しているのだ。そして、神の奥義を守ってきたユダヤ人たちをもである。日本から現れるものは、神の奥義さえも超越する素晴らしいものなのだろうか。そもそも、神の計画とは何だったのか・・・・。」
「死海写本が告げる人類最後の戦い」上坂晨著より

だが、私の今回の新解釈は、「未来の奥義」は「義」で「彼らは未来の奥義からその魂を救い出すことはできない」は、従来のクリスチャンなど大抵の人は失格者となるという事だろう。
また、「驚くべき奥義をとどめておくすべてのものは存在しない」は、「義が基準となる」という事が世界中に広まる事を阻止する事は何者にも出来ないという意味だろう。
「知識は世界に満ちて、おろかさは永遠に存在しない」は、「マタイによる福音書」第24章14節の「そしてこの御国(みくに)の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣(の)べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」と同義だろう。
つまり、「死海文書」は奥義ではなかったのである。個人的には、アロンのメシアは「真理の御霊」でイスラエルのメシアは「イエス・キリスト」を表す奥義だと思っているが。

「およそ、律法の会議から離れて、心かたくななまでに歩んではならない
そのときは、共同体の人々が、初めに教えられたおきてによって裁かれる
ひとりの予言者と、アロンおよびイスラエルのメシアの現れるまで」
死海写本『会衆要覧』

因みに、パウロは律法の会議から離れて心かたくなに歩んでいて、現在のクリスチャンもそれに倣っているだろう。(人の義(行為義認)を軽視している。)

>9.奴隷には、万事につけその主人に服従して、喜ばれるようになり、反抗をせず、
10.盗みをせず、どこまでも心をこめた真実を示すようにと、勧めなさい。そうすれば、彼らは万事につけ、わたしたちの救主なる神の教を飾ることになろう。

奴隷が認められているような時代の教えなのだから、「真理の御霊」が現われて、色々と解釈し直すのだろう。

>14.このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。

真の「終わりの時」には、「イエスの再臨」に前もって現われるアロンのメシア(契約の使者)がその役目を担うのだろう。準備とはそういう事である(選別)。

「25.兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人(びと)がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、
26.こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、
「救う者がシオンからきて、
ヤコブから不信心を追い払うであろう。
27. そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、
彼らに対して立てるわたしの契約である」。
28.福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。
29.神の賜物と召しとは、変えられることがない。
30.あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、
31.彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。
32.すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。
33.ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮(きわ)めがたく、その道は測りがたい。
34. 「だれが、主の心を知っていたか。
だれが、主の計画にあずかったか。
35. また、だれが、まず主に与えて、
その報いを受けるであろうか」。
36.万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。」
「ローマ人への手紙」第11章25節~36節

>15.あなたは、権威をもってこれらのことを語り、勧め、また責めなさい。だれにも軽んじられてはならない。

相変わらず、パウロはダメだね。http://www.believers.org/jp/jbel216.htm

おまけ