参考資料1591 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

エペソ人への手紙 その7
「1.さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、
2.できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、
3.平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。
4.からだは一つ、御霊(みたま)も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。
5.主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。
6.すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
7.しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。
8.そこで、こう言われている、
「彼は高い所に上った時、
とりこを捕えて引き行き、
人々に賜物を分け与えた」。
9.さて、「上った」と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。
10.降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。
11.そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。
12.それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、
13.わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。
14.こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、
15.愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。
16.また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。」
「エペソ人への手紙」第4章1節~16節

感想
>1.さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、

あまり関係ないと思われるかもしれないが、「主の囚人」からノストラダムスの2巻79番の詩を連想した。

2巻79番
縮れた黒い顎ひげが兵器によって
残忍で自尊心のある連中を支配(魅了)するだろう
偉大なシーランは監禁(長い流行)から取り去るだろう
セランの旗によって(の)すべての捕虜(とりこ)たちを  
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11305556279.html

これは黙示録の獣(反キリスト)と真理の御霊(アロンのメシア)のダブルミーニングと考えている。つまり、真理の御霊が、キリスト教による囚人を解放する予言ではないだろうか。

「12.わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
13.けれども真理の御霊(みたま)が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。」
「ヨハネによる福音書」第16章12節~13節

イエスには本当は分かっていたのかもしれない。イエスを慕うキリスト教は偽物である事を。そう考えると、昨日の記事の「マタイによる福音書」第7章21節~29節の発言もうなずける。

補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11304719405.html

>8.そこで、こう言われている、
「彼は高い所に上った時、
とりこを捕えて引き行き、
人々に賜物を分け与えた」。

これは、「詩篇」第68篇18節臭いがどうだろうか。

「68:18 あなたはとりこを率い、人々のうちから、またそむく者のうちから/贈り物をうけて、高い山に登られた。主なる神がそこに住まわれるためである。」
(口語訳)

「68:18 あなたは、いと高き所に上り、捕われた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました。頑迷な者どもからさえも。神であられる主が、そこに住まわれるために。」
(新改訳)

「68:19 主よ、神よ/あなたは高い天に上り、人々をとりことし/人々を貢ぎ物として取り、背く者も取られる。彼らはそこに住み着かせられる。」
(新共同訳)

パウロの内容とは異なるが、状況が非常に似ているので、パウロのこじつけ引用ではないだろうか。別に構わないと思うし、確証もないのでスルーしよう。(新共同訳だけ19節だが誤植ではない。詩篇には初めに解説があるが、新共同訳だけそれを1節としているから。)
ところで、こじつけ解釈と言えば、「マタイによる福音書」第8章から、

「16.夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。
17.これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。」
「マタイによる福音書」第8章16節~17節

これはどう考えてもおかしいだろう。一応、原文は、

「4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。」
「イザヤ書」第53章4節

イエスの事でない事は明白である。ただし、イエスと「真理の御霊」のダブルミーニングと考えている。こういうのも「ヨハネによる福音書」第16章の「12.わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」事の一つではないだろうか。

補足
「3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」
「イザヤ書」第53章3節

「病を負う」とは「病を治療する」事ではなく「病になる」という意味だろう。何のためか、奇跡の復活をさせるためだろう。神も酷な事をするね。麻原彰晃か?(ただし、それに耐えられればの話だけど。)

>13.わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。

「全き人」からこんな事を思い出した。

500年後、
時の英雄が現れる
大いなる光明をもたらし
この時、全き満足が得られるであろう   (『諸世紀』Ⅲ94)」
「ノストラダムスの霊能力開発法」ミカエル・ド・セザール著より

念のため、私の訳も紹介しておこう。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10394805275.html(イエスの再臨の予言で、1555年(出版)+500年=2055年ぐらいかもしれない。書いたのはもっと前か。)

おまけ