参考資料1306 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ルカによる福音書 その31
「37.翌日、一同が山を降りて来ると、大ぜいの群衆がイエスを出迎えた。
38.すると突然、ある人が群衆の中から大声をあげて言った、「先生、お願いです。わたしのむすこを見てやってください。この子はわたしのひとりむすこですが、
39.霊が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。
40.それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。
41.イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか、またあなたがたに我慢ができようか。あなたの子をここに連れてきなさい」。
42.ところが、その子がイエスのところに来る時にも、悪霊が彼を引き倒して、引きつけさせた。イエスはこの汚れた霊をしかりつけ、その子供をいやして、父親にお渡しになった。
43.人々はみな、神の偉大な力に非常に驚いた。みんなの者がイエスのしておられた数々の事を不思議に思っていると、弟子たちに言われた、
44.「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子は人々の手に渡されようとしている」。
45.しかし、彼らはなんのことかわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた。
46.弟子(でし)たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろうかということで、議論がはじまった。
47.イエスは彼らの心の思いを見抜き、ひとりの幼な子を取りあげて自分のそばに立たせ、彼らに言われた、
48.「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そしてわたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」。
49.するとヨハネが答えて言った、「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので、やめさせました」。
50.イエスは彼に言われた、「やめさせないがよい。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」。」
「ルカによる福音書」第9章37節~50節

感想
>39.霊が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。

てんかんだね。一応、「マタイによる福音書」からも引用しよう。

「14.さて彼らが群衆のところに帰ると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、
15.「主よ、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。何度も何度も火の中や水の中に倒れるのです。
16.それで、その子をお弟子たちのところに連れてきましたが、なおしていただけませんでした」。」
「マタイによる福音書」第17章14節~16節http://web1.kcn.jp/tombo/v2/MATTHEW17.html

前後関係から同じシーンである。当時はてんかんは悪霊の仕業と考えられていたらしい。他の病気も悪霊の仕業か自分の罪によると考えられていた。イエスもそう考えていた。だから、現代でもクリスチャンの人はてんかんにも2種類あって悪霊によるものもあると思っているようである。念のため、バカにしている訳ではない。信仰とはそういうものだから。

>40.それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。

「ルカによる福音書」には書かれていないが、弟子のレベルが低いようである。その理由は、

「19.それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
20.すると、イエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。(中略)
21.[しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない]」。」
「マタイによる福音書」第17章19節~21節(要約)

とあるからである。断食をした事がない人だと祈りにも力がないらしい。(断食中じゃないとダメなのかと思ったが、イエスがその場で出来たので信念(信仰)の問題だと解釈した。)

因みに、「マルコによる福音書」第9章17節~29節にもあるが、具体的で面白い。てんかんを起こさせた霊はおしとつんぼの霊で、また「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」とあるが「断食」が抜けているので、弟子たちは「祈り」も満足に出来ないのかとなってしまう。

>44.「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子は人々の手に渡されようとしている」。
45.しかし、彼らはなんのことかわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた。

因みに、「マルコによる福音書」では次のようになっている。

「30.それから彼らはそこを立ち去り、ガリラヤをとおって行ったが、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
31.それは、イエスが弟子(でし)たちに教えて、「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日の後によみがえるであろう」と言っておられたからである。
32.しかし、彼らはイエスの言われたことを悟らず、また尋ねるのを恐れていた。」
「マルコによる福音書」第9章30節~32節

今一、意味がよく分からないが、「マタイによる福音書」ではこうなっている。

「22.彼らがガリラヤで集まっていた時、イエスは言われた、「人の子は人々の手にわたされ、
23.彼らに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。弟子(でし)たちは非常に心をいためた。」
「マタイによる福音書」第17章22節~23節

これが真実だろう。なぜなら、その前から死んで3日後に生き返る事を述べていたからである。(多分、何度も。)

「21.この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。」
「マタイによる福音書」第16章21節

>49.するとヨハネが答えて言った、「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので、やめさせました」。
50.イエスは彼に言われた、「やめさせないがよい。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」。

自分に都合が悪くなると、すぐあいつは「黙示録の獣」だとか「龍」だとか言いそうだが、汝の敵を愛せよ的な事を考えれば当然の事である。

「43.『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
44.しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
45.こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。」
「マタイによる福音書」第5章43節~45節

補足
「1:20聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。 1:21なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。
2:1しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。」
「ペテロの第二の手紙」第1章20節~21節,第2章1節

「15.にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
16.あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨(いばら)からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。」
「マタイによる福音書」第7章15節~16節

ぶどうの実はぶどうの木からという事で「真理の御霊」はクリスチャンから出るという解釈もあるね。念のため、「聖書の預言」とは旧約聖書の事である。

おまけ