ヨハネによる福音書 その54
「19.その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
20.そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
21.イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
22.そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
23.あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
24.十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。
25.ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘(くぎ)あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
26.八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。
27.それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
28.トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
29.イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
30.イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子(でし)たちの前で行われた。
31.しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」
「ヨハネによる福音書」第20章19節~31節
感想
>24.十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマス
ドデモは正確にはディディモで双子という意味。
因みに、外典でイエスと双子説があるが、私は全く信じていない。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12105365097.html
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12105698774.html
>25.ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘(くぎ)あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
前から思っていたが、トマスに限らずイエスの弟子は全然イエスの言った事を信じていないよね。これはちょっとおかしい。
「11.彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。
12.この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。
13.このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。
14.その後、イエスは十一弟子(でし)が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」
「マルコによる福音書」第16章11節~14節
イエスは常日頃から死んで3日後に蘇ると述べていたし、ラザロの復活とかを目の当たりにした弟子もいただろう。だから、信じない方がおかしいと思う。やはり、聖書は真実だけを書いているのではなく著者が自分にとって「いい話」を書いているとしか思えない。ただし、大半は真実と考えている。
「9.墓から帰って、これらいっさいのことを、十一弟子(でし)や、その他みんなの人に報告した。
10.この女たちというのは、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤであった。彼女たちと一緒にいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。
11.ところが、使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった。
25.そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
26.キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。」
「ルカによる福音書」第24章9節~11節,25節~26節
因みに、敵の方がよっぽど色々考えている。
「63.「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。
64.ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子(でし)たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。」
「マタイによる福音書」第27章63節~64節
>29.イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
あまり関係ないが、頭(知識)で分かっているだけではダメで何事も体で分かっているぐらいでなくてはダメだろう。
おまけ