参考資料1247 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ヨハネによる福音書 その44
「16.しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」。
17.そこで、弟子(でし)たちのうちのある者は互に言い合った、「『しばらくすれば、わたしを見なくなる。またしばらくすれば、わたしに会えるであろう』と言われ、『わたしの父のところに行く』と言われたのは、いったい、どういうことなのであろう」。
18.彼らはまた言った、「『しばらくすれば』と言われるのは、どういうことか。わたしたちには、その言葉の意味がわからない」。
19.イエスは、彼らが尋ねたがっていることに気がついて、彼らに言われた、「しばらくすればわたしを見なくなる、またしばらくすればわたしに会えるであろうと、わたしが言ったことで、互に論じ合っているのか。
20.よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。
21.女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。
22.このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。
23.その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。
24.今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。
25.わたしはこれらのことを比喩(ひゆ)で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。
26.その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。
27.父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためでる。
28.わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである」。
29.弟子(でし)たちは言った、「今はあからさまにお話しになって、少しも比喩(ひゆ)ではお話しになりません。
30.あなたはすべてのことをご存じであり、だれもあなたにお尋ねする必要のないことが、今わかりました。このことによって、わたしたちはあなたが神からこられたかたであると信じます」。
31.イエスは答えられた、「あなたがたは今信じているのか。
32.見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである。
33.これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。」
「ヨハネによる福音書」第16章16節~33節

感想
>18.彼らはまた言った、「『しばらくすれば』と言われるのは、どういうことか。わたしたちには、その言葉の意味がわからない」。

イエスは本当に数年と思っていた事だろう。その時は天の父しか知らないらしいから。

「その日、その時は、だれも知らない。天の御使(みつかい)たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」
「マタイによる福音書」第24章36節

だから、現在のキリスト教は誤り(外れた預言)の上に成り立ってるのである。

「2:18子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。 2:19彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。 2:20しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。 2:21わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからである。 2:22偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。 2:23御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである。 2:24初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。 2:25これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。 2:26わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった。 2:27あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。

2:28そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。 2:29彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。」
「ヨハネの第一の手紙」第2章18節~29節

その証拠に弟子たちは「終わりの時」に生きていたと述べている。念のため、私はイエスを否定している訳ではない。むしろ、再臨を待望している一人である。その理由は、理不尽な病の苦しみなどを味わっている人が自らの信念で解放されて欲しいからである。

>21.女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。

千年王国が出来てしまえば、艱難は忘れると言いたいのだろうが、一説によると死者を妬むほどの艱難と言われている。

「21.その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
22.もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。」
「マタイによる福音書」第24章21節~22節

「地上の多くのものは破壊され、無数の人が滅びる。生き残った者は、死者をねたむほどの艱難に襲われる」
「ファティマ・第三の秘密」五島勉著より

>24.今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。

今までのキリスト教では「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」(「マタイによる福音書」第7章7節)と教えられたかもしれないが、これはイエスが存在している状態での話である。その証拠に23節にも26節にも「その日には」とイエスが再臨した後の事を述べている。

「5:14わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。 5:15そして、わたしたちが願い求めることは、なんでも聞きいれて下さるとわかれば、神に願い求めたことはすでにかなえられたことを、知るのである。」
「ヨハネの第一の手紙」第5章14節~15節

だから、こんな言葉を鵜呑みにしてはいけない。尤も、出来るだけの努力をした後に神頼みをする事は悪い事ではないが。(プラシーボ効果も期待出来るし。)
また、ヌミノース体験なども悪いとは思っていない。

「健常者の場合は、体験当初はヌミノース体験に戸惑うことがあっても、体験がその後の人生の転機となったり、またヌミノース体験を自分の中に取り込んで建設的な方向につなげていく場合が多く見られます。」
引用元:https://www.kbu.ac.jp/kbu/kyoinshokai/masters/19_matsuda/index2.html

念のため、そんなものが必要のない自分や周りを作る事が大事なのだろう。イエスが言う所の隣人愛。そのための手段が信仰義認か。

おまけ