参考資料1063 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

エルサレム入城 その6
「それからイエスは、群がる民衆に向かって説教をはじめ、それを三日か四日続ける。それぞれの日にどういう話をしたかは、福音書によって食いちがうので、うまく順序づけることができない。ただ言えることは、ふだんのイエスの話は身のまわりのことを例にしてたくみな譬喩をもって話すので、親しみやすいのに、このエルサレムの神殿の庭での説教は、とかく神殿派の人々に対する苦々しい気持のために、時にそれがトゲトゲしい皮肉をおび、さらには正面きっての痛烈な罵倒になっていることだ。しかし、さすがにイエスだと肯かせるみごとな言葉、当意即妙の応待、鋭い指摘も少なくない。
 彼はこんな譬え話から始めたようだ・・・・。
「ある所に一人の主人がいて、葡萄園をつくって農夫に貸し、長い旅に出た。季節になったので、農夫たちの所へ一人の僕を送って、葡萄園の収穫の分け前を出させようとした。ところが農夫たちはその僕を袋だたきにして、空手で帰らせた。そこで主人はべつの僕を送り、さらに三人目をも送ったが、その度に僕は侮辱を受けて帰ってくるだけだった。そこで主人は最後に愛する子供をやって、これなら彼らもたぶん大事にしてくれるだろうと考えた。ところが農夫たちはそれを見ると『あれは後とり息子だ。あれを殺せば財産はわれわれのものになるのだ』と語りあって、これを葡萄園の外に追いだして殺してしまった。では、葡萄園の主人はどうするだろうか。彼は出てきてこの農夫たちを殺し、葡萄園を他の人々に与えるであろう。」
 これは疑いもなく神殿の祭司やパリサイ派にあてつけたものだ。相手ももちろんそれを悟って、イエスを捕えようとしたが、イエスを予言者と信じている民衆を恐れて、敢えて手を出さなかったと聖書も記している。」
「聖書物語・新約物語」山室静著より

感想
>彼はこんな譬え話から始めたようだ・・・・。

いや、原文を調べるとその前に次のような譬え話をしているね。

「28.あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。
29.すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。
30.また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。
31.このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。
32.というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。」
「マタイによる福音書」第21章28節~32節

「終わりの時」にも同じ事が起こるのだろう。つまり、キリスト教徒や普段からアセンションなどと言っている人達は、新興勢力の洗礼者ヨハネが現れたとしても言う事なんか聞かないという事。

>これは疑いもなく神殿の祭司やパリサイ派にあてつけたものだ。

なるほど、主人が天の父であと取り息子がイエスか。

「42.イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
『家造りらの捨てた石が
隅(すみ)のかしら石になった。
これは主がなされたことで、
わたしたちの目には不思議に見える』。
43.それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国(みくに)にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
44.またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。
45.祭司長たちやパリサイ人(びと)たちがこの譬(たとえ)を聞いたとき、自分たちのことをさして言っておられることを悟ったので、
46.イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。」
「マタイによる福音書」第21章42節~46節

ところで、例え話ではなく旧約聖書の一節から「終わりの時」に神の国を受け継ぐのは異邦人らしい。これはユダヤ人ではないという意味だろう。または、キリスト教徒ではないという意味か。

補足
上の旧約聖書の一節は「詩篇」第118篇22節~23節。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%AF%87(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#.E7.AC.AC118.E7.AF.87

おまけ