参考資料987 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「死者を甦らせ、自然現象をもコントロール」の続き
「イエスの奇蹟(=超能力)は、“病気の癒し”や“空中浮遊”や“死からの蘇生”だけではない。自然そのものさえもコントロールしている。
 たとえば、荒れ狂う嵐さえも鎮めている。
「マルコ福音書」(第4章35~41)にはこうある。

「その日の夕方になると、弟子たちに言われた。
『向こうの岸へ行こう』
 彼らは群衆に別れて、舟にお乗りのままイエスのお伴をした。ほかに何隻かの舟も同行した。
 すると激しい嵐が起こって、波が舟に打ち込み、はや舟いっぱいになるほどであった。しかし、イエス自身はのほうで枕をして眠っておられた。弟子たちは起こして言った。
『先生、おぼれますよ。よろしいですか』
 起きられて、風をいましめて、湖に言われた。
『黙れ、静かにせよ』
 すると風はやみ、すっかり凪になった」
 さらにイエスは産業にも奇蹟を起こしている(「ルカ福音書」第5章1~11)。

「群衆が彼のところに押し寄せてきて神のことばを聞いていたとき、イエスはゲネサレト湖畔にお立ちであった。そして、小舟二隻を水ぎわに見かけられた。漁夫たちは小舟からおりて網を洗っていた。
 イエスはその一隻のシモンの小舟に乗って、岸から少し離れるようお頼みになり、腰をおろして、舟から群衆に教えられた。話し終わると、シモンに言われた。
『沖に出して網をおろして漁をなさい』
 シモンは答えた。
『先生、夜通しわれらは働きましたが何もとれませんでした。しかし、仰せですから網をおろしましょう』
 その通りにすると、魚の大群が入ってきて網が裂けかかった。
 そこでもう一隻の小舟の仲間に助けにきてもらうよう、合図した。両方の小舟が一杯になったので、沈みそうになった」」
「封印された《死海文書》の秘密」K.v.プフェッテンバッハ著・並木伸一郎訳より

感想
>「マルコ福音書」(第4章35~41)にはこうある。

これは以前にも取り上げたね。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12130073453.html

「35.さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
36.そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。
37.すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。
38.ところがイエス自身は、舳(とも)の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。
39.イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。
40.イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。
41.彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。」
「マルコによる福音書」第4章35節~41節

「23.それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
24.すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。
25.そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください。わたしたちは死にそうです」と言った。
26.するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。
27.彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。」
「マタイによる福音書」第8章23節~27節

よく読んだら「ルカによる福音書」にもあった。

「22.ある日のこと、イエスは弟子(でし)たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。
23.渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。
24.そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止(や)んでなぎになった。
25.イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。」
「ルカによる福音書」第8章22節~25節

しかし、「マルコによる福音書」と「マタイによる福音書」では「海」での出来事なのに、「ルカによる福音書」では「湖」での出来事になっているね。まぁ、翻訳の問題かもしれないが。とにかく、些事にこだわってもしょうがないだろう。だからインチキという論理は成り立たない。むしろ、イエスが存在しなくて全て作り話(死者の復活とか)だったらこんな単純なミスは犯さないだろう。(昨日の記事の矛盾もその場でメモを取っていた訳でなく、数年後に記憶をもとに書いたとしたら逆に作り話ではないリアリティーとも受け取れる。)

>さらにイエスは産業にも奇蹟を起こしている(「ルカ福音書」第5章1~11)。

産業にも奇蹟を起こしているというより超能力だね。例えば、

「17.弟子(でし)たちは言った、「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」。
18.イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。
19.そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。
20.みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。
21.食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった。」
「マタイによる福音書」第14章17節~21節

5000人分という事はそうとう増やしたね。因みに、「ルカによる福音書」の方の続きを紹介すると、

「1.さて、群衆が神の言(ことば)を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、
2.そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師たちは、舟からおりて網を洗っていた。
3.その一そうはシモンの舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。
4.話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。
5.シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。
6.そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。
7.そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るように合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。
8.これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。
9.彼も一緒にいた者たちもみな、取れた魚がおびただしいのに驚いたからである。
10.シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない、今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。
11.そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。

「ルカによる福音書」第5章1節~11節

獲った魚を全部捨てる事はいい事なのだろうか。やはり、イエスの超能力によるものなので常識外の判断なのだろう。因みに、初期キリスト教徒は仲間のシンボルを魚としていたらしいので、「人間をとる漁師」とは「羊に対する牧者」つまり牧師みたいなものだろう。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10540642325.html(真ん中ちょっと下ぐらい。)
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11088142449.html

おまけ