参考資料954 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

神殿破壊とともに聖櫃も消えた?
「ところが不思議なことに、聖櫃が『旧約聖書』に登場するのはここまでである。
 聖櫃にかかわる最後の記述は、次のようなものである。

「ソロモンはファラオの娘をダビデの町から、彼女のために建てた宮殿に移した。
『私の妻はイスラエルの主ダビデの宮殿に住んではならない。
そこは主の箱を迎え入れた聖なる所だ』と考えたからである」(「歴代誌下」の8章11節)

 これ以降、聖櫃に関する記述はなぜかふっつりと姿を消し、二度と現れることがない。ソロモン以後、イスラエルが戦争や紛争に巻き込まれなかったわけではない。いや、むしろ、ソロモンの栄華以後こそ、イスラエルの民は試練の時を迎えるのである。
 その歴史を簡単にまとめてみよう。

▼紀元前922年 王国が南ユダ王国と北イスラエル王国に分裂する。南北朝時代の開始。
▼紀元前722年 北イスラエル王国、アッシリアの侵攻で崩壊する。
▼紀元前598年 アッシリアを駆逐した新バビロニア王国のネブカドネザル王がエルサレムを攻略する。第一回バビロン捕囚。
▼紀元前587年 ネブカドネザル王、再びエルサレムを攻略、ソロモン神殿(第一神殿)を徹底的に破壊。第二回バビロン捕囚。イスラエル人の放浪がはじまる。
▼紀元前538年 ペルシア帝国のキュロス王によって新バビロニア王国が倒される。南ユダ王国のイスラエル人は捕囚を解かれる。一部がエルサレムに帰還し、第二神殿建設に着手する。
▼紀元前515年 第二神殿完成。

 王国の分裂、繰り返される強国による侵略、屈辱的な捕囚、どの場面をとっても、聖櫃が、スーパー・ウェポンとしての機能と能力を発揮してしかるべき場面が続いている。だが、どの場面にも聖櫃は登場しない。
 とくに注目すべきは第二神殿の完成時である。破壊されたソロモンの神殿に代わって建てられた神殿である。そこに当然聖櫃が安置されてしかるべきである。だが、『聖書』には、聖櫃が安置されたとは記述されていない。
 たしかに第二神殿完成を報告するレポート(『旧約聖書』「エズラ記」第6章13~22節)はある。が、そこに神の箱、主の箱、聖櫃の文字はない。
 なぜか。考えられる答えはひとつ。そう、聖櫃は消えてしまったのだ。
 ならば、消失はいつ、だれが、どこへ持ち去ったというのだ。だれもが抱く疑問である。それを、以下で推理してみようではないか。
 ただ、前提として了解しておくべき事項がある。前述のとおり、聖櫃は“ソロモンが神殿に安置した時はあった”ということだ。このことをおさえておいて、だれもが考えつく聖櫃消失説から検討してみよう。それは、
「紀元前587年、ネブカドネザル王が再びエルサレムを攻略した際、ソロモン神殿(第一神殿)を徹底的に破壊しているが、この時聖櫃も同時に破壊されてしまった」
という説だ。しかし聖櫃は、中をちょっとのぞいただけで七十人が死んだというスーパー・ウェポンである。それを破壊しようものなら、いかなる災いが降りかかるかわかったものではない。とくに異教徒が手を加えたらどうなるか、考えただけでも恐ろしい。
 では、持ち出されたとしたらどうだろう。だが、これも考えにくい。
 ペリシテ人に何が起こったかを思い出してほしい。聖櫃を移す町々にたてつづけに災厄が起きたではないか。であれば、新バビロニア王国にも災厄が・・・・。
 ところが紀元前539年に王国が滅びるまで、新バビロニア王国にめだった災厄は起きていない。それに、新バビロニア王国には、ふたりの大物預言者、エゼキエル、ダニエルが捕囚されていたが、もし、王国に聖櫃が運ばれていたなら、彼らが知らないわけがない。それなのに、彼らが書いたとされる『旧約聖書』の「エゼキエル書」や「ダニエル書」は、聖櫃について一言もふれていないのである。
 つまり、聖櫃は新バビロニア王国に運び去られてはいないということになるのだ。」
「封印された【黒聖書】の真実」並木伸一郎著より

感想
>「紀元前587年、ネブカドネザル王が再びエルサレムを攻略した際、ソロモン神殿(第一神殿)を徹底的に破壊しているが、この時聖櫃も同時に破壊されてしまった」
という説だ。しかし聖櫃は、中をちょっとのぞいただけで七十人が死んだというスーパー・ウェポンである。それを破壊しようものなら、いかなる災いが降りかかるかわかったものではない。とくに異教徒が手を加えたらどうなるか、考えただけでも恐ろしい。

この説が正しいだろう。前回も述べたが、聖櫃の力は背後にいる神(未来人)の力だろうから、その時はただの箱だったという事に尽きる。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/day-20160117.html

>ペリシテ人に何が起こったかを思い出してほしい。聖櫃を移す町々にたてつづけに災厄が起きたではないか。

因みに、イエス・キリストは生きる聖櫃のような人物である。「マタイによる福音書」第8章34節に「すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ」とあるからである。

「23.それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
24.すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。
25.そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください。わたしたちは死にそうです」と言った。
26.するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。
27.彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。
28.それから、向こう岸、ガダラ人(びと)の地に着かれると、悪霊につかれたふたりの者が、墓場から出てきてイエスに出会った。彼らは手に負えない乱暴者で、だれもその辺の道を通ることができないほどであった。
29.すると突然、彼らは叫んで言った、「神の子よ、あなたはわたしどもとなんの係わりがあるのです。まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか」。
30.さて、そこからはるか離れた所に、おびただしい豚の群れが飼ってあった。
31.悪霊どもはイエスに願って言った、「もしわたしどもを追い出されるのなら、あの豚の群れの中につかわして下さい」。
32.そこで、イエスが「行け」と言われると、彼らは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れ全体が、がけから海へなだれを打って駈け下り、水の中で死んでしまった。
33.飼う者たちは逃げて町に行き、悪霊につかれた者たちのことなど、いっさいを知らせた。
34.すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ。」
「マタイによる福音書」第8章23節~34節

この文章を読むと、「ペテロの第二の手紙」第3章3節~5節の内容は怪しいものとなる。所詮は弟子の言葉のせいか。(イエスの言葉は「神(天の父)の言葉」そのままらしい。)

「まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。」

悪霊は比喩で、「29.すると突然、彼らは叫んで言った、「神の子よ、あなたはわたしどもとなんの係わりがあるのです。まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか」。 」と「終わりの時」の「主の来臨」を認めているからである。(念のため、イエスもいつかは知らず、天の父しか知らないと述べている。また、弟子達が生きているうちと考えていた事は間違いない。)
「終わりの時」には、イエス・キリストの再臨を信じる者と黙示録の獣(反キリスト)の起こす奇跡に魅了される者に二極分化しているのではないだろうか。

おまけ