参考資料840 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

黙示録の第一の獣
「これから、ヨハネがパトモス島で見た二匹の“獣”の幻を要約してみよう。
 ヨハネは、“獣”が海から出現するのを見た―――ダニエルの四匹の“獣”も、海から現れた。
 ヨハネの“最初の獣”には、“ライオンのような口”がある。一方、ダニエルは彼の“第一の獣”をライオンに似ていると表現した。
 ヨハネの“第一の獣”は、“熊の足”を持つ。ダニエルは、“第二の獣”を“熊”のようだと書いた。
 ヨハネは、彼の“第一の獣”が“豹に似ている”と言い、ダニエルは自分の“第三の獣”が“豹に似ている”と記した。
 ヨハネの“第一の獣”には、“十本の角”があり、ダニエルの“第四の獣”も、“十本の角”を持っている。
 以上からわかるように、ヨハネの“第一の獣”が、実際にはダニエルの四匹の“獣”をすべて具現しているという結論は避けられない。
 したがって『黙示録』の“最初の獣”は、異邦人の世界帝国群の一体化された化身にほかならないという事実に、疑問をさしはさむ余地はなくなるだろう。この世界帝国こそ、ダニエルの時代からヨハネが筆をとった西暦96年まで、パレスチナの地とユダヤ民族とエルサレムを苦しめてきた国々なのだ。
 こうしたわけで、ヨハネが見たものは彼の時代までの異邦人の世界秩序だったことが、確信できる。しかし、西暦96年の時点では“獣”の寿命が尽きるのは、まだまだ先であり、“獣”はその後いくどか変身をとげる運命にあった。『ヨハネの黙示録』の“獣”は、その時点ではローマ帝国だったのである。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>以上からわかるように、ヨハネの“第一の獣”が、実際にはダニエルの四匹の“獣”をすべて具現しているという結論は避けられない。

私は「ダニエル書」の「第四の獣」と「ヨハネの黙示録」の「海からの獣」が同じではないかと考えている。

「その後わたしが見たのは、ひょうのような獣で、その背には鳥の翼が四つあった。またこの獣には四つの頭があり、主権が与えられた。その後わたしが夜の幻のうちに見た第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。(中略)
 そこでわたしは、さらに第四の獣の真意を知ろうとした。この獣は他の獣と異なって、はなはだ恐ろしく、その歯は鉄、そのつめは青銅であって、食らい、かつ、かみ砕いてその残りを足で踏みつけた。この獣の頭には、十の角があったが、そのほかに一つの角が出てきたので、この角のために、三つの角が抜け落ちた。この角には目があり、また大きな事を語る口があって、その形は、その同類のものよりも大きく見えた。わたしが見ていると、この角は聖徒と戦って、彼らに勝ったが、ついに日の老いたる者がきて、いと高き者の聖徒のために審判をおこなった。そしてその時がきて、この聖徒たちは国を受けた。」
「ダニエル書」第7章7節~22節

「わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名(みな)と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。耳のある者は、聞くがよい。とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。
 わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。」
「ヨハネの黙示録」第13章

「黙示録の獣」を見分けるのは簡単である。一度成功してから死ぬほどの傷(再起不能なほどの失敗の例えか)を受ける人物である。それ以外の例えばヒトラーのような男が現れても「黙示録の獣」ではない。(念のため、恐怖の男・安倍氏とか信じている人もいると思うが、安倍さんの一度目の首相の時の失敗は自分以外の人の失敗に足を引っ張られただけで別に「死ぬほどの傷」ではないだろう。)

おまけ