参考資料810 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

この国々はどこか?
「『創世記』10章を見ると、先の名前の起源がわかる。同章から、ゴメル、マゴグ、メシェク、トバルが兄弟であり、トガルマはゴメルの息子で残りの三人の甥にあたることがわかる。『創世記』10章5節には、この名前が三つのものを象徴することを明確に示す箇所がある。その三つとは、(1)異なった国々(2)異なった言語(3)地上におけるそれぞれ異なる居住地である。また『創世記』10章は、次の言葉で終わっている。「これらはノアの息子の子孫である。おのおのの民族は世代を重ね、洪水の後、この者たちから諸民族が、地上へ分かれ出た」
 ここで考証する『エゼキエル書』38章にあげられた名前は、マゴグ、ロシュ、メシェク、トガルマ、ゴメルである。

1 マゴグ
 西暦1世紀の軍人歴史家ヨセフスによると、ギリシア人はスキタイ人を“マゴグ”と呼んだという。スキタイ人は小アジアからロシア南部に入り、カフカス山脈を領土の南方境界線とした。ほかならぬ“カフカス”という言葉が、“神の砦”を意味するという事実は興味深い。これは“神”と“砦”というふたつの東洋語に由来する。これから、山々に民族の名の由来となる城砦を、南の守りとして次々に建設しつつ、北へ移住していった民族の姿が、鮮明に浮かびあがる。

2 ロシュ
 ラウザー主教は言う。『エゼキエル書に出てくるロシュが、固有名詞だとすると、それはスキタイの住人を意味する。現代ロシア人の名は彼らに由来するのである』と。アラクセス川の両岸に住む民族を東洋人たちが“ロス”あるいは“ロシュ”と呼び、同じ川がアラビア語では“ロシュ”となり、クリミア半島にいたスキタイ系のタウロイ人も同名で呼ばれたという事実は重要である。
 さて、イワン四世(いわゆるイワン雷帝)の時代まで、ロシアはモスクワ大公国と呼ばれた。これはメシェクから来た名称だ。イワン四世は1533年にモスクワ大公国の王位につき、1584年まで統治した。“ロシア皇帝(ツアー)”の称号を称したのは、彼をもって嚆矢とする。(ちなみに“ツアー”の語源は、“カエサル(シーザー)”である)
 ロシア帝国を創設したのは、最初モスクワ大公を名のったモスクワ諸侯たちだが、あの強大な帝国を実際に統合し、北は北海から南はカスピ海に達するまで領土を広げたのは、ほかならぬイワン四世だった。以来、この国はロシアと呼ばれた。なぜか?神が、この国はロシュ(あるいはロシア)と呼ばれると言われたからである。

3 メシェクとトバル
 これは南ロシアに進出したあと、同じ大帝国の北方へ広がった者たちの先祖だ。
 黒海東方にあるモシク山脈の住民は、モスキー人と呼ばれた。ヨセフスその他の権威によると、モスキー族(モスケーニー)の父祖はメシェク、トベル族(トベリテース)はトバルを先祖とするという。ここで、メシェクとトバルが、東、西部ロシアの二大都市モスクワとトボリスクに同定できることを示す。この仮説を、注意深く吟味することにしよう。
 モスクワはモスクワ大公国に、モスクワ大公国はメシェクに由来する。トボリスクの起源は、トバルだ。以前指摘したように、“メシェク”と“トバル”のギリシア語表記は、“モソク”と“トボル”である。この二都市のロシア名を比較すると、驚くべき新事実がわかる。
“モソク(Mosoch)”という名前を“モスクワ(Moscow)”と比べると、ともに第一音節が同じで、最後の“oc”という文字が違うだけだ。“トボル(Tobol)”と“トボリスク(Tobolsk)”を比較した場合、両方とも第一音節は事実上同じだ。ただ“sk”が加わっただけである。
“モスクワ(Moscow)”においても、“モソク(Mosoch)”と違うのは、“K”の音が最終母音の後ろにくる代わりに、先行するところだけだ。“トボリスク”には、最後に“sk”がつくが、これはロシア語でよく使われる接尾辞である。東部ロシアやシベリアの地図を見れば、主要都市の大多数がこの“sk”という語尾を持つことがわかる。
 これから、住民たちがその固有名詞にこの特別な語尾を付け加えたと断言できる。東部ロシアの都市“トボル”も例外ではなかった。本来、ギリシア語名だった“モソク”と“トボル”が、それぞれ東ロシア、西ロシアの首都であるモスクワとトボリスクを指すのは、疑問の余地がない。この変化の原因は、ロシア語特有の発音と表記で完全に説明できる。したがって、『エゼキエル書』38章の“メシェク”と“トバル”は、現在の“モスクワ”と“トボリスク”という都市だとわかる。
 このことから、問題の予言の対象は、この両都市を代表とする東、西両ロシアだと確認できる。筆者は熱心に研究をかさね、多くの図書館を訪れ、おびただしい書物を読みあさった。そのほかにも、各国の領事その他ロシアの言語と文化に精通した人たちと協議をつづけ、その結果、慎重にこの情報を確認したのだ。こうして、住民の居住地域、言語、過去に移住した事実が明らかになったわけである。これは知性的な人にも文句なく、充分に通用する科学的な見解である。

4 トガルマとそのすべての軍隊
 これは何者だろう?彼らをアルメニアの地を支配する人びととする者もいる。しかしアラル海南部と、同海とカスピ海のはざまに住むタタール族を訪れたドイツの言語学者フリードリッヒ・ヴォルフは、彼らが自分たちを“トガルマ”と自称していた事実を発見した。
 問題点がないではないが、最も蓋然性が高いのはあとの説のほうだろう。“トガルマ”がアルメニアを治める民族を表すとしたら、それはロシアの南にあたる。同時にそこは、パレスチナの北方だ。またアラル海とカスピ海の中間地域に住む人びとを指すとしても、そこはロシア本国の南方地域になるから、当然パレスチナの北方にあたる。
 両説とも、予言の条件を完全に満たすわけだ。ただ最初の説のために、アルメニアの北西にある黒海がときにトガルマあるいはリパトと呼ばれる場合があることは、特筆しておくべきだろう。またユダヤ人の著作家はトルコ人を“トガルマ”と呼び、しばしばアルメニア人を指して“タルゴム一族”と呼んでいる。
『来るべき北方連合軍』より抜粋」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
以前にもメシェクとトバルについては取り上げた事があるので参考までに。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11789803670.html

http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11945833997.html

http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12010899413.html

おまけ