参考資料730 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

救世主は死ぬ!
「《危機のうちに広場と堀は再建される》ダニエルはこう予言したが、まったくそのとおりになった。というのは、その出来事をユダヤの指導者ネヘミヤがこう記しているからだ。

 サンバラトとトビヤ、それにアラブ人、アンモン人、アシュドドの市民は、エルサレムの城壁の再建が進み、破損の修復が始まったと聞いて、大いに怒った。彼らは皆で共謀してエルサレムに攻め上がり、混乱に陥れようとした・・・・その日からわたしの部下たちは、半分が作業に従事し、他の半分が槍と盾、弓と鎧を身につけ・・・・城壁を築く者、もっこを担いで運ぶ者は、一方の手で作業をし、もう一方の手には投げ槍を取った。
ネヘミヤ記 4章より抜粋

 ダニエルが予知したとおり、まったく《危機のうち》にあったのだ。
 したがって、アルタクセルクセスのふたつの法令は、《復興と再建》を命じたものだと断言できる。出されたのは、紀元前458年から457年にかけてと、紀元前445年から444年にかけてである。
 では、予言者ダニエルの予言を全面的に引用しよう。

 こうして訴え祈っていると、先の幻で見た者、すなわちガブリエルが飛んで来て近づき、わたしに触れた。それは夕べの献げ物のころ〔午後4時頃〕のことであった。彼はわたしに理解させようとしてこう言った。
「ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た。お前が嘆き祈り始めた時、御言葉が出されたので、それを告げに来た。お前は愛されている者なのだ。この御言葉を悟り、この幻を理解せよ。
 お前の民と聖なる都に対して、七十週〔四百九十年〕が定められている。それが過ぎると逆らいは終わり、罪は封じられ、不義は償われる。とこしえの正義が到来し、幻と予言は封じられ、最も聖なる者に油が注がれる。
 これを知り、目覚めよ。エルサレム復興と再建についての御言葉が出されてから、救世主の到来まで、七週〔四十九年〕あり、また、六十二週〔四百三十四年〕あって、危機のうちに広場と堀は再建される。
 その六十二週のあと救世主は不当に断たれ、都〔エルサレム〕と聖所〔神殿〕は、次に来る指導者の民によって荒らされる。その終わりには洪水があり、終わりまで戦いがつづき、荒廃は避けられない。
 彼〔救世主〕は一週〔七年〕の間、多くの者と同盟を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる」
ダニエル書 9章より抜粋

 すでに述べたとおり、ユダヤ人は“神なる救世主”を待ち焦がれていたのであり、予言者ダニエルが予言したのはその救世主の到来であった。“神なる救世主”が現れるとユダヤ人のすべての問題は解決し、新時代の夜明けが訪れ、イスラエルの敵は打ち破られて、彼、救世主が永遠に君臨すると広く信じられていたのである。
 ところが、ダニエルの予言はそれと一致しないのだ。救世主が出現したら何が起こるかに関して、彼の予言は一般的な信仰とはまったく異なっている。
★ 救世主は死ぬ!
★ 救世主はいけにえと献げ物を廃止する!
★ エルサレムはまたしても破壊される!
“神なる救世主”が、死ぬ?偉大な予言者イザヤが、救世主は《力ある神、永遠の父、平和の君》になると予言していたのではなかったか?死んでしまうなんて、そんな救世主がいるものか。
 それどころか、ダニエルはそれ以上に受け入れがたい予言をした。信じられないことに、“神なる救世主”が日々のいけにえと献げ物を《廃止》すると予言したのだ。ユダヤ人にとってもっとも神聖な行為、父なるモーセの時代から“神”に命じられてきた、新年のいちばん大切な行事である過越しの祭りが廃止されると言うのだ。いけにえと献げ物が廃止される?それは、現代のキリスト教予言者が、まもなく神が降臨してキリスト教の信仰からイエス・キリストを消し去るだろうと言うようなものである。そんなことを思いつくユダヤ人などいるはずがない!
 またもやエルサレムは破壊される!だが、救世主は永遠の平和をもたらすのではなかったか?救世主信仰はそう語っているではないか。まったくありがたくない、とうてい実現しそうもない予言だった。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
著者の言いたい事は、「紀元前458年から457年にかけてと、紀元前445年から444年」に69×7=483年を加えると、西暦25年,26年,38年,39年でイエス・キリストが磔刑になった西暦30年頃を指しているという事だと思うが、ダニエル書では明らかに「終わりの時」を描いているのでダブルミーニングかシンクロニシティーだろう。
それより、五島勉氏も指摘しているように「エルサレム復興と再建についての御言葉が出されてから」を1948年のイスラエル建国と考えて、「1947年11月、国連総会がパレスチナ分割・エルサレム国際管理案を採択して、パレスチナ・アラブ人の犠牲によるイスラエル建国への道を開く」と「救世主の到来まで、七週〔四十九年〕あり」で1947+49=1996年11月頃に本当にそのような人物がいなかったかどうかを考察したい。
この人はどうだろうか。村井さん。
ところで、仏教で救世主といえば弥勒菩薩で56億7千万年後に現れると言われているが、これは暗号でというよりシンクロニシティーで日本の人口が56億7千万人に達する頃と考えると1995年で奇妙な一致を見せる。そこでその年に衝撃的デビューをしたのはこの人。当時の名前はマイトレーヤだしね。

>またもやエルサレムは破壊される!だが、救世主は永遠の平和をもたらすのではなかったか?

「十六世紀、キリスト教が伝えられて以来、日本では「神」や「救世主」の概念はひどく歪められた形で理解されてきた。多くの日本人は、漠然と「神」「救世主」とは私たち人間を不幸のドロ沼から救い出し、無限の愛で包んでくれる母のようなもの―――と思い込んでいる。救世主というものは「愛の力」によって私たちを戦争や貧困から救い出し、現在の平和と繁栄をいつまでも保ち続け、いつかは病気も戦争もない理想の人類社会を実現してくれる素晴らしい存在ということに相場が決まってしまっている。だが、本当の神というものは、そんなに人間に都合よくできてはいない。神は私たちに愛や安寧を一方的に送り続けてくれる「幸せ配達人」などではない。神とは私たち人間の意思や思惑を超えた絶対的存在であり、私たちとはまったく別の論理で動く、恐るべき存在なのだ。ときに神は私たち人類のケチな願望、思惑などまったく無視し、自分の造ったこの世界、宇宙を平然と精算し、また新しく造りなおすはかり知れない力を発揮される。しかもそれはきわめて無慈悲に行われる。本当の神は人間の意思、意向とはまったく無関係に動かれる場合があり、われわれとわれわれを取り巻くこの世界を滅亡させるということもされるのである。世の人びとは「今の平和を維持し、人類を核戦争の破滅の淵から救ってくれれば、それが救世主」と思いがちだ。しかし、そんな神様は本当の神様ではない。本当の神とは今の腐り果てた世界を、そのまま維持したりはしない。本当の神というものは、ときに人類の思惑、願いなどに聞く耳は持たず、この世界を破滅の淵に突き落とすこともされる。ある者を救うためには、ある者は滅ぼさねばならないのだ。つまり、この世を裁くことこそ本当の神の仕事なのである。本当の愛に満ちる者は、また激しく怒る者である。天地創造の神も同じだ。愛するゆえに怒るのである。長い間、農耕民族であり続けた私たち日本人は、共同体のなかで何ごとにつけても対立を忌避し、融和を重んじてきた。しかし融和を重んじるといえば聞こえはいいが、実際には原理、原則を無視したナアナア主義、無原則主義であった。そうである以上、私たち日本人の宗教観も、無原則なナアナア主義、あいまい主義に終始してきた。そのため、救世主の概念もひどくいいかげんで、あいまいである。だから前に書いたような、「何でもいいから、自分たち人間の都合のいいようにしてくれれば、それが救世主」というご都合主義的発想が、多くの人の頭を支配するようになるのだ。」
「666の大破滅」内藤正俊著より

どうしようもない奴発見。http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/52153275.html
補足:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%95%93%E4%B9%8B_(%E7%89%A7%E5%B8%AB)

おまけ