イエス・キリストの顔立ち
これら2つの似顔絵、同じナザレの人、イエス・キリストを描いたものである。左は主にこれまで多くの肖像画で描かれてきたものに近い顔立ち。右はかつて英国国営放送・BBCが、キリストの生涯を、科学的・考古学的に検証しながら詳細に追いかけたドキュメンタリー番組、「神の息子」においてコンピュータグラフィクスで作り出した予想の顔立ちである。この番組は4年ほど前に放映。キリスト教徒ではなく、イスラム系の男性キャスターが番組のメインパーソナリティとして制作。キリスト教に対する思い入れとは一線を画した内容であった。
小さい頃、私もしばしば見たイエス・キリストの肖像画は、そのどれも透き通るような白い肌、やや面長で細くすらっと通った鼻筋、美しくまっすぐな長い金髪あるいはブロンドの髪、瞳は碧眼、といったものが圧倒的で、決して褐色の肌、丸みを帯びた鼻などのものはなかった。
右側のBBC番組で紹介された似顔絵は、あくまでグラフィクス化した推測の画であるが、西暦1世紀、現在のイスラエル、地中海周辺に暮らしていた男性の骨格標本、肌の色、などを基礎にしてキリストの顔を出来る限り忠実に再現・復元しようとしたものである。ちょうど今の中東の人々に近い顔つきをした「イエス・キリストの顔」になっている。英のマンチェスター大・法医学教室が、今から2000年前のイスラエル周辺地域の男の頭蓋骨を調査して復元。髪、肌、顔立ち、質感などは、西暦3世紀の絵画に見ることができた当時のイスラエル周辺地域の男の姿を参考にしている。黒い巻き毛、褐色の肌。丸みを帯びた顔だちや丸い鼻。中東以外にもアフリカ、中近東、アジア各地にしばしばいる顔立ちに近い。
多くの視聴者がこの肖像画を見て戸惑ったそうである。私も少なからず驚いた。確かに聖書にはイエス・キリストの顔は褐色に近いものだという記述があるし、現実的に考えてみても、イエス・キリストの顔立ちが、白色、金髪、青い目といったものであった可能性は、どれほどひいき目に考えても非常に小さいと私には思われる。
もちろん、このグラフィクスの似顔絵は一つのサンプルでしかなく、また、当時のイスラエル地域、地中海周辺に暮らした人たち顔から推測して作り上げたものに過ぎない。イエス・キリストがこれに似た顔立ち、風貌をしていた可能性は低くないだろうが、言い切れるものでもない。しかし、それは、これまで多く描かれてきた直毛の金・ブロンド髪、白い肌、通った鼻筋の青い瞳という顔だち、風貌にも全く同じことが当てはまる。
マルコム・エックスはかつて刑務所に服役していた時、イスラム教の信仰心に目覚めたが、その際、刑務所を訪問し、キリスト教の講義、説教をしていた白人の牧師に対して、イエス・キリストの顔の色は白ではないと聖書にも書いてあるぞと挑戦的な質問をしたことがある。映画、「マルコム・エックス」にもその様子が描かれ、デンゼル・ワシントンが迫力満点に演じた。
マルコム・エックスは、一般社会に流布した、白は清く美しく汚れがない純粋な色で、逆に黒は邪悪で汚い色という観念が、いかに根拠のないものであるかをということを崩すことからその戦いを始めた。
「Black is beautiful.」
という標語を作って既成概念をひっくり返そうとしたことは有名。
前後編にわたり力作となったこのBBCの番組制作においては、新約聖書時代の記述を歴史的に厳密に再検証すべく、最新の考古学上の発見、科学技術を用いて取り組むことに腐心したとされる。もちろん、ここに描かれたことが当時の本当の物語であるかどうか、客観性があるかどうかは別問題であり、おそらく決着、結論は出せないだろうが、制作を担当したマイケル・ウェイクリンが言うように、新しい姿で蘇ってくる当時の様子もあり得る。
実は私は、金髪、碧眼、白い肌といった主イエス・キリスト像やその肖像画には、幼少時から何だかうまく言い表せない違和感があった。疑いようのない客観性があるものならばともかくとして、押しつけられた一定の輸入版イメージをそのまま押し頂く必要や義務はないので、私はあまりそれらに引っ張られないようにしている。
カトリック信者、ハリウッド俳優でもあるメル・ギブソンが、私財もつぎ込んでメガホンをとり作り上げた映画、「パッション」においても、イエス・キリスト役をジム・カヴィーゼル(Jim Caviezel)が、マグダラのマリア役をモニカ・ベルッチ(Monica Bellucci)が演じたが、実際の彼らをどこまで近かったか、ずれずに似せることが出来たかについては甚だ疑わしい。
イコン、彫刻、絵画、果ては紙芝居やアニメ映画にまで新旧両訳聖書の世界は形にされているが、それらは記録写真ではないし、正確性は保証されない。そういう前提を持って見なければならないと思う。
ネタ元:http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/50142414.html
感想
>確かに聖書にはイエス・キリストの顔は褐色に近いものだという記述があるし、
>イエス・キリストの顔の色は白ではないと聖書にも書いてあるぞ
これはないそうである。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php;_ylt=A7dP5XO.Cj1UYHwAgCFYAPR7?page=1&qid=1218946637&pos=1&ccode=ofv
「ヨハネの黙示録第1章第14節には『イエスの髪は羊毛状で足の色は真鍮色』と出ている。イエスは白人でない」とも主張したそうです。」
とヤフー知恵袋にあるが、前後を書き出すと、
「それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。」(「ヨハネの黙示録」第1章13節~16節)
とあり、比喩過ぎて話にならない。そもそもイエス・キリストの事かどうかも分からないし。真鍮ってくすんでない時は金色じゃない?(黄銅。五円玉とか。)
因みに、黒人説もあるらしい。http://www.kufs.ac.jp/toshokan/bibl/bibl153/pdf/p18.pdf
>実は私は、金髪、碧眼、白い肌といった主イエス・キリスト像やその肖像画には、幼少時から何だかうまく言い表せない違和感があった。
私も幼稚園はキリスト教系だったが、今日まで白人(金髪・碧眼)だなんて考えた事もなかった。中東の人だから浅黒くて黒髪で髭を生やして、でも左の絵に近いイメージだったね。(親父が聖霊で金髪の可能性もある訳か。( ´艸`))
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11932361659.html(4巻29番の詩はそのうち訳し直してみよう。)
「ルカによる福音書」第21章8節に、
「イエスが言われた、「あなたがたは、惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだとか、時が近づいたとか、言うであろう。彼らについて行くな。」
とあるが、これまでずっと偽救世主(新興宗教の教祖など)の事を暗示しているのかと思っていたが、イエス・キリストの顔なんて誰にも分からないから奇跡(凄い超能力)を見せたものがイエス・キリストを名乗るのだろう。また、「ヨハネの黙示録」に「イエスのあかしは預言の霊」とあるので、終わりの時には偽キリストの他に偽預言者も現れると聖書に記載されているのかもしれないね。
おまけ