参考資料443 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「例えば、22章を読んでくれるか、私が落とした部分―――。」
「『わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である。』(16節)」
「―――ってなってくるよね。それじゃあ、今度はその前の文章を読んでみて。その数行くらい前から。」
「『いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。』(14~15節)」
「うん。そこから、『わたしイエスは・・・・』と、急にテンポが変わるよね。」
「そう言われてみれば、確かにそうですね。」
「わかるよね、言ってることは。おかしいよね。だいたい一人の人間が文章を書くとして、テンポが変わるはずないよね。」
「うーん。ローマ帝国が、キリスト教を国教化するために『聖書』を整えましたよね。その時点でも、かなり手が加わっていますよね。」
「加わっていると思うね。それから、もっと後世でも加わっていると思うね、いろいろと。現に、616の獣の数字がバイブル(聖書)を表わしているというんだから、そのバイブルを全面的に信用するのは、軽率だと私は思いますね。」
「それにしても、616がバイブルだという解読はすごかったですね。だれ一人気付いていませんでしたからね。」
「あれ?何か編集の方で、同じことを言っている本があるとか言っていなかった?」
「あ、それは私です。ある信徒の方からの情報なんですが、宇宙人と交信した交信記録を出している会があって、そこが同じ解釈に立っているということだったんです。それは、ヤムヤーゼという宇宙人と話した結果だそうですが。」
「もしそれが真実だとしたならば、それと私の解読した智慧とは同じだということになるね。」
「―――要するに、それではですね、キリスト教が獣の宗教であると断定して、で、666を獣の数字と言っておるわけです。ただ、彼らは666が実際は616であったということには気付いていませんから、解釈は論理的ではないんですよ。それでも上っ面だけ見ている人にはですね、解読結果が同じであると見えるでしょうね。」
「ああ、実際には解読プロセスが全く違っていたのか。―――はい、次の質問は?S大師はどうだ?」
「な、ないです。」
「ない?M大師は?」
「疑問という意味ではないです。」
「滅亡から虚空へ」麻原彰晃著より

感想
>うん。そこから、『わたしイエスは・・・・』と、急にテンポが変わるよね。

確かに、それまでの「わたし」はヨハネか御使いだが、急にイエス・キリストが出て来るのはおかしいと言えばおかしい。
そもそも第1章の初めに「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである」とあるので、イエス・キリストはしゃべらないのではないだろうか?

>それにしても、616がバイブルだという解読はすごかったですね。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11277965790.html
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11587300215.html
因みに、「マタイによる福音書」第7章13~14節に、
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」
とあり、「滅びにいたる門は大きく」を現在の巨大なキリスト教と解釈すると、黙示録の獣=キリスト教徒もないでもない。ただし、イエス・キリストのようなカリスマ的な人物(偽キリストか)が現われない限り無理だろうね。
補足:「にせ預言者に警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。」(「マタイによる福音書」第7章14節)
アレフの人が喜びそうな事を書いてみました。( ´艸`)

おまけ