でもしか先生
「教育の現場にいる人間が、極端なことをしないようにするために、結局のところ何もしないという状況に陥っているという現実があります。実際には、物凄く厳しい先生は、生徒に嫌がられるけれど、後になると必ず感謝される。それが仮に間違った教育をしても、少なくとも反面教師にはなりうるということになる。が、最近ではそんな厳しい先生はいなくなってきた。下手なことをして教育委員会やPTAに叩かれるよりは、何もしない方がマシ、となるからです。反面教師になってもいい、嫌われてもいい、という信念が先生にない。なぜそうなったか。今の教育というのは、子供そのものを考えているのではなくて、先生方は教頭の顔を見たり、校長の顔を見たり、PTAの顔を見たり、教育委員会の顔を見たり、果ては文部科学省の顔を見ている。子供に顔が向いていないということでしょう。よく言われることですが、サラリーマンになってしまっているわけです。サラリーマンというのは、給料の出所に忠実な人であって、仕事に忠実なのではない。職人というのは、仕事に忠実じゃないと食えない。自分の作る作品に対して責任を持たなくてはいけない。ところが、教育の結果の生徒は作品であるという意識が無くなった。教師は、サラリーマンの仕事になっちゃった。「でもしか先生」というのは、子供に顔が向いていなくて、給料の出所に対して顔が向いているということを皮肉に言った言葉です。職があればいい、給料さえもらえればいいんだと、そういうことで先生に「でも」なったか、先生に「しか」なれなかった。そういう社会で、現に先生が子供に本気で面と向かって何かやろうとしたら大変なことになってしまう。その気持ちはわかる。親は文句を言うし、校長にも怒られるし、PTAも文句を言う。自分の信念に忠実なんてとてもできません。仕方がないから適当にやろうということでしょう。現在、こういう教育現場の中枢にいるのが所謂「団塊の世代」です。大学を自由にするとか何とか言って闘ってきた年代の人がそうなっちゃっているというのはおかしなことに思えるかもしれません。が、私は学園紛争当時から、彼らの言い分を全然信用していなかった。案の定、その世代が今、教師となり、こういう事態を生んでいる。」
「バカの壁」養老孟司著より
感想
>教育の結果の生徒は作品であるという意識が無くなった。
天海祐希が主演したドラマ「女王の教室」の最終回の言葉「教育は奇跡を起こせる」を思い出した。
>現在、こういう教育現場の中枢にいるのが所謂「団塊の世代」です。大学を自由にするとか何とか言って闘ってきた年代の人がそうなっちゃっているというのはおかしなことに思えるかもしれません。が、私は学園紛争当時から、彼らの言い分を全然信用していなかった。
この本は9年前に書かれたものなので、もう「団塊の世代」は引退しちゃったが、もともと学生運動なんて一人一人引き離して警察にでも捕まったら簡単に口を割ってしまうような人の集まりだろう。(一部の人生を棒に振ったような人は除く。)
「内藤国夫さんは、六月十七日の機動隊導入以降ずっと東大紛争の一部始終を追い続けていた。内藤さん自身東大出身で、ちょうど大学時代に60年安保闘争を体験している世代である。学生の言い分に共感できないでもなかったが、東大紛争の取材には、他大学と比べずいぶん「東大的いやらしさ」を感じて、やりにくかった、という。「自分たちの行動がどう報道されるかに寄せる異様なまでの関心。神経質なほどの反応。口うるさい批判。議論百出、百家争鳴の理論闘争。大学当局と学生との鋭い対立。それにも増して学生相互、とくに日共、反日共間の根強い憎悪感情。雲がくれする大学当局。確かにやりにくい相手である」と当時の「毎日新聞」(1968年10月15日付)に書いている。「学生はしょせん通過集団なんです」と内藤さん。「彼らの多くにとって一生の問題ではなく、せいぜい大学四年間の問題でしかなかった。長続きするはずがないんです。夏休みから十一月にかけての時期の学生は明るかった。学生たちが腹の底から意見を述べあい、楽しく議論しあっているのをみて、これが大学なんだな、と思いましたよ。素晴らしい時期だった。しかし冬になって、「自分はどうする」「一生を棒に振るのか」とつきつめたら、あっという間にくずれさっていった学生が多かったね。68年12月から翌年5,6月までは、闘いの緊張感もうすれ、暴力と対立と憎悪の、見てて不愉快な時期でした」(10年以上前なので何から抜粋したか忘れた。)
おまけ