参考資料16 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

真の親切
「話は、昭和四年のこと。梅路見鸞老師はその頃、弟子の一人の縁で、モダンガールの見本のような美人の若い女性を手許に預かっておられた。人は馴れてくるとずうずうしくなるもので、この女性も、やはり生来のでしゃばりがそろそろ頭をもたげてきたようで、ことあるごとに口を出して、かきまわすようになってきた。老師から、「可愛がってやれ」といわれていた奥様も、さすがに堪忍袋の緒が切れて、手きびしい一言を口にしてしまったのだった。ところが、このことを聞かれた老師は、「お前たちは終始一貫、人を可愛がりきらぬから往々にして道を誤る。一度愛するときめれば、相手が信じようが、従おうが背こうが、自分はいささかも変わるべきではない。人の向背によって真の心を乱されるようなことでは、どもならぬ。それは可愛がりようが足らぬからだ」と、奥様のほうを叱責されたのである。しばらく黙っておられたが、老師は、思い出したように、「そうじゃ、妹のことじゃ、あのことでも分かるであろう。相手がどう背いても、おれの心持ちに変わりはなかったであろう・・・・。あれだよ」といわれて、心の奥底まで見抜くような鋭く輝く目で、奥様をジッと見つめられたという。老師のいう妹のこと、というのはこういうことである。
以前、奥様の妹夫婦が、事情があって実家を出たことがあった。心配した老師が、その妹夫婦を手許に保護されたときのこと、ちょっとした事件が起きたのである。面倒見のいい老師は、その頃、失業したある男性を居候させていた。その男は、とても正直者だったが、感情的になる欠点があった。ある日、老師から前非を悔いるよう説教された男は、そのことを逆恨みし、何ヵ月も養ってもらった恩も忘れて、妹夫婦にこういい残して、老師の家を出ていったのだ。「老師はあなた方に食べさせるのを惜しんでいる」妹夫婦は、その言葉を真に受けてしまい、ひどく憤慨して、親戚じゅうへいい触らして歩いたのである。それを聞いて怒った親戚一同は、妹夫婦の味方をして、老師や老師の奥様に当たり散らし、妹夫婦を老師から引き離し、一軒家を借り与えたのだった。無欲恬淡、自己を殺して他に尽くすことを喜びとされる老師は、奥様に、「何事によらず弁解は無用だ」とおっしゃったので、奥様も、一言も弁解されなかった。そんなことがあって、三、四ヵ月後のある日、老師が車に乗っていたときのことである。居候していた例の男が、食堂の下働きでもしているような服装で歩いているのを見つけられて、「どうしているか、そんなことをしていては身を立てることもできまい。おれの宅へ来い。どこか会社へでも口を見つけてやろう」と、手持ちのお金を渡されたのだった。反省した男は、さっそく妹夫婦を訪ねて、嘘をついたことを詫びたのである。驚いたのは妹夫婦で、老師に詫びを入れようと、親戚の叔父らにその仲介を頼んだが、断られてしまった。その話を聞いた老師は、奥様に、妹夫婦を迎えに行くようにいわれたのである。「どうして老師に詫びようかと苦しんでいる」という妹夫婦に、奥様は、「そんなことに心をとめている主人ではない。何とも思わずに帰ってきなさい。何時もあんたたちのことを心配している」と、妹夫婦を連れ帰ったのだった。
話は元に戻る。老師は、奥様に向かって、こういわれたのである。「お前はいうであろう。可愛がっていたけれど、あんまりだから、と。相手の出方によって変わるお前の親切は真の親切ではない。お前に真実、心の奥底からの親切があるのかないのか、それをしっかりたしかめてみよ」奥様は、老師のいう「心の奥底からの親切の有無」の問題と対決されることになったのだ。奥様は、夫である老師へ懸命につとめてきたつもりの愛さえも、真の愛でないかもしれない、「妻としての資格の有無を問われたのだ。この問題が解決できなければ、私は老師の妻として資格がないことになる」などと、思い悩む必死の苦闘の日々の始まりだった。「今まで真の愛だと思い、真の親切だと思っていた自分の心や行ないが、掘り下げれば掘り下げるほど、利己的なものであり、あさましいものであること」に奥様は気づかれたのである。「その醜い自分と比較して、老師の親切や愛の行動が一分の利己的なものもなく、純一無雑(純粋なこと)な無私のものであることが、ひしひしと胸に迫ってきた」のだった。「どうすればこのあさましい自我を捨てることができるか、捨てようとすればするほど離れることができない自我」に、日夜さいなまれた奥様は、一ヵ月足らずの間に16貫以上もあった体重が、まるで糸のようにやせ衰えて、見るも悲愴であった。その間、老師はといえば、「寂光(解脱した境地の真理による発する光)というべきか、ますます冷たく冷えわたる寒月の如き有様であった」そんなある夜のことである。ちょうどその夜は「精射会」の日で、丸山先生(老師の弟子)を含む2~3人の弟子たちが残っていて、勝手(台所)の火鉢のかたわらにいた。力尽きた奥様は、死を決心して老師の前に出られたのである。奥様は、姿勢を正して、こういった。「私のようなものを永らく妻として置いて下さいまして、もったいのうございます」「妻だと・・・・おれは今日までお前を妻だと思ったことはない。お前は今夜死ぬかもしれぬし、また何十年生きるかもしれぬが、おそらく今後も妻だとは思わぬであろう。ただ一緒に暮して子を持つ縁によらねば救うことのできぬ、おれの肩にかかった衆生に外ならぬ、弟子とかのお同行といってもよい、おれの妻たるべきものはおれの心をよく知って、おれの心と同じうなった者、男ともあれ女ともあれ、それがおれの妻だ」と、老師は吐き出すようにいったのである。しばらくして奥様は独り言のように、「弓も引かせられず・・・・(弓も引かせていただけないで・・・・)」「弓を引いて悟れると思うか、死んで行くものに弓がいるか」そう言い残して、老師は、そのまま床に入られたのである。やがて、安らかな寝息が聞こえてきたという。老師の物に動じない風格に圧倒されながら、弟子たちはどうなることかとハラハラしながら、かたずを飲んで見守っていた。「しばらくすると奥様は、火鉢のかたわらに坐られた。さすがに丸山先生も蒼然たる面持で眼を伏せられていた。丸山先生は奥様の死の決心をよく看破されていた。十分間ほども沈黙が続いた。奥様のお顔は実に安らかであり、清浄そのもので、神々しいくらいであった」丸山先生が、「奥様、死なれるのもよいでしょう。しかしお子様方のことはお気にかかりませんか」とようやく語りかけると、奥様は、こう答えたのである。「子供は限りなく可愛ゆうございますが、あさましい心の私が育てて染めるより、仏のような心の主人が育てるほうが、子供のために幸福だと思います。主人がおりますから少しも心にかかりません・・・・」「そうですか・・・・」しばらくして弟子たちは、これが奥様との今生のお別れかもしれないと思いながらも、いつものように奥様を見送られて、帰って行った。のちに、丸山先生は、「人間が心の尊い苦しみから死に想到すれば、実に清浄そのものである。あの時の奥様の安らかさ、明朗さ、神々しさは、とうてい人間として見ることができないもの」であったと、繰り返し語ったという。翌朝になった。奥様は、昨夜とは打って変わって、血色もよく、明るく台所で働いておられた。老師が笑いながら、「お前の親切はどうなった?」と尋ねられると、「ホッホッホ」奥様は、ただ笑われただけであった。奥様は、「これ心無相(執着を離れた境地)」を大悟されたのである。」
「雀鬼と陽明」林田明大著より

http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10766921725.html