ジョージ・オーウェルの小説「1984年」の読書感想文(28歳の時に書いたもの) | シフル・ド・ノストラダムス

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ノストラダムスの暗号解読

この小説を読むまで「人間の自由と歴史的真実に関する過去の正確な記録との関係」というものを考えてみた事もなかった。確かに階層制社会というものは貧困と無知に基づいた場合にのみ成立し得るものであるという事は以前から考えた事はあったが、その無知というものが諸外国との比較のみならず過去の生活水準との比較もさせないという言われてみれば当然だなと思う事を今まで考えなかった事を少し恥ずかしく思う。また、この小説の中で上層階級の1人のオブライエンという人物は「現実は人間の頭の中にだけ存在するものであって、それ以外の所では見つからないのだ」と言う。つまり、過去及び現在に起こった歴史的真実というものは、記録の捏造と人間の記憶の操作によって簡単に変えられてしまうという事だ。では、過去の操作によって得られる支配階級のメリットを考えてみよう。1つは上にも書いたように過去との比較をさせないという事。つまり、自分は祖先より良い生活に恵まれ物質的安楽の平均水準も絶え間なく上昇中と信じさせる必要がある事。もう1つは党は絶対に間違いを犯さないという事だ。たとえ多少の考えの変更すら自らの弱さを告白するものとして、以前から変更後の考えをしていたものとする。恐ろしいのは、この「現実は人間の頭の中にだけ存在するものである」という考えを党員は全く何の疑問も感じずに信じているという事だ。文章中に面白くも恐ろしい部分があったので抜き書きしてみる。「チョコレートの配給量を週20グラムに増やした事で“偉大な兄弟に感謝するデモがあったようだ。ところがその配給量を週20グラムに減らすという発表があったのはつい昨日の事ではなかったかと彼は思う。それから24時間しか経っていない今、世間は果たして発表をうのみに出来るであろうか。出来るとも彼らはうのみにしたのである」つまり、オーウェルの作り出したこの世界での国民は党が黒いものをこれは白だと言ったならばそれを信じ込み、かつてその反対を信じていた事も忘れてしまう能力を持っている。次にこの社会の管理体制を考えてみる。まず、この世界では人口の85%を下層階級として人間と見なしていず、何をやっても自由としている。しかしその中で最も才幹があり、不満の中核となる恐れのある者は思想警察と呼ばれるものによって黙って消される。次に中層階級は党外局員と呼ばれる人達で、一生を思想警察の監視下に置かれている。ほとんど24時間テレスクリーンと呼ばれる監視カメラや隠しマイクで交友関係、余暇の過ごし方、妻子への態度、独りになった時の表情、寝言までも丹念に探索される。ここで恐ろしいのは、発見された際に確実な死を意味するような思想や行動は公式には禁止されていないという事である。つまり思想犯罪には法律はないのである。つまり、党員は幼年時代に何が正しい信念であるか何が望ましい感情であるか深く考えもしないで認識出来るような精神訓練を受ける。この社会では“偉大な兄弟”が全能であり党は絶対に過ちを犯さぬという信仰の上に成立しているのであるが、実際には“偉大な兄弟”は全能でもなく党も絶対に過ちを犯さない訳ではないから、事実の処理に不屈で臨機応変な柔軟な精神が必要となってくる。次に党員は性の純潔主義を強要される。文章中に面白い表現があったので抜き書きする。「セックスは灌腸と同じく、いささか不愉快で取るに足りない一操作と見なされなければならなかった。そういった性教育をやはり幼児期から党員全員に教育される。青年反セックス連盟という組織まであり、完全な独身主義を唱導している。」つまり、党は性本能を抹殺しようとする。何故か。性本能が党の統制力も及ばない独自の世界を創り出すから抹殺しなくてはならないという事。もう1つは、性本能を抑圧するとヒステリー状態になる事。それは、戦争熱と指導者の個人崇拝に転化出来る為に望ましい状態だという事からである。では何故、党は党員の戦争熱をあおるのか。それは、富の全般的な増加は階層性社会を破壊させる恐れがある事。すなわち、誰も彼も余暇と安定を享受出来るようになればそれまでは貧困の為に愚鈍化している大多数の人間が読み書きも出来るようになり、自分で考えるという事を覚えるようになる。すると彼らは遅かれ早かれ少数の特権階級が何らの職能も持たず、それらの人々を一掃出来ると悟るようになるからである。そこで戦争だ。ここでの戦争の目的は、一般的な生活水準を引き上げずに工場製品を消耗する事である。つまり、戦争の本質的な行為は必ずしも人命の破壊にあるとは限らず、むしろ労働による生産品を破壊する点にある。例えば、兵器が実際に破壊されていない場合でもその製造を継続するのは消費物資を生産せずに労働力を消費する一方法である。しかも戦争というのは、これらの必要な破壊を成し遂げる最も心理的に容認し易い方法である。というふうに戦争とは純然たる内政問題となっている。つまりこの世界では、戦争とは各国の各支配グループが自国内の民衆に対して行なっているのである。ただ社会構造の温存を計るが為に終わりなき戦争状態にしておくのである。話を管理方法という事に戻すと、次には子供という事である。子供達は親に反抗すべく組織的に仕向けられ、親の行動をスパイして逸脱行為があれば報告するように教育される。そして子供達は、党と党に関係あるもの全てを礼賛するようになり、合唱、行進、旗標、ハイキング、模型銃による訓練、スローガンの絶叫、“偉大な兄弟”への崇拝など全て子供達にとって素晴らしいゲームとなった。結果として家族というものは、恐ろしい事に思想警察の延長となった訳である。次に、これらの方法で発見された思想犯をどう扱うかに言及する。前出のオブライエンは言う。「ここでは絶対に殉教者を出さないという事だ。」というのは、過去つまり中世の宗教的迫害の際にまだ懺悔しないうちにつまり自分の信仰を捨てさせないうちに処刑した事によって数千の人間を蜂起させた事を言っている。次に彼はロシア共産党の方法論を分析する。「彼らは過去の異端審問が犯した過ちから教えられたと信じ、拷問と独房生活によって責め、卑劣な人間になり下げ、恥も外聞もなくへつらわせ、相手の言いなりに告白させ、仲間を告発して自分だけいい子になるようにさせ、泣きを入れながら慈悲を乞うまでさせた。ところが僅か数年で死者は殉教者になり、彼らの不面目は忘れ去られてしまった。何故か。彼らの行った自白は明らかに強制されたもので嘘で固められていたからだ」と言う。そしてオーウェルの作り出したこの世界では、これらの2つの例を踏まえた上で思想犯を拷問にかけ思想を矯正する。またよく考えたものだと思うのだが、人間には何か1つ位は弱点があるという事に目を付け、この主人公の場合はねずみなのだが、それを使い例えば愛という感情をも矯正する。そして党にとって邪悪なもの、あらゆる幻想を彼の心から焼き払ってしまう。すなわち、ロシア共産党の時のような形の上だけでなく、身も心も本来党に望まれる党員に仕上げてしまうのである。そして、そのような人間になって初めて彼は殺されるのである。最後にこの世界では言語をどんどん減らしている。新語法と呼ばれるこの語法の目的は思想の範囲を縮小する為で、最終的には思想犯罪自体を不可能にしてしまうという。全く持って恐ろしい世界だと思う。
この小説を読んで勉強になったのは、社会主義にとって客観的真実の存在と歴史的事実が必要不可欠なものであるという事。そしてそれら無くしては、独裁主義、全体主義におちいり易いという事である。