北島三郎の歌手人生が、渋谷駅周辺の「流し」から始まった
のは有名な話です。 函館の高校を中退した北島は、18歳で
歌手をめざし何の伝も無しに上京し、音楽学校に入学するも、
教えてくれるのはクラシックでした。 さすがに、これは違
うと思い、渋谷の飲み屋街を流す演歌師として修業を積むこ
とにチャレンジする。 そして苦節8年、ど演歌「なみだ船」
でレコードデビューのチャンスを掴みました。
翌年、新設クラウンレコードに移籍して2年後に花が開きます。先ずは任侠もの「兄弟仁義」で、次が望郷もの「帰ろかな」、
そして”女(ひと)シリーズ”第一弾「函館の女」と3作続いて
大ヒット。 ♪はるばる来たぜ函館へ♪
そう、当時は、上野から特急で青森へ、そこから青函連絡船で
函館まで、締めて15時間も掛かっていました。
その後、"女シリーズ"は8曲発売され、1曲を除いてヒット曲に
なっています。 その"転けた”1曲が「なごやの女」。
歌謡界にジンクスが有り、曲名に名古屋が入るとヒットしな
いというもの。 なので逆に、名古屋の付いた曲名の歌は
あまり作られていないということ。
つまり、この曲は、果敢な、そして余裕の挑戦だったのです。
因みに、わたしが好きな北島節は、「なみだ船」ですね。
合田道人著 「昭和歌謡の謎」参照