函館の女(ひと) | hitonotoumadeのブログ

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60歳→65歳→ついに『75歳のブログ』

北島三郎の歌手人生が、渋谷駅周辺の「流し」から始まった

のは有名な話です。 函館の高校を中退した北島は、18歳で

歌手をめざし何の伝も無しに上京し、音楽学校に入学するも、

教えてくれるのはクラシックでした。 さすがに、これは違

うと思い、渋谷の飲み屋街を流す演歌師として修業を積むこ

とにチャレンジする。 そして苦節8年、ど演歌「なみだ船」

でレコードデビューのチャンスを掴みました。 

 

翌年、新設クラウンレコードに移籍して2年後に花が開きます。先ずは任侠もの「兄弟仁義」で、次が望郷もの「帰ろかな」、

そして”女(ひと)シリーズ”第一弾「函館の女」と3作続いて

大ヒット。 ♪はるばる来たぜ函館へ♪ 

そう、当時は、上野から特急で青森へ、そこから青函連絡船で

函館まで、締めて15時間も掛かっていました。

その後、"女シリーズ"は8曲発売され、1曲を除いてヒット曲に

なっています。 その"転けた”1曲が「なごやの女」。

 

歌謡界にジンクスが有り、曲名に名古屋が入るとヒットしな

いというもの。 なので逆に、名古屋の付いた曲名の歌は

あまり作られていないということ。

つまり、この曲は、果敢な、そして余裕の挑戦だったのです。

 

因みに、わたしが好きな北島節は、「なみだ船」ですね。

 

合田道人著 「昭和歌謡の謎」参照