渋谷時代 | hitonotoumadeのブログ

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60歳→65歳→ついに『75歳のブログ』

生まれ・育ちは、渋谷区の代々木上原。 

後年、スポットライトを浴び有名になったが、当時は東京の

外れで、まさに田舎町だった。 メインストリートには、時

おり馬が引かれて通行していたのだ。 あちこちに馬糞が

町並みに溶け込んで落ちていた。 その表通りに交差した脇

道の所々に肥溜めが大きな口を広げており、わんぱく坊主が、

はまってしまったりが、町のニュースになったりしていた。

 

無事に育った私の通った高校は、渋谷駅から歩いて15分ほど

の所に在った。 同じ区内でも、渋谷駅への直通便は、バス

しかなく、家族で出かけるのは、専ら、下北沢か新宿だった。

通学も、小田急線で新宿に出て、山手線に乗り換えだ。

 

ある夏の休日、立川に用事が有ったその帰路のこと、魔がさ

して・・・常習だった?「キセル」をした。 立川で最短の

切符を買い、新宿駅の乗り換え用改札は、通学定期で通過す

るのだ。 ところが、駅員に声を掛けられる。 バレたのだ。

当たり前だった。 真夏だったので、上は半袖ワイシャツで、

その胸ポケットに切符を入れていたのだ。 自らキセル乗車

を宣言しているようなものだ。 

『学校には連絡しないから、二度とやっちゃ駄目だよ。』

いい時代だったね。 まあ、あまりの見っともなさに、素直

な態度だったのが良かったのかな。

 

家族の時代は、下北沢&新宿だったのだが、定期があるので、

新宿&渋谷に替わっていった。 当時は、そんなに乱れてい

なかった歌舞伎町には、足繁く通ったものだ。 とは言って

も、資金が無く、歩き回るだけだったけど。

渋谷の方は、学校の所在地なので道玄坂は一度も通らず、専ら

校内で過ごしていた。 部活というよりも、仲間と「セブン

ブリッジ」三昧だった。 今にして思えば、ギャンブル依存症

にならなくて良かったこと。

何しろ、定期を買わずに遊び資金にしてしまい、1ヶ月徒歩で

通学したことがあったほど、パチンコ屋の「麻雀ゲーム」に

無我夢中になっていた。 危ない、危ない。

若さと言うか、根性と言うか、片道2時間半かな? ブラブラ

歩きだったからね。 流石に、1ヶ月だけだったけど。