私はこれまで5つのブログを作りました。

一つ目はヤフーブログで、夢を追いかけてというタイトル。

そのものが終了してしまいなくなってしまった。

2つ目は夢をあきらめたと時に作ったブログ。

3つ目と4つ目は仕事のブログ

5つ目がこれ。

1つ目と2つ目の時が一番若く、悩み多いけれども持ちつつ進んでいた時のもの。

今の仕事を初めて13年目、時がたてばたつほど昔の記録もなくなってきて、自分の歴史が消えてしまうような寂しさがあった。

でも、先日そのブログを発見したどってみると、ブログ開設の日からすべて見ることができた。

あの頃の様子がはっきりと思い出されるようでとっても嬉しかった。

読んでいるうちに、私は13年前から同じことを言い続けてきたんだなあと、改めて感じた。

私的なブログでは自由に自分の考えを書くことができていたのだが、組織のHPとなると、その立場で言っていいのか迷うことも多くなり、書けなくなってしまった。

でも、やっぱり自由に思いを出したい時もある。

きっと私にはそんな場所が必要なのかも。

だから時々、思い出してはここで書いたりしている。

またここにきて自分を出していこうと思う。

来年度の保育士たちの研修、何を入れていくかの検討委員会があった。

ここ数年虐待の研修は必ず入っている。

確か昨年は、虐待を受けている子どもたちの実態(自分のいる地域の環境、実態数)を知ることや、

児相のお世話になった子供たちのそれからなどを知ったうえで、私たちにできること(保育園での

親子や地域に向けて)が考えられるような研修をと話した覚えがある。

これまではそうだった。

ただそれでよいのか?何か皆、疑問はないのか?

昨年保育士による虐待がたくさん話題になりましたよね、という発言をしてみた。

皆、そうね~とうなづく。

暴力的なことやネグレクトだけが虐待やじゃないんじゃない?

例えば、これで遊んでいいよといくつかのおもちゃを出してあげる。しかし、それではないもので

遊びたくなった子が違うおもちゃを出そうとすると、怒られる。

これってどうなの?

公園で遊んでいても、その先生のその許容範囲によって子供の遊びの世界が変わってくる。

経験がないから?でも、経験のある年配の先生であってもじゃない?

大人の都合の良いようにしてくれることが良いことであって、大人の考えたこと以外の行動をとる

ことは許されない。

言葉かけも、友達同士の会話と子供に対する言葉かけも変わらない大人がすごく増えている気がする。

子どもの気持ちに寄り添うという耳触りの良いことをどの園でも掲げているけど・・

子供の気持ちをどうくみ取る?

子供たちはどうされた時が嫌なのか?

困ってしまうのか?

悲しいのか?

それを感じてあげられない人が増えていないか?

経験ある保育士がどんどんやめていなくなり、若い保育士ばかりのところも増えている。

学び、教え合いが出来なくなっている。

親の虐待云々ではなく、保育士であっても世話ではなく子供をのびのび育てる保育というものを

どれだけ理解しながら仕事をしているのか・・

今は保育=世話になっていないか・・

・・露骨に保育士向けに虐待するなという研修ではなく、子供の自由を奪うことや子供を傷つけたり、

やる気を失わせる言葉かけはどんなものなのか‥大人の行いがどのように子供の育ちに影響していく

のか・・それを感じられる研修もあってもいいのではと提案してみた。


親に言いたくても言えなくなってきている。

昔は子供を人質に取られているから親は物が言えないということが言われていたけれど、今は、親と

話した後で親が子供に対して何をするかわからないから、言いたいことが言いにくくなっているという

話が出た。若手の保育士が私たちは何ですか?保育士の役割って何ですか?といったという。

こんな思いをしなくてはならないのも時代なのか?

でもね、それをそのままにしておいてよいのか?

困ったっことですで終わらせていいのか?

サービスは誰にするものなのか、その言葉が保育の世界にどう必要なのか、私にはよくわからない

保護者の手を煩わせません、お洗濯も、こちらで全部しますから。

駅近、手ぶらでOK!

休みの日もゆっくりしてください、お子さんはお預かりしますからというところもあれば、言っては

いないけれど、親は休んでどこかへ遊びに行っていつものように暗くなってからお迎えに来るケースも

少なくないという。

そんな事例がいくつも飛び出してきた。

なんかもうわたしね、もうこの場に呼ばれなくなってもいいやと思って話すことにしたの。

保育士という立場から、子供をどう育てるか、どう育ててあげることが子供の育ちに良いのか、今何が

大事なのかを、もっと伝えてもよいのではないか?って。言えない、言わないでずっとやってきた

保育園はどうなった?とうとうサービスを売りにするようになってきてしまった。

そこにいる子供たちのことを考えてあげること、子供の気持ちを代弁していくことはいけないことで

はない。でも、親ならやって当たり前、できて当たり前ではなく、親の立場、心情をいかに感じてあ

げるか、そのうえで一緒に育てていこうと支えてあげなければ、こちらに目を向けてはもらえないの

ではないか?もっと言えば社会を変えていかないと、社会運動につながってくることだけれど、

そこまで行ってしまうと、話が長くなるけれど、親自体もがんじがらめの中で自由がなくなっている。

ゆとりのない中からはやわらかい気持ちは出てこない。

だから少しでも支え気持ちを和らげてあげながら、今しかないこの時を乗り越えようと、一緒に歩こ

うと、そこまで支えてでもしっかりと育てる力をつけてあげないといけないのではないかって。

親が親になるための子育てを支えることが保育園の役割ではないのかって。

あまり、そんなことを発言する人がいないから、ね。でも、せっかくの場だから言わせてもらった。

保育園、保育士がころころ変わっている。

一つのことをみんなでじっくりと考えたり、みんなでそれを積み上げていったりすることが出来て

いるだろうか。

自由に気楽にできないところにいると、もっといいところはないかという気落ちになるのか、

それとも先輩たちの保育を見ていて嫌気がさすのか、もっといい保育をしているところに行きたい

と思うのか、転々とする理由はいろいろあるだろうけれど、自分にとっていいところは、探しても

そうないものなんだよね。だって、それは自分で作っていかないと手に入らないものなのだから。

自分の思っていることを、疑問を、それはどうなのかを話し合い、みんなと共有して一緒に進んで

いくことでしかできないものだから。

自分の意見と違うからやめる、分かってくれないからやめる、でも、それで次のところに行った

ら変わるのかな。同じことを繰り返していくのではないかな。

そこなんだよね。

いいとこ探しは今を見つめることからだと思うんだけど。

踏ん張ることも必要なんだよ。

踏ん張るとか頑張るとかいう言葉が人を苦しめるとばかりに踏ん張る必要はないよという人もいるけ

れど、では、どこに行けば楽になる?

でもね、確かにつらさを一緒に乗り越えられる人間関係の持てる職場もないのかもしれない。

子どもに対してだけではなく、こうでなくてはいけないという大人に対しての拘束のようものも

あるのかもしれない。自由に安心してモノが言えて、失敗を次の糧として受け止めてくれる環境

もないのかもしれない。

そのような、ないないの中で育った人が親になり、保育士になっている時代なのだろう。

それは本当に大きな問題で、どうしたら大人が育つか・・そこからなのかもしれない。

そんな会議をした後で、こんな記事を読んだ。

http://toyokeizai.net/articles/-/204757


長い文章を読んでいただいた上にこんな記事まで乗せてかなりの時間を費やしてくださりありがとう

ございました。
この仕事をしてから本当にいろいろな人との出会いがある。

自分の知りたいこと、求めたいことを追求していくうちにいろいろなところでいろいろな人との出会い

につながる。


ありがたいなあと思う。

求めているものはなかなか手に入らないし、そう簡単に手に入るものではないのだとそう日々実感する。


でも、そのつながった人たちから得る知識が次への道が広がっていくのもわかる。

全て今自分に必要なものなのだ。

私はよく思うことがある。

人は何かを与えられて生まれてくるらしい。

その与えられた物とは、その人の使命らしい。

そう解釈したのはよく、誰かが亡くなると、その人の与えられた使命が果たされたから天に帰って

いったのだという話を聞いたから。

ということから、じゃあ私に与えられた使命って何だろうと考える。

その使命を果たすまで私は死なない?死ねない?のだ・・。

まあ、思い当たる節がある。

今、私に課せられたことが使命なのかって。

馬鹿正直にまっすぐに生きるしかできない自分だけど、きっと知らないうちにその使命を果たす方向

へと進んでいるのだろうな・・と考える。

そう思うと、これまで自分が生きてきて経験してきたことはすべて試練なのかなと。

一つ一つ過ぎていきながら進んできた方向は本当にぶれてないから不思議だ。

だからきっと、それが私の進む道なんだろうなと。

これを読んでも私以外の人には何を言っているのかわからないかもしれないけれど、私の天職、天命

なのかなと、一人納得してしまうのだ。

だから、何があってもへこたれないですんでいるのだろうな。

頭を抱えてしまいたくなることもあるけれど、何とかなるさ・・でやってこれた。

きっとこれからも・・。

そう思いながら自分を励ましてる。

今日も又一つの出会いが深まり、そこから違う人との出会いもつながっていきそうだ。

自分の不足しているところを埋めていかないと・・

そう思いながらいろんな知識を入れているうちに少しずつ物事が見えてくる。

あ~、また勉強していかないと・・。

このところ、本も読めなかったから・。

読まなきゃといつも思っていたところだったから、気持ちを作っていかないとね。