本日ネット上で、すぎやまこういちさんの訃報を知った。

 

45年前、六本木のステーキハウス「ウルフギャング」で

すぎやまご夫妻、橋本淳氏と私でステーキを食べたのが

すぎやまこういち氏との最後の晩餐になった。

氏はお酒を殆ど飲まず、いや飲めず、

たばこは殆どチェイン・スモーカであった。

 

初めてお会いしたのが、19661115日、

我々のバンド、「ザ・ファニーズ」の最後の日、

フジテレビの「ザ・ヒット・パレード」スタジオのミキサールームで

渡辺プロダクションの社員に同行されて紹介された。

 

氏がバンド名はあるのかと問いかけた時、

渡辺プロの社員は我々を制して「まだないので命名して頂けますか」と言った。

すると氏はどこから来たのかと尋ねられた。

メンバーの誰ともなく関西から来たと答えると、

それでは「ザ・タイガース」にしようと即決された。

これが我々バンド名「ザ・タイガース」の最初の日になった。

 

細く高い声、細く小柄な身体の中に贅肉をそぎ落としたような

無駄のない語り口、そのよく通る声に恐ろしいほどの鋭さを一瞬に僕は感じた。

まだ僕はバンドのリーダーであったから余計に感じ過ぎたのかも知れない。

 

同年121日にポリドール青山スタジオで

デビュー曲「僕のマリー」のレコーディングとなった。

119日、東京へ出て来てまだ一か月も経っていない。

レコーディングも緊張の連続で生きた心地がしなかった。

この曲はザ・タイガース一連のすぎやま作品組曲の第一楽章であると

氏は後に述べられた。

 その後次々にヒット作を出してザ・タイガースは日本一のバンドとなった。

全て氏の作品群のおかげである。

 

氏は90歳でノーベル賞を受賞された真鍋さんと同年齢、

まだまだご活躍をと思っていた矢先にご逝去されたことが残念でならない。

 

最終楽章を、ザ・タイガースで聴きたいと思っていたが、もう永遠のお別れ

「花の首飾り」と「君だけに愛を」をすぎやまこういち氏に。

 

本当に有難うございました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

                     ひとみみのる黙祷

                         

                              2021107日記