8月もあと数日で終わります。

連日の猛暑に本当に秋がくるのか心配になります。

毎朝の散歩では処々に咲く花が楽しみです。

 

<百日紅>

百日紅の季語は夏ですが、

木槿(むくげ)も朝顔も季語は秋。

ぼくは殊にそのはかなさ故か木槿が好きです。

 

<木槿>

<朝顔>

 

先日セミでやり取りを交わした池田光璢さんは今も長野に滞在中で、

あとひと月で帰京される由。

今年のバースデーイベントの頃でしょうか。

池田さんと夏の終わりの所感をメールでやり取りしました。

 

【池田さん】

人見さん

東京は猛暑がぶり返しているようですが、

一時帰京する9月1日、2日あたりは少し涼しそうなので、ホッとしています。

今日も聞こえる蝉の音、帰って行く山荘の人たちを送って鳴いているようです。

                   池田 光璢

 

【瞳】

光さん:

都会の猛暑コロナ禍、何とかそれを凌ごうと、

ひたすら、堪えに耐え忍び難きを忍んでいます。

秋の訪れを息を潜めて待つコオロギのように

「蛮暑」の通過を待っています。

 

熱くて暑くて、仕方なく、夜型の生活を朝方に変えています。

散歩は朝方、昼は出歩きません。

陽が落ちる夕方も考えられますが、やはり日中の暑さが

残っているので早朝の方がいいようです。

または深夜、だけど深夜徘徊は近所迷惑。

僕のように歌って歩くながら族には不向きです。

完全に不審者でパトカーがすぐにやって来るでしょう。

 

まさしくサマータイム。1920年代アメリカ南部の綿摘みの

黒人たちの過酷な生活の裏返しの歌がこの季節には合います。

 

ちなみに、僕の原文に近い訳文の歌詞では

「夏の日 命に溢れ 魚は跳ね花は舞う パパは金持ちママは美人

可愛いベビー泣かないで、何時の日にか あなたは巣立ち 

翼広げ大空翔ける その日まで 心配ないよ パパとママそばにいるから」と。

 

今は歌いませんが、子供がまだ1歳の赤ちゃんだった昨年、

子守唄代わりに英語と日本語で歌っていました。

 

避暑を終え山荘を後にする人へ

「ひぐらしの 間もなく夏も 終わるころ 別れを惜しむ 声なお響く」

                          ひとみみのる

 

この夏、多くのお仕事をこなされて

きっと秋に向かって大いなる収穫を得られたことでしょう。

その成果楽しみにします。

 

 

【池田さん】

たった一つ「セミ」ということばから、いろいろに連想がわいてきました。

ヒグラシやツクツクホウシにはもちろんいろいろ思い出がありますが、昔、笛(能管)を習っていた時、「空蝉橋下」という交差点を渡って、稽古場に通っていました。

池袋と大塚の間、JRの上に橋がかかっていますが、

それを「空蝉橋」と言うのだそうです。

 

稽古場は、大塚で降りて、少し池袋方面に戻ったところにありました。

 先ほど、湖まで散歩してきました。 もうすっかり秋の風景です。 

湖も秋の色になっています。

 

8月末になると、山荘からもどんどん人が消えていきます。

おやじは、山荘生活のことを「山中暦日なし」という表現で語っていました。 

その暦日のない生活をあとひと月続けたら、こちらもまた都会生活に戻ります。

 

年にふた月、そんな生活を続けられるとは、ありがたいことですが、

都会人に戻るのも、結構大変です。

                    210827 池田 光璢