「ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの・・・」と

室生犀星(1889―1962、詩人・小説家〉は

故郷金沢で詠んだ(「抒情小曲集」1918年)とされる。


文人であろうとなかろうと、

「故郷」が如何なるものか規定するのは難しい。

今僕は東京に住んで自分の故郷、

京都について「京こそ恋しけれ」と題して詠う。

 

郷土の風土が自分に及ぼした影響は計り知れない。

毎日東北の比叡山、西北の愛宕山を見て、

東南、鳥辺山の煙となった父、

西南、35歳の若さで五条桂川橋上で天に上った兄、

2歳の時に旅立った母、

この地には僕の様々な肉親が存在した。

 

「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、

久しくとどまりたるためしなし・・・・」と

鴨長明(11551216、平安末—鎌倉、歌人・随筆家)は詠んだ。

 

昨年の暮れ、ライブで京都に宿泊しての朝、

その加茂の河原を散歩していて、

それらのことが浮かんでは消えた。

それらは東京へ戻ってから詞になった。

愛する古都、故郷京都、「京こそ恋しけれ」と。

 

         2021511

                           ひとみみのる記