また一人、古い友人が世を去った。
今年ではブルーコメッツのジャッキーさんの死に次いで。
マモルと最初にあったのは、ザ・タイガースとして出場した、比較的早い時期、
確か1967年ウエスタンカーニバルでの
最初の音合わせだったと思う。
当時ザ・ゴールデンカップスは実力あるバンドとして
横浜本牧で名を轟かせているとマネージャーの中井國二から聞いていた。
舞台で共演し、その後カップスのメンバーとひどく気が合い、
特にギターのエディ潘と仲よくなった。
それからしばらくして、
ベースギターのルイズルイス加部、
ドラムのマモル・マヌーらとも横浜で個人的に会うようになった。
そんなある時、どのようないきさつからそうなったのか
今となっては記憶にないが、
マモルが僕に妹を紹介するということになり、彼女と付き合い始めた。
1968年8月2日渡辺プロダクションが主催して
軽井沢で開かれた納涼大会「真夏の夜の夢」の前日
夜中に東京からタクシーで彼女を連れ出し、
渡辺プロの所有している宿舎に同行した。
その時、同じ宿泊者の植木等にひどく叱られ、
彼女一人をタクシーに乗せて帰らせた悲しい思い出がある。
彼女とはそれが遠因となって、その後交際を深めることがなかった。
翌8月3日、渡辺プロの主要タレント一同で
軽井沢にある時の総理大臣、佐藤栄作の別荘を訪問した。
マモルとはその後も主にウエスタンカーニバルなどで顔を合わせたが
僕が芸能界を去ってからは一度も会っていない。
マモルは老いた母親の世話で大変忙しいと、
2016年に僕のバースデイイベントに参加してくれたエディ藩から聞いていた。
僕より2歳年下、
古希を迎えたばかりで早すぎる死が悔やまれる。
衷心よりご冥福をお祈りします。
2020年9月9日
瞳みのる瞑目