こんにちは。 


 今日は時折小雨が降る一日でした。


母は私の保険の満期を株に使っています。 


 平成13年潰瘍性大腸炎の手術において、母が父の了解を持ち私の洋服を買いました。 


 平成14年改めて示唆されたマネキンが着ていたスーツは、縁談用でしたが、白いモヘヤのタートルネックのセーターを選ばず、白いショールまでもは購入しませんでした。 


 また、袖口の縫製について、仕事に結びつけようとしていました。 


 平成17年クローン病の患者さんが私のことを知った後、お付き合いをしていた方がバイク事故で亡くなり、体調を崩したのは私の性だとお見舞いで告げられました。 


 そして、先のスーツを買った同じメーカーで、スカートに閃き、武庫川女子大学時代買ったスカーフ等を合わて、カルシウムの世界の第一人者亡き藤田先生が、饒舌になりました。 


 母が結婚の為に洋服を買おうとしたのは、高校から社会人としてお付き合いしていた方が宝塚市出身で、その関係で病気になり、始めての主治医が亡くなっていたからでした。 


 その方は、一度別れて、就職をしてから迎えに来ました。

しかし、潰瘍性大腸炎の調子が悪いことに気づかず、働いている神奈川県へ誘うだけでした。


 武庫川女子大学は、中学時代の地図帳で、宝塚市に一番近い大学で、制服でお金がかからないから選びました。 


 それに合わせて、「俺から言ったからな。」、「良くなったら、捨てるんだろう。」、「(きーのことを話していたから)次の男に行けば。」とずるを電話で認めました。 


 その後、改めて自分から分かれたいことを確認する為、その方の寮に電話をしたら、同室の人はしんどい時はでないと伝え聞きしていて、伝わっているということにして、決別が完了していました。

ずるができないならば、結婚したくないということでした。 


 母は定年退職の時、そこを引き出そうとしていたようでしたが、やはり自分で決めたことでないと理解できません。 


 母が結婚させたいという気持ちで、自分で決めるということです。


 両親が共働きだから自立したものがあるからかも知れません。


 きー、ありがとう。💝🎀