真夜中の奥さまからの電話で知った
娘さんたちに
「こんな時間に電話したらいかんで」
と止められていたそうだが
私だけには知らせなければと
電話をかけてくれていた
私と奥さまは
ご主人の介護においての戦友だと
私は思っている
2年ほど前から
毎日訪問するようになってからというもの
ご自身も要介護状態になりながら
献身的に介護されてきた奥さま
ご主人の昼夜逆転の時期に
ぐっすり眠れないのがつらい
しょっちゅうおしっこが出たと呼ばれる
取り留めない昔話に付き合わされた
夜中に救急車を呼んでくれ
高松さんを呼んでくれと言ってる
翌朝訪問した時に
まずは夜中に起きたことを
ひとつづつ聞くのが
私の役割だった
夜間は交代人員が不在で
奥さまがひとりで抱えざるを得ず
精神的にも
肉体的にも
厳しい期間があった
奥さま自身も不調を感じながら
自分のことは後回しで
いつも
お父さんにしてあげて
お父さんに食べさせて
お父さんに・・・
そう言っていた
要介護4の寝たきり状態にあるご主人を
要介護1の奥さまが介護すること
介護保険だけでは
難しかったと思う
人が、高齢者が生活を続けるためには
べき、ねば
ここまではいいけれど
これ以上はダメ
そんな縛りの中では
生きていく楽しみすらない
特別も非日常も必要だと思うから
今後ますます高齢化が進む中で
住み慣れた我が家でずっと過ごしたい
この地域で暮らしたい
そんな思いを叶えるためには
何が必要で
何をするべきか
そのため
今、私にできることはなんだろう?
昨日、自分の書いたブログを
なんどもなんども読み返しては泣いた
そして今朝、小笠原望先生の
いのちの仕舞いをまた読んで
私の思いは
この地域のこれからに向かっている