ご縁のあるあなたへ。

このページに来てくださり、

ありがとうございます。


今日は光に還った母のお誕生日です。


光に還ってからも、

まるで母に操られるように?


父と私、お互いジャストなタイミングでそれぞれ補完するようなことを思い立ってしあったり、


母が愛用していたタッチセンサー式のランプは時々付いているらしいです(笑)


母が光に還ったあと、

グリーフセラピーを受けさせていただき、

母はその日のうちに夢にも出てきてくれたので、たくさん交流をすることができました。


その交流の中で、母は


「この人生を(病も含めて)自分で選んできたこと」


「次の人生も今からとても楽しみにしていること」


教えてくれました。


私は水野敬也さんの

夢をかなえるゾウ」シリーズが大好きなのですが、

母の病が判明したちょうどその頃

母と2人で

4巻「ガネーシャと死神」を読んでいるところでした。


4巻は主人公が余命宣告を受けるところから物語がスタートするのですが、

ガネーシャさんが主人公に命について語りかけるシーン↓


ここから本文より引用〜〜


「どこからが『岩』で、どこからが『石』で、どこからが『砂』なんか決められへんように、どこからどこまでが『自分』なんかは、はっきりとは決められへんねん」


 中略 


「物質を形作る一番小っさい単位の粒子を想像してみい。

岩も、石も、砂も、人間も、その粒子が集まってできたもんやとしたら、

この世界に存在するものはすべて、同じ素材で作られたものが、

形を変え続けているだけて言えるんちゃうか」


引用おわり〜〜〜


こちらを読み、

すべての存在は小さな粒子の集まりであり、

人間の身体がなくなったように思えたとしても存在があること。


「自然とともにいつもいる」とはこういうことなのだと思いました。


タイトルにあります


『これはきっと神様からのご褒美だ』


これは去年の今日、

鹿児島の繁華街で

久しぶりに親子でショッピングができて、お茶ができて、夜に外食までできた

母の誕生日、

母が夜に眠りにつく前の言葉です。


『こんなに体調のいい日はない。

これはきっと神様からのご褒美だ。』


どこまでも美しくて、偉大な母だと思いながら、

横に布団を敷いて一緒に眠りにつきました。


母を看取った6月27日〜28日は、

ある幼児番組の音楽が、一日中頭の中にリフレインしていたのですが、


母の誕生日である今朝、

テレビをつけると久しぶりに流れてきました。


いっこ にこ だっこ

にこ さんこ だっこ

よんこ ごこ だっこ

ろっこ ななこ だっこ

はっこ きゅうこ だっこ


だっこ じゅっこ

ぎゅっと じゅっこ


だっこ だっこ いいにおい

だっこ だっこ だいすきよ


だっこ じゅっこ

ぎゅっと じゅっこ


だっこ だっこ いいにおい

だっこ だっこ だいすきよ


みえなくても存在しているお母さんへ


お誕生日、おめでとう!

私もだいすきよ♡



お読みいただき、ありがとうございます。


あなたも

あなたの周りの方々

動植物たちすべてが

今日もうまくいっています。