〜介護を支えていく方が心が軽くなり、笑顔になってほしい〜


それが私の願いです。

現役の介護士であり、介護セラピストでもある夏希優太です。 


今日は、ふとこれまでの自分を振り返ってみようと思い、これまでの生きてきた過程を考えてみることにしました。長いので、興味があれば読んでみてください。

夏希優太 12月4日生まれの射手座。緑多い自然の豊富な土地で育つ。

私自身の特徴を端的にいえば、真面目な優等生タイプ。今でこそ少しずつ変わってきましたが、いい子でいないといけないという思いも強く、常に周りの期待に応えていかないといけないと思っている人間かなと思います。
これからは、自身の幼少期から現在に至るまでを振り返ってみたいと思います。

【幼少期〜小中学校編】
小中学校ともに田舎の小さな学校で一クラスが20名程度のこじんまりとした環境でした。元々マイペースな性格でもあり大勢は苦手なので、大きな学校・大人数でなかったことはよかったかなと思います。
小学校での印象的なことは、勧められて始めたスポーツ少年団の剣道。身体も小さかったのでいつも吹っ飛ばされたり同学年の女子に負けたりしてよく泣いていました(汗)練習に行くのは、あまり乗り気でなかったような記憶があります。
けれど、精神的なタフさであったり言葉遣いや協調性といったような礼儀作法的なことが身についたのは、剣道をやっていたことが大きかったかなと思います。6年生の時にはキャプテンにも任命されました。自身の意でないとしても、何かを任されたり人の前面に押し上げられるようなことはこの頃から既にあったようです。今でも多いです。
中学時代は、自身の生活していた町内の学校全体で選抜メンバーがチームを作って県の駅伝大会に出場するということがありました。私は自分の通っていた学校の中で一番足が速く、代表で選抜メンバーを選ぶ選考会へ行くことができました。結果としてメンバーには選ばれず、駅伝も走れませんでしたがこの経験を通して頼られたり一番でいることが気持ちよく感じました。目立ちたがり屋ではないと思うのですが、実は目立ちたがり屋の一面も持っていて人にみてほしいと思っている部分はあったのかもしれません。
他者とのコミュニケーションは今もものすごく得意な方ではありませんが、この頃も苦手でした。特に異性とは何を話していいのか分からない…的な状況でした。

【高校期】
高校期も相変わらずコミュニケーションは苦手で、基本的な性格も変わりませんでした。真面目な優等生タイプで自己主張も控えめ。
高校時代を振り返ると、チャレンジ精神が少し芽を出した時期かなと思います。
一つ目は、部活で新たに陸上競技をしようと思ったこと。ふたつ目は、文化祭でのバンド演奏に挑戦したこと。バンド演奏では当時、L'Arc〜en〜CielやGLAYがとても流行っていました。文化祭ではL'Arc〜en〜Cielの曲を演奏して私はギター担当でした。上手には出来ませんでしたが、自身にとっては大きなチャレンジでした。実はやっぱり目立ちたがり屋なのでしょうか(笑)
陸上競技に関しては、長距離をやっていました。長距離も一足飛びにすごいところに行けるわけではなくてコツコツと地道に練習を重ねていくことで力がついていきます。何かを地道にやっていくこと、続けていくこと、ここで基盤を作れたと思います。

【大学期】
大学期を一言で表せば、陸上競技。
大学に進学しようと思った理由は、「陸上競技でもっと強くなりたかった」から。これが一番の理由です。
私がブログ等で「何のために」が大事だというお話をすることがありますが、この時に既にこれがあったのだなと。本人全くそんな思い方はしていませんでしたが。
大学を選んだ理由も強くなるなら強い所に行くのが手っ取り早いと思って決めました。今考えるとよく思いきれたなと思います。
大学でも色んな経験をしました。最初は周りとの力の差がありすぎてずっと一人で練習をしたり、3回生の時には貧血で一人で夏の間練習をしたり。でもこの経験があって、腐らずにコツコツがんばっていたら継続は無駄にならないし結果へもつながっていく。周りもちゃんとみていてくれて応援してくれるのだと実感できました。部活一色でしたが、楽しい時間でした。

【社会人へ(暗黒期)】
大学卒業後、地元の企業へ就職。これまで生きてきた中で大きな失敗や挫折もなく順調にきましたが、ここで自分の人生の中においての大きな出来事があります。もう一度経験するかといわれたら、即答で嫌ですと答えます。
詳しい内容はここでは伏せますが、人生のお勉強をさせてもらいました。結果としてそのことがあり心と身体を壊しかけてしまって最初のお仕事は退職することになってしまいました。でもこの経験は間違いなく今の私を創り上げてくれたと思います。
周囲に対しての感謝の気持ちが厚くなったり、自分が恵まれている状況にあることへ気がつけるようになったのもこの経験のおかげです。
でもそれがよかったと思えるようになったのは、随分と後になってからです。

【社会人へ(天職との出会い、魂の生きる道へ)】
結果、一旦リセットをして身軽になって再スタートをきりました。
先程周囲への感謝の気持ちが厚くなったり恵まれている状況に気づけるようになったということを書きましたが、この時点ではまだ心の底からそのことが分かっている状況ではありませんでした。
前職を辞めた後に次の仕事を探し始めるのですが、前職の上司が今の会社の社長と知り合いであったことでお話をさせていただくことになりました。介護のお仕事だったのですが、とりあえずボランティアでやってみるかということになり、ひと月ボランティアでデイサービスへ入りました。ひと月やってみてこれならやれそうだということで介護の道へ入る訳ですが、これが天職との出会いです。でも最初からそう思っていた訳ではなく、そう思ったのは数年経ってからです。
仕事も楽しかったですし、よく笑っている自分にも気付きました。何も特別なことはしていないのに利用者さんが沢山温かい言葉をかけてくれました。人が喜んでくれること、笑顔になってくれることが自分の喜び幸せにもつながっていることも感じ始めます。
そんな中で今の自分に変われた大きな影響を与えてくださった大切な方とのご縁があります。
その方との出会いによって、これまでの過去の出来事も全てのことが今の自分を作っていく上で必要だったということを教えていただき、自分の中でも腑に落ちることを体感しました。一枚ずつ纏っていた心の鎧が剥がれていく感覚。自分では変化している実感がないのですが、少しずつでも変わってこられたと思うのです。
決して浮ついたものではなく、心の底から自分を信じるということができるようになっていきました。過去の失敗も含め、どんな自分でも大丈夫なのだと、カッコ悪くてもいい、うまくいかなくても失敗してもそこからリカバリーすればよい。それが生きることなんだと思えるようになりました。
どんなことがあっても自分は大丈夫なのだと、生きる力が湧いてきました。
その方との学びの中でセラピストとして人に笑顔になってもらいたいという思いも出てきて、今はセラピストとしても活動をしています。
人に喜びを届けていくこと、笑顔や勇気や元気を届けていくこと、それが私の魂の生きる道だと思うのです。

【これからの展望】
ここまで私の長い自己紹介を読んでくださり、ありがとうございます。
最後にこれからの展望として、少し私の想いを記しておきます。
私はこれまでの色々な経験を通して、小さな幸せに気がつけるようになり自分が恵まれている、愛されているんだと思えるようになりました。幸せに気づきそれによって自己の心が満たされるとそれが周りにも派生していきます。
「愛や優しさの循環」、それが広がっていくことでひとりでも多くの人が笑顔になり生きやすくなる世の中になってほしい。それが私の願いであり今後やっていきたいことです。
介護士でありセラピストとして、まずは今関わっている目の前の方からその循環を広げていきたいと思っています。

今回自己紹介として改めて自分を振り返ってみましたが、本当によく乗り越えてこれたなと思いました。けれどそれも決して一人の力ではなくて、支えてくれた方々のおかげです。
これからもその思いは忘れずに進んでいきたいと思います。

ここまで読んでくださったあなたに感謝致します。