29日に再放送された
輪廻の少年⭐︎も導かれながら
録画していました。



チベットで産まれた僧侶の
生まれ変わりであるとされる少年は
「リンポチェ」と呼ばれ
幼い頃より
母と離れ
世話役のおじさんが、一生懸命に
少年の手となり足となり
甲斐甲斐しく世話をし、
彼を立派な「リンポチェ」とするために
導いて行きます。



彼が12歳になり
より高度な教育を受けなくてはならないと
2ヶ月以上も掛けて、中国国境まで
ヒッチハイクをしながら旅をします。
それは長い長い旅路でした。

悴む手足を
こよなく愛する我が子のように
温めるその姿はまるで
彼の実の親のようでした。


そして
無事に僧院に着いた2人は
リンポチェとなる為に
世話役のおじさんとの別れなくてはなりません。


2人は泣き崩れ別れを惜しみました。


涙が出ました。
神様からの有難いご縁に育てられた
このリンポチェが
この先もずっとこのまま笑顔の絶えぬ
人生を送れることを祈りながら、
また
おじさんと、再会できる日を心から祈らずに
いられませんでした。



また感じたのは、母の事。


おばぁちゃんと、産まれたばかりの母は
疎開先のままに仙台に帰る事なく
身寄りのない土地で迷いました。

その時に
川崎駅前の地主さんでもあった
川崎おじぃちゃんおばぁちゃんに
見初められ
母はそこで育てられました。

川崎市が100万人都市になったその年に
母が選ばれた暁には
それは本当に喜んでくれたそうです。

母は今もなお
その育ててもらった感謝と、
愛を支えに生きているところがあります。

その愛に愛で返したいと願い、
頼る人がいなかった母なりの
生き方でした。

靖國神社に毎年足を運び、故人を偲び。
鬼子母神様に毎年足を運び、子供達の健やかなる
成長を祈り。
甲府の大泉寺に川崎おじいちゃんに挨拶を欠かさず。
川崎の日野公園墓地には川崎おばぁちゃんに会いに行き。
川崎おじいちゃんのお子さんのご自宅にも
必ず立ち寄り。
実家の母のお墓にも必ず足を運び。


一見辛い人生だったのだろうと
見受けられるけれど
違います。

神様からのご縁が重なり
母が育てられ
私が今ここにいる。

何か1つ欠けても
今は無かった。


そして子供達がいる。
勿論そこには色々なことを
背負って来た主人もいる。

生きていると
当たり前になってしまう
人との出逢い。

それは実は
本当に神様からのご縁なんだと
改めて感じながら
番組をきらと、見つめていました。


番組の中で
お世話役のおじさんが言います。
「人に指をさされようと何と言われようと
私はリンポチェをきちんと元の場所に
返さなくてはなりません。」(心の声)

雪の降り積もった山道を歩きながら
リンポチェが言います。
「僕1人だったら、ここまで来れなかった。
おじさんがいてくれて本当に良かった。
ありがとう。」

おじさんは
「この数年本当に楽しかったよ。
本当にありがとう。」

リンポチェ
「ずっといてくれる?」

おじさんは
「いつも一緒だよ。」と。

胸が熱くなる番組でした。

いつも読んでくださりありがとうございます。


きらー
リンポチェのかがやくえがおが
きらにかさなって
おもわず えみが こぼれたよ。


ママ、
えみってなぁにウシシ
ほほえみ。
きらをいつもみるときの
ママのかおだよ。