長女の受けるはずの小学校説明会も
終わりに差し掛かり。
救急時の説明に入ったその時
講堂の画面に、AEDを受けてる輝空の姿が
写って見えた。。同時に
暗かった講堂がバッと明るくなり
「○○輝空くんのお母様いらっしゃいませんか?病院よりお電話です。」と。。

血の気が引いた。。
心臓が波打つ。
朝熱を出してる輝空にカロナールを飲ませ
「すぐ戻るからね。待っててね」と。
けれど向かう電車の中
幾度もひきかえそうとした。。
心が引っ張られていた。。
あの時の行きの電車の中の風景、人の顔
2度と忘れない。。
私は、いつもなら息子を病院に担ぎ込む。。
でも、私はしなかった。。
明朝輝空は私のお腹に抱きついて来た。
「きらー熱いね。」と抱きしめて
「お薬飲もっか?」と。「うん。飲みたい」と。
「お口直しに昨夜作ってみた
カルピスのシャーベット食べる?」と
ベッドで食べさせた。。
「えーっ😳ベッドで食べていいのー?☺️」と
ニッコリした笑顔が忘れられない。。
でも一瞬おかしかった。
足がふらついた。。
でも輝空の笑顔で消えた。。
それからまもなくして、トイレに行った。
「お腹痛い。うんち出ない。。」
苦しそうで手伝った。。
ガスがいっぱい出たけど出ない。。
多分きっと便秘だな。と
でも風邪熱で力が入らないのだと
手伝った。しばらくして
「ママー出たー❗️」と。。
「きら、お尻は後でママ帰ったら洗おうね。
今は熱いから横になっててね。」なんて言って。。
きらはトイレから歩いた。
ベッドの下に引いた布団に横になって。。
私の姿を、パパの姿を見て
学校行きの姿だから我慢したのだ。。
お姉ちゃんが頑張ってるのを、知っていたから。。
いつもなら、、、私は担いで行ったのに。。
別に受験にムキにはなっていなかったのに。。
ただ最後まできちんとやらせとこうと、
そんなつもりで考えていて。
夏休みだって講習サボってまで3人遊ばせて。
なのに、たかが説明会に息子を置いて行くなんて。。
いつもの私なら違う!
いつもの私なら私だけでも担いで行った。。
私は何かに引っ張られた。。
私が負けたのだ。。
駆けつけた病院。会わせてくれない。。
姉妹と私の母がオロオロしていた。。
「まだ処置中で。。」
その時もまだ私は、点滴してちょっと
元気ないきらにまた逢えるんだと
そう思っていた。。。
あの心臓の高鳴りは、気のせいだと。。

名前が呼ばれた。。
入った事のない部屋に変わり果てた輝空がいた。
沢山の、沢山の、管に繋がれて。

「戻らないんです。。」
「どうしよう!どうしよう!きら!きらーっ!」と名前を呼んだ。叫んだ。。
「きらーきらー!どうしよう。。どうしよう。
どうして。。きらーママだよ!ママ!」
沢山叫んだ。。。
「きらー帰ってきて!帰ってきて!
きら!ママ!ママだよ!」と。

私の母が小さい時に三途の川まで行った時。
親戚が足がないままの姿で迎えにきた。
意識の無い母は
「キリンのおじさん。。」とつぶやいた。
それを聞いたおじさんや、祖母は
「連れて行かれる!名前を叫べ!!」と名前を呼んだと昔聞いたから。。
私は輝空を呼んだ。。

パパは立ち尽くすだけだった。。

その時私は何故か言っていた。
「きら!きら!離れるんじゃ無いよ!
ママにくっついているんだよ!きら!
きら!離れちゃダメ!離れちゃダメだよ!
きらー!!きらー!!だいすきだよ!
きら!離れちゃダメだよ!きら!」と
泣き叫んでいた。。。