ご存知の通り、私はもう学生ではない。

しかし、学びたがり、知りたがりの私は
いま
学生の頃以上に
学生っぽい生活をしていると思う。


もちろん、
有り難いことにチェリスト新倉瞳は
音楽で生活をさせて頂いている。
スーツを着る職業ではないが
衣装を身に纏いステージに向かうときは
ネクタイをビシッとしめる気持ちだ。

…丸顔だがキリッとした表情をしてると思う


しかし、バロックチェロをプライベートで習っていることもそうだが
日々惹かれる「音」に導かれ、それを追い学ぶことに1番の喜びを見出している。

ドレスをプロデュースさせて頂いたり
音楽劇に参加させて頂いたりと
色々なアプローチにも興味津々で
日々燃えているのだが

その多方面のアプローチは
濃くなった「音」となり返ってくるのだ






学生の頃は
「〇〇門下」という言葉
そして先生方の深い愛情で守られていた。

当時は、毎週先生のレッスンを受けることで何か洗礼を受けたような安心感があった。

毛利先生、堤先生、デメンガ先生。
本当に素晴らしい師に導かれました。
今も尚、見守って頂き…
心から感謝しております。


しかし、
そんなグレートティーチャーズの元を離れて
ようやく
私はチェロが上手くなり始めた気がしている


先生方のおっしゃることが自分が音楽家として経験を重ねようやく分かるようになってきたこともあるが、一人ぼっちのいま、自分の頭で100パーセント考えて一日一日を生きているから


我ながら真面目な学生生活で…
泣けるくらい頑張ってはいたが…

音大という温室で
毎週先生から頂く肥料を自分という土に混ぜて
不器用に一生懸命水をあげていただけなのかもしれぬ。


いま、そのビニールハウスは、ない。

私は荒野で根をはる木となり 

ビニール袋に入った肥料ではなく
ワンさまニャンさまの自然の産物から

定期的なジョウロの水ではなく
嵐さまに雪さま、時にカンカンな太陽さまから

命を受け、必死に空を見上げている




さて、クラシック奏者にとっての「協奏曲」は、
コンクールでも最終難関として用意されるレパートリー。

ソリストとしてこの大交響曲を演奏させて頂くことは、絶頂に気持ち良くも、精神的にも体力的にも擦り減るものだ。

ドヴォルザークの協奏曲は、チェロ協奏曲の中でも好感度・難易度共にNo.1に匹敵する大曲だが、15歳の頃から何度もグレートティーチャーズにみて頂き、自分でもオーケストラとの共演を経験させて頂き34歳なりに熟してきていると思うので、もちろんまだまだだがいつ代奏を頼まれても明日本番で弾けます!というくらい弾き込んできた。


しかし、前回のブログにも書いた通り
チャイコフスキーとショスタコーヴィッチの
「それ」を
34歳にして初めて弾く。



15歳から弾き込んでいる曲に比べてどうだろう?


15と34


ぬぉ…


ばばば倍以上…


数字にしただけで「ちーん 終了」のゴングが聞こえてきそうだが、

34歳の新倉選手は、コンサートはもとい、大人の事情にまみれる生活の中で、なんとか練習時間を確保しなくてはならない。

残念ながら身体的にも衰え、脳も萎縮していることだろう。


ご想像いただけるだろうか…恐怖しかない。



しかし、リミットが迫る中とにかく時間を見つけて練習をするうちに、練習がめちゃくちゃ楽しいと思うようになっていることに気付いた。

しかも、15歳の頃より
なんだか元気なのだ。


あの頃よりも純粋ではないが、
あの頃よりも純粋なのだ。


あの不安定で危なげな小鹿のような15歳の自分を想うと愛しくてたまらない。

でも、34歳の今、すごく頭がスッキリしているのです。








一昨日、数年ぶりに普通のチェロのレッスンを受けた。

その久しぶりに受けたレッスンは

実は初めてのレッスンでもあった。


というのも、自分を緊張と恐怖のどん底に追い込みたかったのと、このかたの右手のテクニックを学びたいという目的が明確だったので、今までレッスンを受けたことのない先生にレッスンを数ヶ月前から申し込んでいたのだ。

チャイコフスキーとショスタコーヴィッチを両方、聴いて頂いた。

   



最高に緊張したが、最高に開放された。
    





勇気を出して申し込んでよかった。


   







約3時間のレッスンを終え、飛んで家に帰る。


レッスンの後こそ、練習ですよ。


学生の頃から自分に言い聞かせていた言葉が
染みついていた。


秋はもう、すぐそこに。