キミへ
たぶん
僕が今でもキミを ぼんやり思い出したりするのは
出会ってから16年が経とうとする今でも
この感情が「好き」とか「愛している」という言葉で
説明できないからなのかな、と思ったりします。
友達の時も、付き合っていた時も、よく分からない時も
何時何時の時も
人に関係や想いを説明するために「好き」という言葉を
使ったりしましたが
何時何時の時も
しっくりきたことはありません。
「大切」というのが一番近いような気もしますが
それでも この感情を自分でも説明できないまま
時間が過ぎて、そしてキミはこの世から居なくなってしまった。
それで近頃 思いました。
キミは僕にとって「絆創膏」だったのだと。
そしたらかなりスッキリしました。
いつも近くに居なくていいし。
いつもソコに居なくていい。
どこで何をしていても一向に構わない。必要なのは弱った時だけ、傷口が開いた時だけ。
元気な時は要らないのです。
不安な時はカバン(心)の中にお守りのようにあればよい。だから僕が自分の力で立っていられるようになった
あの年が僕らの最後になったのでしょう。僕達の出会ってからの数々のイロイロが
それで全て説明がつくように思いました。
僕は何時どんな時もを共有する人が居るし、
キミはそういう人を遺して逝った。
遺った人がキミを想い、キミに語り、キミを励みにする。
だから僕はキミに語りかけてはいけないような
気がしています。
だから
僕に染み付いた「習性」は、いつか無くなるかもしれません。
それでも、キオクの海に沈んでも、
キミのことが僕から消えることはないのでしょうね。