20代で得られたものって、
20代の私を支え救うのに必要なものばかり。
DVって概念とか福祉の理論とか、それで飯まで喰ってたんだもの。
そういう理論武装や得たものを伝える・表現する「言葉と気持ち」の
隙間がもどかしかったりしてて。
30代は、
その10年で得たものを木っ端微塵にしていく時間なのかなと思う。
いくら福祉で飯喰って、人様の、何がしかの力になれたって。
結果的には、
自分自身の祖父母の窮状をいくらかも変えられなかったし。
弟にだって、「あそこに戻らなくていい」という表の思いのウラで
彼に戻ってもらうことでしか現状を打破できないとも想う。
今だって、どうしようもない確率論にうろたえている。
もうそれこそ、ありとあらゆる面において、
「思いと想い」の隙間、隙間、隙間。
それは、もどかしいじゃなくて恐怖に近い。
ホントの自分が否応ナシにさらけ出されて、
「思いと想い」の隙間に、ボッコボコにされて、滅多打ちにされて。
現実そのものより、自分自身の本性に泣けてしまうんだろうな。
開いていた扉を閉じて、
本当に心根に根付いたものと、そうでないものを整理して。
これは、自分が望んだ10年。だから逃げられない。
この隙間を潜り抜けなきゃ、見えないものが見たいんだと思う。
この葛藤のオモテは平凡な生活。案外、笑ってたりもして。
何事にもオモテとウラがあって、そこに隙間もあるんだねぇ。
そんなグレーゾーンだけを選択できればいいんだけど。
隙間万歳で(笑)
多分、20代はそうして乗り越えてきたんだろうけれど。
30代は、オモテかウラかだけを選択してかなきゃならん気がする。