この国の福祉は、社会保障制度という名のもとに、
トイレに行くだとか、ご飯を食べるだとか、
生きるための最低限度のことさえもお金を払わなきゃなんない。
誰かの手を借りるんだから、
それは当たり前なのかもしれない。
でも憲法では生存権といって、生きることが保障されてんだよね。
でもお金のない人は、家族の手がない人は、
いくら理想を言ったって、生活保護だの理屈を言ったって
「死ね」っていうのと同じようなものだったりするんだよ。
理想と現実には、
学問と現場には、
どうしたって溝があって。
人の手を借りなきゃ生きていけない人の気持ちに
借りなくていい人間が寄り添うなんて、生半可なものじゃない。
虐待する側の人にだって寄り添わなきゃいけない時もある。
その行為の根っこを見なきゃいけない。
気持ちや理想だけでどうにかなるもんでもなくて。
経験や人格だけでどうにかなるもんでもない。
そこで働く人たちには、そこで働く人を育成する人たちには
本当にいろんな人がいる。
福祉という世界だけに人間関係も濃くなりがちで、
だからこそ齟齬が生じやすくて。
離れていても、切れていなかった事柄で久しぶりに関わった人に
今日は少し疲れた。
いやいや、ホントは土曜日に行ったボランティアから疲れてたんだ。
私は詰まるところ、
被害者を、弱い立場の人たちだけを支援していても
加害者が変わらなければ(減らなければ)
堂々巡りなんだろうなって思っていて。
本当に関心があるのは加害者更正プログラムだったりする。
(海外ではDV・虐待などの加害者に法律で科せられている)
両方を見なきゃならないなって。
両方の信頼を得られる事をやんなきゃならないんだろうなって。
とっても素晴らしいけれど、不可能に近いことを追いかけてた。
それでもそれがやりたかった。仕事が好きだった。
好きだからこそ、これまで追いかけていた。
理屈先行のくせに、感情に呑まれて客観性に欠けてたかもだけど。
介護する側・される側。
差別する側・される側。
虐待する側・される側。
健常者・障害者。大人・子ども。男・女。
そういうところでアタマもココロも随分と使ったから、
終わりの見えない堂々巡りをしている気分になっちゃたから、
濃い人間関係と人格・思想のぶつかり合いが見るに耐えなくて、
距離を置いて見ている今がある。
ホトホト距離を置いてよかったと、
(できなかったんだけど)もっと早くにこうするべきだったと、
辞めてから思っていたけど
今日改めて思った。