ひと県ひと月 軽 車中泊旅 ~ 日本全国 明るく愉しく 感思雑記 ~
四国の『 酷道ヨサク 』
前回に引き続き
まだまだ 言いたいことがたっぷりです!
(^^)
この国道439号線の ワインディング具合は
カーナビで 広く表示をすると
曲がりくねった道の形が まるで
蝶ネクタイのように見えてきます
道路が 堅結び状態なのです
どこをどう通るの? といった感じです
その狭い曲がりくねった道で
すれ違うのは 通常サイズの路線バスや
切り出した木材を運ぶトラックであったり
車輪付きで自走中のクレーンだったりと
大型車もしょっちゅ 行き交っています
さすがに 『 国道 』 でした (^-^;
そうした 大型車とすれ違う度に
『 勘弁して~ ~!』
の心理状態になるのですが
ある時 気が付きました
よくよく考えてみると
そんな大きな車両を運転しているドライバーは
日常的に そして 当たり前のように
この酷道ヨサクを 通れているのです
私の軽自動車ごときが
通り抜けられない わけがありません
そう考えると 心理的に気楽になり
運転にも 余裕が出来てきました
そうすると
カーブミラーであったり 音であったり
色々な兆候で 対向車の存在を
早期に気づけるようになりました
そうなれば 退避所で事前に待つことができ
対応が 段違いに楽になりました
こうして一ヶ月以上 酷道ヨサクに鍛えられ
今現在までの ひと県ひと月の旅のほぼ6年
どれほど細い山道で 大型車と出くわしても
全く 動じることが無くなりました (^^)v
数々の学びによって この四国地方は
私の旅の 礎を作ってくれました
本当に 感謝感謝 です m(__)m
因みに 現在まで 40弱の道府県を走破して
一番好きな県は 山形県ですが
一番好きな地域は 四国地方です
四国八十八ヶ所巡礼が盛んなためか
皆さん 外から訪れた人に対し
大変 親切にして下さいます
そして 私の車の 札幌ナンバーを見て
思わず 声をかけてくれたおばちゃん達は
皆さん一様に ミカンをくれました (^^)
聞くと いつでも渡せるように
車内に必ず 備蓄してあるのだそうです
これまで述べてきた 『 学び 』 や
気持ちよく 旅が続けられたことも含め
ひと県ひと月の 旅のスタート地域が
四国地方で良かった~ と実感しています
さて 6年近い この長い旅行中
こうした 『 学び 』 以外に
深く 考えさせられるような観光地も
数々 訪れました
次回からは そうした観光地を
いくつか ご紹介します
最後までお付き合い頂きありがとうございます
また来週 日曜夜にお会い出来ればと思います
ひと県ひと月の旅で 一番最初に巡った地域
四国地方の 三つめの学びは
『 道路事情 』 です
通常 毎年の旅の初めである 9月 10月 は
いくらかでも 暑さを避けるため
標高が高い 内陸の山岳地帯から
スタートすることにしています
四国では
中央の山間部を横断するようなかたちで
始めることとなりました
そのため 利用することになる道路は
439号線という 四国の中央を東西に走る
私の望みに ぴったりと合致した国道です
まだまだ未熟な 車中泊ドライバーが
早々に経験した学び と言うか『 試練 』は
別名 『 酷道ヨサク 』 と呼ばれる
この国道439号線 そのものでした
結果的に ひと月以上をかけて
四国を横断することになったのですが
その間 経路のほとんどは 酷道ヨサクです
そこで 何が酷道なのか というと
先ずは その道幅の狭さです
ひと県ひと月 車中泊旅の相棒は
どノーマルな 軽自動車です
そんな身軽な 軽自動車にもかかわらず
通行するのがやっと と思えるような道幅が
殆どなのです
勿論 そんな道幅では
対向車とすれ違うことは 全く不可能です
そんな時は
どちらかが 退避スペースのある場所まで
バックしなければなりません
この酷道の もう一つの凄さは
そのワインディングのすさまじさ です
片側は ガードレールはあるものの
とんでもない断崖絶壁です
そして もう一方も 見上げるような絶壁
旅の初めから 早朝散歩はしていたのですが
この道を歩いた時 ガードレール側が
余りにも 恐怖を感じる高さだったので
思わず 道の真ん中を歩いていたほどです
歩道など 勿論 ありません
こんな恐ろしい 曲がりくねった狭い道で
運悪く 対向車と巡り合った場合
退避スペースが確保された場所まで
延々 バックし続けなければなりません
気分的には 気を失いそうな 長距離です
(^^;
とんでもないところに来てしまったと
大後悔です
事前計画のために使用していた道路マップでは
太い 目立つ線で表示された 『 国道 』 なのに
と 不満 タラタラ (-_-;)
これほどの道幅の狭さは 地元 北海道では
村道か林道くらいのものです
とんでもない洗礼を受けました
言いたいことは まだまだ 続きます (^^;
次回も 『 酷道ヨサク 』 です
最後までお付き合い頂きありがとうございます
また来週 日曜夜にお会い出来ればと思います
前回の 『 一歩一景 』 に続き
今回の学びは 『 匠のこだわり 』 です
栗林公園でも 匠のこだわりに
大いに感心させられましたが
愛媛県大洲市の 臥龍山荘という
江戸・明治時代頃の 豪商の別荘では
ひっくり返るような 感動を味わいました
この地域では 同時期の別の豪商の別荘を
先に見学していました
残念ながら 名称は失念してしまいましたが
こちらの別荘も
匠の技術が ふんだんにちりばめられていて
まさに 絢爛豪華
金 持ってんド~ のオンパレードでした (^^)
今までの旅行でも
こうした 金 持ってんド~建築物は
さんざん お目にかかりました
綺麗な木目を利用した柱だったり
とんでもなく長い 一本の横木で支えられた
長い縁側の 軒のひさしだったり
大洲市で最初に訪れた別荘の
特に 金 持ってんド~の見せ場は
東南アジアから輸入した
縁側の 大きな一枚板です
見るからに 一枚だけでも
どれだけするのだろうと思える板が
何枚も 敷き詰められた縁側でした
全体的に こうした贅沢を
これでもかと見せつけられ
多少 頭がくらくらしてきました (^^;
そんな余韻を残した直後に
訪れたのが この 臥龍山荘です
この建物も 明治時代の豪商の別荘で
川岸の 小高い丘の上に建てられていました
こちらは こじんまりとした別荘で
普通に見学していたら
30分ほどで 見終えられる大きさです
前の別荘とは 趣が全然 違って
何か ワビサビを感じられたのですが
最初は私も 何気なく通り過ぎていました
そして 先ほどと同じく 縁側に来た時です
そこの縁側は
スノコほどの幅の 一見 似たような長い板を
張り合わせたような作りでした
ですが そこにあった説明書きで
改めて じっくり見直してみると
何と 先ほどの別荘と同様
高級そうな一枚板を使っているのです が
わざわざ 浅く 長いみぞを彫って
板を張り合わせているかのように
見せかけていたのです
豪華さをひけらかすのではなく 逆に
そうした成金趣味を わざわざ 排した
粋で そして 日本の伝統を大切にした
匠の『 こだわり 』の 塊のような
見どころたっぷりの別荘だったのです
その事に気が付き
もう一度 最初から 見直しました
結局 半日をかけて
別荘と 離れの茶室を巡る事となりました
そうして とことん じっくり見て回ると
『 こだわり 』が あるわ あるわ
多分 見学30分のペースでは
そのほとんどを 見逃していたと思います
こうして 旅の初めの四国で学んだ二つ目は
隠れた匠のこだわりと 説明書きを
見逃さない 素通りしない という事です
お陰で 私の観光見学は
時間が掛かる かかる (^^;
ある面 困ったことにもなっています (^-^;
次回は
学びの三つ目 『 道路事情 』 についてです
最後までお付き合い頂きありがとうございます
また来週 日曜夜にお会い出来ればと思います
2020年 春
一つの県をひと月かけて のんびり ゆったり
県内のあちらこちらを じっくりと巡りながら
日本全国47都道府県を 全て見つくすという
『 ひと県ひと月 軽 車中泊旅 』
を 始めるにあたり
練習を兼ねて 地元である北海道を
連続した3ヶ月をかけて 一周してきました
もう少し詳しく言いますと
ぐるっと 海岸線を一周したわけではなく
内陸部も含めて
グルグル ジグザグ といった感じで
本当に 隅々まで 巡ってきました
実は この3ヶ月をかけてもなお
実家のある 道南地方は
未だに 取りこぼしたままです
やはり 北海道は広いです (^^)
こうして 入念な準備と実践
それにもとづく 様々な改善のもと
『 ひと県ひと月 』の旅を
実際にスタートした地域は 四国地方です
この四国では 北海道でも出来なかった
新たな学びを 沢山 経験しました
そのいくつかを ご紹介したいと思います
今でも 旅行の最中 大切にしている
『 一歩一景 』という言葉を初めて知ったのは
香川県 高松市内の栗林公園です
ここは 回遊式大名庭園で
文化財に指定された庭園の中では
日本一の広さを誇る場所だそうです
この大きな庭園は 池泉や築山などにより
様々な表情を見せてくれます
何代もの藩主による 色々な趣向が凝らされ
作庭した 匠のこだわりも随所に感じられる
美しい庭園でした
この大きなお庭を造るにあたり
彼らが こだわったのは
一歩 歩くたびに 異なった景色が広がる
『 一歩一景 』 だったそうです
築山や松並木で視界を遮り その先に
趣の異なった 雰囲気を造り出していたり
また 別な角度では 池と紅葉が
見事な水鏡を演出していたり と
一歩とは言いませんが 確かに移動するたび
全く異なった景色を楽しむことが出来ました
一番 驚いたのは 築山の頂から見たとき
足もとに広がる池の対岸の木々が
その先にある 趣の異なる景色を
絶妙な高さで 遮っていたことです
その高さは 木々の成長も考慮したうえでの
綿密な計算に基づいた こだわりなのでは?
と思えるほど 過不足のないものでした
東京の超有名テーマパークでも
隣接するエリアを 視界で遮っていたり
滝の「 音 」などでも さりげなく区分している
と 聞いたことがあります
そうした たくらみを 我が先達は既に
江戸時代には造り上げていたのです
こうして 『 一歩一景 』 という言葉は
心に深く 残ったのですが
それから5年以上 旅を続ける今現在でも
この言葉に助けられています
旅行中 気温が低かったり 風が強かったり
はたまた 二日酔い (^^; や
疲労などで体調がすぐれなかったり など
そんな ネガティブな日には
何時間も歩き回って 観光巡りをしていると
今日は この辺でいいかな~ と
途中であきらめて 引き返そうとする誘惑が
しょっちゅう 沸き起こります (-_-;)
そうした時に 思い返すのが
この 『 一歩一景 』 です
この言葉に発奮し もうちょっと先まで と
頑張って辿り着いた観光スポットでは
諦めずに来てよかった と思える景色に
何度 出会えたことか
本当に この言葉のおかげで
旅が広がりました
『 同行二人 』 同様
最初の頃に出会えて良かった
と 思える言葉です
次回もまだまだ 四国で学んだことは続きます
最後までお付き合い頂きありがとうございます
また来週 日曜夜にお会い出来ればと思います
100回目を迎えた 記念すべき今回も
旅行中 心からの感動を与えてくれる
とんでもなく素晴らしい景色に関する考察で
前回の ほどよい距離感と高さに引き続き
今回は 『 山焼き 』 です
私は 一昨年 2024年の11月に
大分県の久住高原から見た
阿蘇山の感動の景色について
『 第30回 あまりの感動に 』 というブログで
その素晴らしさを お伝えしました
実は その感動が忘れられず
ひと県ひと月の旅で 熊本県を巡った時に
もう一度 久住高原まで足を延ばしました
その時は 天候に恵まれず
かろうじて 景色が眺められる程度で
前回のような 泣けるほどの感動の景色には
残念ながら 遭遇することはできませんでした
旅行中 いつも感じていることですが
感動は 天候により雲泥の差が出てくることを
またしても 実感しました
ただし 素晴らしい風景であることに
間違いはありません
やはり ここでも
なぜこんなに 凄いと感じるのか
疑問に思いました
そこで思いあたったことが 『 山焼き 』 です
ここ 阿蘇山では
広大な地域で 山焼きを実施していて
見渡す限り 森林に覆われた山がありません
そのため 視界いっぱい
稜線のくっきりとした山々が続きます
他の展望台などから見える山々は
普通 山を覆う木々によって
その稜線が 判然としません
阿蘇山の 視界をぼやけさせない
くっきりとした 風景の広がりが
広大さと解放感を より際立たせているように
感じました
実際 阿蘇山以外にも
湯布院であったり 伊豆であったり
山焼きをしているところは あちこちにあり
規模の違いはあるものの
やはり 広がりを感じさせてくれます
北海道にも美幌峠という 見晴らしの
極めて 気持ちの良い場所がありますが
こちらは 山焼きではなく
熊笹に覆われた丘陵が 眼下に広がっていて
遠目では
ふかふかの絨毯に思えるような質感で
やはり 山の稜線がくっきりしています
阿蘇山であれ 湯布院や美幌峠であれ
もし 森林に覆われていたら 多分
感動が もっと薄まっているように思います
山焼きという 昔からの
自然と人間の 共同作業が
これほどの風景に 昇華させたのでしょう
人々の たゆまぬ努力にも
感謝を感じる ひと県ひと月の旅です
次回は こうした気づきに貢献した
初期のころの 『 旅の学び 』 について
ご紹介します
最後までお付き合い頂きありがとうございます
また来週 日曜夜にお会い出来ればと思います
今回は 車椅子ラグビーを 紹介します
皆さんは ご存知ですか?
私は 東京パラリンピックで初めて目にしました
以来 健常者のスポーツを含めて
最も好きな競技になりました
概要を説明します
競技は 一チーム 四名で
バスケットコート程の広さの屋内で行われます
他の競技のように 障害の程度や
障害の種類によるクラス分けは ありません
また 男女の別も ありません
男女が入り交じって 同じコート上で争います
障害の程度によりそれぞれ点数が決まっていて
コート上の四名の合計点が
決められた点数以内に収まるよう 編成し
作戦を組み立てなければなりません
例えば
中程度の人達だけでチーム編成したり または
程度の軽い人2名重い人2名で編成するなど
様々です
障害が同程度であれば性別は関係ありません
前回の日本代表チームは程度の軽い男性2名
程度の重い男性1名と女性1名の編成でした
この女性が くせ者でした (^^)
他の競技では車椅子をぶつけると怒られます
ですが 車椅子ラグビーでは当然ぶっつけOK
そこが気に入ってこの競技を始めることとなり
初の大きな大会が 東京パラリンピックという
強者です
どんな時も常に笑顔で そこも彼女の魅力です
この競技を好きになった 理由の一つです
この編成での チームの作戦は
こちらの重程度の選手が 状況を読んで
敵の動ける選手の進路を 先回りして妨害し
その間に 味方の軽程度の選手達が
ボールを奪ったり パスやトライをする
ざっくり そんな感じです
敵は この妨害行動を阻止するため
敵の重程度の選手により
こちらの重程度の選手をコーナーに追い詰め
そのまま動けないように キープします
そうなると 障害の程度が重いため
残念ながら 自力では脱出できません
そこで 味方の動ける選手 登場!です
押さえ込んでいる 敵の車椅子に
物凄い勢いでぶつかって味方を助け出します
まるで ヒーローです
(このぶつかる迫力も
車椅子ラグビーの魅力です)
そうして 助け出された選手は
引き続き 敵の進路を妨害することで
今度は 味方の動ける選手を助けるのです
テレビ画面はボールの動きを追いかけるので
こうしたやりとりは画面の隅で行われています
画面の隅っこで助け そして 助けられという
格好の良いシーンが散々繰り広げられています
全くもって 虜にさせられました (^^)
パリパラリンピックで この競技は
8月29日~9月2日 に行われるようです
多様性の権化のような こんな競技
滅多にありません
是非一度 見てみて下さい
アドバイスとして
試しに見るなら 前半がお勧めです
後半で見て まだ見たいと思っても
次に見られるのは 多分 4年後です
それ程 テレビ放映の少ない競技です
実際 私も 3年 待ちに待ちました
そして テレビを見る時は
画面の隅に 要注意 です (^^)
かなりの長文になってしまいましたが
今回は 一気に行かせていただきました
貴重な時間を 割かせてしまい
申し訳ありません m(_ _)m
次回は 今更ですが
ブログを読むに当たってのお願い事を
ブロぐります
最後までお付き合い頂きありがとうございます
また今度 お会い出来ればと 思います
長く旅を続けていると あちらこちらで
似たような風景に遭遇します
ですが 何故か ひどく感動するところと
そうでもない景色とに 分かれます
今回は 感動する風景の
ある共通点についてブログります
それは 見晴らしの良い展望台で
高さと距離感が ちょうど良い具合に
ハマっている という事です
高台や小高い山の上から 見下ろすような
気持ちの良い風景が広がる展望台では
低すぎると 見渡す景色に制限があったり
逆に 高すぎるところでは
広がっているはずの風景が
何だか こじんまりしてしまって
迫ってくる迫力がありません
また ちょうどよさそうな高さであっても
見下ろした平地が遠すぎると
これまた 興覚めです
そして 近すぎる場合は 木や山の稜線に
隠れてしまう事が多くなります
そのため 心に迫る見晴らしの良い景色には
ほどよい高さと 距離感が必要なのだ と
実感しました
これは 展望台だけではなく
平野についても 同じことが言えます
日本全国 あちこちの平野をドライブしていて
物凄く 広く感じる地域があります
佐賀平野 や 越後平野
濃尾平野などもそうでした
出身地の北海道には 石狩平野や十勝平野など
広大な平野がありますが
何故か 前述の平野ほど
広いという感覚が でてきません
そうした感覚が 不思議でした
しばらくして
北海道の平野よりも 断然狭いであろう
佐賀平野をドライブしていて
ハタと気がつきました
たまたま 天候にも恵まれましたが
爽快な開放感を感じつつ
気持ちの良いドライブが出来たのは
適度な高さの山々に 適度な距離感で
周囲を囲まれているからでした
高すぎる山は 圧迫感がありますし
低すぎると 平野の境界があやふやになります
適度な距離感の 程良い高さ山々によって
その平野の広がりが明確に感じられたのです
私が住む北広島市は
石狩平野の端にあるのですが
平野の境界を感じさせる 反対側の山々が
余りにも遠すぎるため
逆に 平野であること自体を
実感できていないように思えます
ですので
他の越後平野しかり 濃尾平野しかり
周囲をかこむ ほどよい山々によって
平野の広がりが 無意識のうちに感じられ
その広大さと 気持ちの良い解放感を
味わうドライブができたのだと思います
この感覚は 平野ではありませんが
山形県でも 味わいました
鳥海山と月山という 雄大で高い山が
山形県内のどこに行っても
どちらかの山が 良い感じの距離感と高さで
望むことが出来ました
そのため 県内のあちらこちらで
気持ちの良い景色と解放感に 包まれました
このことが 今まで巡った中で
一番好きな県になった理由の 大きな一つです
次回は 気持ちの良い景色を創り出す
山焼きの効果について 解説します
最後までお付き合い頂きありがとうございます
また来週 日曜夜にお会い出来ればと思います
退職金とマンションの売却金 そして
妻の深い思慮による無借金
これらの他に 長期にわたる日本一周旅行の
もう一つの 大きな軍資金
それは 株式投資の儲け です
妻の闘病生活の ちょうど中ごろ
私は定年退職を迎えました
長年 勤めあげた職場の特性上
50代半ばという 早々の満期定年です
妻の闘病生活が
徐々に厳しい状況になってきたため
再就職は 控えることにしました
そんな状況でも 我が家の財務省は
彼女が一手に引き受けてくれていたので
退職金も全て 手渡しました
とはいうものの 彼女自身
仕事の大変さを 肌身で知っている人なので
お疲れさまでした の気持ちを込めて
私に 特別慰労金を検討してくれました
そこで私は 以前から興味があった
株式投資をやってみたいと伝えました
そうすると 彼女の態度が豹変し
一気に 減額措置になってしまったようです
(-_-;)
令和の今でこそ 株式投資は
大分 認知度が上がっていますが
十年ほど前 昭和生まれの彼女にとって
株式投資は
ギャンブルと ほとんどイコールです (-_-)
多分 全てが消えてしまっても
彼女が あきらめの付く金額として
私に提供してくれたのは
中古の軽自動車が買えるくらいの金額でした
それでも 私は ありがたく頂戴し
早速 株式投資を始めて見ました
おっかなびっくりで
石橋を叩いて渡るくらいの慎重さです
また 色々調べていくうちに
FXという 為替の取引も興味を持ち
株の投資が ひと段落したところで
売買を 始めて見ました
こちらは 「 石橋を叩いて渡る 」 どころか
叩いて壊して 飛び石状態の残骸を
おっかなびっくり 慎重に渡る
そんな感じで
かなり ビビりながら 始めました
ただ あれから10年が過ぎ
ある程度の知識も身についた現在
経験者の目で振り返えってみると
私が始めた時期は
どちらも 大変恵まれたタイミングでした
しかも 私が選んだ銘柄や 投資のスタイル
これらが 偶然 ぴったりとはまっていました
まさに ビギナーズラック そのものです
これは 今でも 肝に銘じています
これほど儲けることが出来たのは
私の 能力や判断による結果ではなく
あくまでもビギナーズラックでしかない と
妻が亡くなってからは さらに積み増しをして
コツコツと工夫を重ねたりした結果
これまでの儲けは
株式投資では 中古の軽自動車ではなく
普通の国産車が買える程度に
そして FXでは そこそこの高級車を
購入できるほどの状態になりました
これらを タイミングを見て 徐々に売却し
そうして手に入れた 軍資金が
今の旅行の 大いなる助けとなりました
(^_^)v
ただ そうしたバブリーな高揚感もあって
支出が雑になってしまい
6年目を迎えた今 現在
チョット見通しが 悪くなってきました (^^;
手持ちの株や FXなどは
現金化してしまい ほとんど残っておらず
また 妻が配慮してくれた私の退職金は
一応 老後のための資金として
丸々 取っておく予定だったのですが
多分 旅行の終わりごろには
手を付けてしまいそうな雰囲気です (^^;
それまでには まだ 数年があるので
今から 気を引き締め直して
それだけは 何とか回避しようと努力中です
出来れば 程度の願望ですが
毎月 欠かさず 少額で購入し続けている
スポーツくじが当たるとか
10年が経った私の株式投資に また
ビギナーズラックが起きてくれないかな~
なんて まさに ギャンブルのような願望が
頭をもたげてきています (^-^;
こうして 何とかかんとか続けられている
ひと県ひと月の 長旅の最中
私なりの 旅の気づきが 色々とありました
次回は それらをご披露したいと思います
最後までお付き合い頂きありがとうございます
また来週 日曜夜にお会い出来ればと思います
私のお財布事情の話を続ける前に
亡くなった妻の経済観念について
少し お話をしておきたいと思います
昭和35年に 日本最北の街に生まれた妻は
子供の頃の町は 漁業で大変 賑わっていて
通っていた小学校は日本一のマンモス校だった
というようなことを 言っていました
ただ その頃 彼女の家庭は
経済的に大変厳しく そのことで
いじめにあっていた というようなことも
言っていました
そうした経験からか
彼女は 金銭的に大変しっかりしていました
決して がめついとか せこいというのではなく
本当に しっかりしている
という表現がぴったりでした
そのため 共働きの我が家の家計は
全て 彼女にお任せでした
私の収入も 全部 一旦彼女に預け
そこから お小遣いをもらう といった感じです
お酒の席や 人付き合いの大切さを
十分に知っていた彼女は
そういった類の 私の特別出費には
ほとんど無条件に お小遣いとは別に
手渡してくれていたので
私としては 全く不満はありませんでした
本当によく
切り盛りをしてくれていたと思います
ただ 子供もおらず
そこそこの年代の 二馬力の稼ぎなので
貯金もふんだんにあったのだろう
と思われるかもしれませんが
こちらは 札幌のマンションローンと
それから 旅行好き
美味しい物好きを優先した事 更に
キャンピングカーを ある事情により
短期間でコロコロと買い替えたため
そのローン返済で 一般家庭よりも
かなり見劣りした金額だったと思います
ただ 彼女のやりくりで
少額ながら 積み立てはしていました
そうこうしているうちに 彼女の病気が判明し
6年間におよぶ闘病が始まりました
治療のため
看護師の仕事を辞めざるを得なくなり
彼女の収入が無くなったことと治療費も重なり
さすがに 積み立ては断念しました
やがて 虎の子の貯金も 少しずつ減少し
利用する機会の減ったキャンピングカーは
売却することとなり
その売却金も 動けるうちに と
治療の合間に出かけた 体への負担の少ない
ホテル泊の旅行資金になりました
経済的な苦労を経験した彼女は 私に対し
お金の迷惑をかけて 本当に申し訳ないと
常々 言っていました
そのため
どんなに 副作用等で体調が厳しくても
手間のかかる保険金請求の書類準備などで
私の手を煩わせるようなことは
絶対に しない女性でした
保険に関しては 結婚時に二人で見直し
私一人なら 何とでもなると
彼女の死亡保険金は
葬儀代くらいの金額で抑え
その分 支払金の節約に充てました
医療保障内容は 入院を厚くしていたのですが
癌の治療は 徐々に通院での治療が主流となり
我々の 現状のニーズと
合致しない状況になってきました
皆さんも 今一度 保険の保障内容を
きちんと見直されることを お勧めします
それはさておき
彼女の死亡保険金は
彼女の希望による ごくごく身内だけの葬儀と
散骨などの費用で ちょうど完結しました
誤差は ほんの数万円程度です
お金にしっかりしていた彼女は
そこまで きちんと調べたうえで
希望をしていたのだろうか
と思ってしまうくらいに
私に 大きな出費を残しませんでした
おまけに 私の退職金は
彼女の治療費や 贅沢な旅行の軍資金に
全て 活用しようと思っていたのですが
彼女がそれを望まず
ほとんど丸々 残るような始末でした
こうして彼女は 大きな借金をすることもなく
多少の貯金と 私の退職金をほとんど残して
旅立っていきました
私の旅行の 軍資金については
もう一つ 大きな出どころがあります
次回は そのことをご説明します
最後までお付き合い頂きありがとうございます
また来週 日曜夜にお会い出来ればと思います
一つの県をひと月かけて のんびりじっくり巡る
日本一周の旅も 6年目を迎え
47都道府県中 残り13都府県となりました
いくら 軽自動車による車中泊旅行とは言え
こんな贅沢な旅を 何年も続けられるとは
さぞかし お金持ちの道楽なのだろうと
推測されている方が ほとんどだと思います
(-_-)
そんな勘違いをされるのは
こちらとしても 大変 不本意ですので
経済事情について キッチリ (^^)
ご説明したいと思います
経済のお話をする前に
先ず そうした旅が許される
私の身辺事情について お話したいと思います
子供については
妻も私も 初婚ではありますが
40代を目前にした晩婚でしたので
子宝には恵まれませんでした
また 私の両親は 既に亡くなっており
姉が一人いますが
実家で元気に暮らしています
また 妻の義母さんは
日本最北の街で 健康にされていて
妻のお姉さんが 近所に住んでいるので
こちらも 不義理はしていますが 安心です
こうした身辺事情により
『 ひと県ひと月 』の お話しをした人達に
一様に羨ましがられる
そんな旅が続けられています
さて いよいよメインのお財布事情ですが
基本的に 退職金と
コツコツと借金を完済した
札幌のマンションの売却金 そして
結構な強運のたまものです
( 宝くじではありません (^^) )
私は 日本を守る武装集団を勤め上げ
そうした 体力勝負の組織の必然として
50代半ばにして 早々に 定年を迎えました
そして 妻が亡くなってから
長年暮らした札幌のマンションを
この旅行の資金作りのために 売却しました
ちょうど マンション周辺が
再開発でにぎわっていたことと
コロナが大騒ぎになる ギリギリ直前の時期で
しっかりと 売却活動もできたお陰で
結構 高値で 手放すことが出来ました
30年前に購入した時と ほとんど同額です
ですので 私は 管理費や税金を払う程度で
30年間 タダでマンション暮らしが
出来ていたようなものです (^_^)v
そうして マンションを手放して
全国旅行を始めたのですが
一応 荷物置き場と住民票を取得するため
狭くて安い 築30年のワンルーム賃貸を
北海道の北広島市に確保しました
北広島市は 検討をしていたその当時
野球の日本ハムの 本拠地の球場を建設中で
これから 賑やかで楽しい街になるだろう
そんな期待のもと 転居先に決めました
妻との思い出も 結構あったマンションを
手放すことに 心理的な抵抗もありましたが
とにかく 日本全国を
これでもかッというくらい 見せてあげたい
という思いが膨れ上がり
エイヤーの勢いで決めました
この辺の 心の動きについては
『 第91回 マイ グリーフケア その2』 で
ご確認ください m(__)m
続きが もう少し 長くなりますので
次回の持ち越しにしたいと思います
最後までお付き合い頂きありがとうございます
また来週 日曜夜にお会い出来ればと思います

