私は静岡県焼津市で生まれました。焼津は魚の街と言われるほど漁業が盛んで、魚センターや缶詰工場がたくさんある田舎の街です。私はその中でも特に海の近くに生まれ、ほぼ毎日海を見るような生活でした。そんな静岡には南海トラフ地震が来ると予想されており、小さいころから地震の話を聞いてました。おばあちゃんからは過去の津波であそこの家のAさんと向こうの家のBさんとそれから隣のCさんもみんな津波で流されたとか、親からは地震が来たらとりあえず逃げるんだよと言われて育ちました。幼稚園も海が近く、園内で防災訓練を何回もやりましたし、小学校でも授業で何度も地震や津波が取り上げられ、ときにはグループディスカッションをやってクラスみんなで考えたりもしました。でもその時はほんとにそんなことが起きるのか半信半疑で、興味はありつつも意味はあまり感じていませんでした。


そんなときに日本中を騒がせるほどの大きな地震が起きました。東日本大震災です。当時私は中学二年で、地震発生時は学校で3送会をやってました。静岡では震度4くらいで揺れ自体はそこまで大きくなかったのですが、家にいた家族は避難場所だった私の中学校に避難してきました。とはいえ学校にテレビもなく、専制も特に何も言ってなかったので大したことはないと思っていました。結局その日は夜8時ころまで体育館に避難し、安全だとわかったところで家に帰りました。そこで初めてニュースを見て衝撃を受けました。地震の揺れの映像、津波の映像、想像の遥か上を行く出来事を整理できませんでした。次はうちかもしれないという怖さと、他人事だと思えない臨場感を感じました。それから避難訓練にちゃんと参加するようになりました。地震が来たときにどうすればよいか、津波からどう逃げるかを真剣に考えるようになりました。


そこからしばらく経って高校卒業後の進路を考え始めたころ、授業の一環で大学の模擬授業を受けることになりました。その当時は機械系を学ぼうと思っていたのですが、その講義がなかったため興味本位で土木を受けました。その講義は地震の講義で、初めて学問として学びました。数学が得意な私にとって計算することが多いこの分野に興味を持ちました。そしてそのあと土木学科を志すきっかけとなる出来事がありました。海のすぐそばにあり、自分の通っていた幼稚園が廃園になったのです。理由は東日本大震災の津波の被害を見て、危険だという判断で決まったそうです。私はそれがショックでした。私は関わった人やものにすごく思い入れを持つ性格で、野球少年団の卒団記念にもらったシャープペンを中高6年間使い続けるほどだったので昔のものがなくなるのがものすごく嫌でした。と同時に小学校も中学校もなくなるんじゃないかと思いました。そして自分が守るしかないと思い、土木学科に入ることを決めました。


現在は希望通り土木学科に入り、地震や津波だけでなく、地盤分野、水理分野、構造分野、都市分野等を幅広く学んでいます。その中でも災害分野にずっと興味を持ち、地震や津波だけでなく、土砂崩れや地盤陥没、河川の氾濫なども学んできました。その中で熊本の地震や広島の土砂災害のニュースを度々目にし、まだ研究のあまり進んでいない土砂災害について研究しています。