4月16日、寮美千子氏主宰の「勾玉天龍座」による第10回奉納朗読劇「呪いの銅鏡 イワレビコとナガスネヒコ」が、田原本町の多神社の春の例大祭「おおれんぞ」で奉納上演されました。ここ数年はほぼ毎年観に行ってまして、今回は、自分が古代史上最も支持する人物の1人であるナガスネヒコが取り上げられるとのことで、ぜひとも観たいと思っていました。

※緑の文は脚本とは違う私的な考えです。

 

 
多神社にはためくのぼり旗。勾玉天龍座。

 

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始まりは遠い昔の九州のこと。
イツセとイワレビコの兄弟が率いる天つ神勢力。

 

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イツセ(手前2人の向左の青い衣装)とイワレビコ(同向右)。
東征し、ヤマトを奪い取ることを宣言します。
脚本で狙ったのか、左方上位(向右が上位)の思想があります。
イワレビコが向右に並ぶのが興味深いところです。

 

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一方ヤマトでは、先住勢力の長ナガスネヒコがニギハヤヒを従えています。

記紀ではナガスネヒコがニギハヤヒに仕えたことになっていますが、
脚本でニギハヤヒはあくまでナガスネヒコに仕える客将です。
後述しますが、私的にもニギハヤヒが上位の神格だ等の考えはありません。

 

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宇佐を取り、吉備へ進撃し、

瀬戸内海を東へ攻め進み大阪湾を越え、
生駒山麓、孔舎衛坂の、
左のイワレヒコ勢VS右のナガスネヒコ勢の戦い。
イツセがナガスネヒコの矢を受け、
イワレビコ勢は敗退し南へ向かいます。

 

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イツセの死。
ヤマト勢力に「賤しき土人」という侮蔑の言葉を残して死にます。
イワレビコは、脚本中でその後も一貫してヤマトの先住勢力を侮蔑的な言葉で呼びます。
古代日本での征服者は、被征服者に対し酷い蔑称を用いて滅ぼしただろうことは、
神武記・神武紀の記述や久米歌から見ても、
桓武天皇の蝦夷征伐を見ても、想像に難くありません。
景行紀の武内宿禰の奏上が「東の夷の中に日高見国有り・・(中略)
土地沃壌えて広し、撃ちて取りつべし」というものです。
天つ神の後裔勢力による「撃ちて取りつ」行為が、
歴史の中で何度も繰り返されてきました。

 

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イツセ亡き後の指揮を執る宣言をするイワレビコ。
その後、ナグサトベ(現在の和歌山市名草山周辺の女性首長)や
ニシキトベ(那智勝浦町周辺の女性首長)も敗れます。



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イワレビコ勢は、熊野からヤタガラスの先導により、
紀伊半島の中央部をヤマトへ向けて北上。
宇陀の長エウカシ・オトウカシのもとへ
イワレビコの命を受けたヤタガラスが遣わされます。

 

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エウカシは、オトウカシの裏切りにより、
自らの作った罠に追い込まれ殺されます。
エウカシの血は周囲に溢れ、
この出来事は記紀の中に地名説話として記載され「宇陀の血原」の名を残します。
オトウカシは時流を読みイワレビコ勢に合流。

 

宇陀市・宇賀神社境内。

 

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三輪山麓、磯城のエシキも、
イワレビコの謀略によるオトシキの裏切りにより敗れます。
戦闘においてのイワレビコ勢は、
「自衛のための敵地攻撃だ!」とのセリフを発しながら、
エシキ勢力に襲いかかります。
記紀ではこのとき激戦があったことが示唆され、
私的にエシキは、ナガスネヒコに並び

ヤマトで最重要な立ち位置の豪族であったことと考えます。

私的なこの考えを寮先生にお伝えしていたところ、
脚本中にエシキを登場させてくださいました。
おそらくはナガスネヒコらとともに部族連合を構成していたのでしょう。
「敵地攻撃」のセリフは、上記の蔑称と同時に現代の世相も反映させており秀逸。
敵基地攻撃能力を持つことは、自衛のためには必要ないと思います。

今の世で考えるべき要素を脚本にちりばめています。

 

多神社から見た三輪山(画像中央)。
三輪山の右手方向(三輪山の西南方向)が磯城地域で、
エシキが治めていただろう地。

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イワレビコとナガスネヒコの再戦。
ナガスネヒコは「盾形銅鏡」と「蛇行剣」による結界を守りに使います。
ナガスネヒコの「ナガ」は蛇を表す「ナガ」に通じるとの説もあります。
脚本には最新の発掘の成果も取り入れられています。

 

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ここまで、エウカシに対してオトウカシが、
エシキに対してオトシキが裏切っています。
そのことをナガスネヒコは、義理の弟であるニギハヤヒに指摘しますが、
ニギハヤヒはナガスネヒコを裏切ります。
ニギハヤヒの姑息な手引によりナガスネヒコを守る結界は消失します。
ニギハヤヒを大和の国魂とする折口信夫の説がありますが、私的には全く承服できません。
ニギハヤヒは小早川秀秋の様な立ち位置で保身を図った日和見な人物に思えます。

 

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ナガスネヒコはニギハヤヒに斬られます。その無念さはいかばかりか。

ニギハヤヒはイワレビコ側に寝返り、イワレビコ勢の勝利となります。
ニギハヤヒは、日本書紀ではナガスネヒコを裏切る形に描かれますが、
古事記ではシキヒコとイワレビコの戦いの後にイワレビコに合流します。
記と紀ではニギハヤヒの位置付けが若干違っています。
ニギハヤヒの後裔の物部は、
朝廷に従属することで勢力を拡大します。
その発端が神武東征にあります。

 

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敗れたナガスネヒコは、
自らが用いた「盾形銅鏡」と「蛇行剣」によって封じられ、

歴史から姿を消します。

イワレビコは人皇初代神武帝となり、神武東征は完了、
ヤマトは天つ神勢力の手に落ちます。

 

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2023年、考古学者による古墳の発掘により、
国宝級の「盾形銅鏡」と「蛇行剣」か出土します。
現地では、発掘された古墳はナガスネヒコの墓という伝承があるとか。
実はこの発見が、ナガスネヒコの封印を解くことになります。

 

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封印が解かれ、現代に蘇るナガスネヒコの霊。

 

ナガスネヒコの言葉・・・

 

人が人を思い、互いに気遣いあう世界を、
再びここに打ちたてよう。
欲深き者が疎まれ、
清らかな魂こそが讃えられる、まほろばを、
武器や、金や、欲ではなく、美しき言葉と、
たおやかな歌と、真摯な祈りに満ちたまほろばを、
いま、この地に取りもどそう! 

現代において、誰もが考えなければならない言葉、
心に留めおくべき言葉だと思います。
脚本を紡がれた寮美千子氏へ感謝。