【舞台観賞】「恋愛病患者/宮城野/兄の場合」(TAC三原塾) | ヒトデ大石のなんとなくレポート置場

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2011年8月「ヒトデ大石のどんなブログにしようか検討中。」からタイトル変更。
ライブイベント、舞台観劇のレポートを中心に書いていこうというブログ。
以前はmixiが主戦場だったけど、今はこっちが主戦場(笑)

※この舞台は9/24~9/30まで行われた舞台で既に公演は終了しています。

さて少し間は空いたのですが、9月下旬に一本舞台を観に行きました。

お伺いした劇団はTAC三原塾。
数年に一度、ロシア文学(チェーホフなど)の戯曲を中心に演じている劇団……というイメージですが、今回はちょっと風向きが違う……。
……という事で今回は「日本近現代戯曲への挑戦」と銘打ってオムニバス形式の舞台を3本上演。

菊池寛作の「恋愛病患者」、矢代静一作「宮城野」、そして先ほどの「恋愛病患者」の後日談にあたる「兄の場合」

……これまでこの劇団を拝見した時はロシア文学のイメージが強かったのですが……。
もっとも今回の「日本近現代戯曲への挑戦」シリーズも今回でvol.7なので結構公演しているみたいですが……。

そんな訳で向かった先は新宿ゴールデン街劇場。
その名の通り、新宿ゴールデン街のすぐ側にある劇場で、時間帯によっては立ち寄って一杯やっていける立地にあるのですが……。
ただこの新宿ゴールデン街劇場、とにかく狭かった(笑)
確か40席くらいで満席になると事前に聞いていましたが、それ以上に狭かったんじゃないでしょうか(笑)
でもいかにも「小劇場」って雰囲気はして、それはそれで好き……なんですけど、やっぱり狭かった(笑)
以前、この劇団を拝見しているのは、日暮里d-倉庫なのでそのイメージがいまだに強いためか、狭い劇場内に慣れなかった(爆)

……そんなこんなで開演前にはほぼほぼすし詰め状態の舞台。
もちろん最前列から舞台までの距離も非常に近く、またこの舞台上も出演者が何人立てるのか……と思うくらいのスペース。

とにかく限られたスペース……というよりは、削られまくったスペースで果たして、どんな舞台が展開されるのか!?

オムニバス形式ですが、簡単にあらすじをば……と思いましたが、三作とも「戯曲」として既に何度も上演されている。
菊池寛、矢代静一のファンなら下手に自分が説明しないでも、あらすじは知っている……と思われるので今回は割愛。
ただあまりにこのような説明だと不親切なので、すごい簡単に説明すると……。

・「恋愛病患者」……大正6年、ある一家の次女の駆け落ちを巡る家族たちの物語。
・「宮城野」……天保8年(1837年)、女郎・宮城野と偽絵師・矢太郎の「東洲斎写楽殺し」を巡る物語。
・「兄の場合」……「恋愛病患者」の6~7年後の後日談。一家の長男が駆け落ちした事の顛末。

……と言ったところでしょうか。
ざっくりしすぎですが(笑)

この三本の「戯曲」がオムニバスで立て続けに上演されます。
しかしこの三本「恋愛病患者」と「兄の場合」の間に「宮城野」が入るという不思議な構成になっています。
菊池寛の作品に挟まれて、矢代静一の作品……一見すると、何の繋がりも見えません。
作品の時代も違えば、作品の公表時期も違う。
強いてあげれば、矢代静一は菊池寛の戯曲を自ら演出したというプロフィールが矢代静一公式サイトで散見されるくらい……。

まずこの三本の繋がりに頭を捻る人は多いでしょう。

実際、自分も観劇する前まではその考えでした。
恐らく製作側もこの三本を演じたくて並べただけ……かも知れません。
しかし観終わってみると、不思議な事にこの三本の、この並びが絶妙に思えてくるのです。
これはとても不思議です。

最初の「恋愛病患者」はまだ19歳の次女の駆け落ち、そして悲恋に終わる。
特に大正時代、戦前の価値観からすれば、今以上に貞操観念が強く、また一家の主たる父親が強い時代。
現代の価値観とはかけ離れているものの、どこか一家の大黒柱たる父親に逆らえなかった当時の時代背景を考えれば、この結末もいたしかなく思えた。

真ん中に入った「宮城野」は女郎とその馴染み客である偽絵師の物語。
女郎・宮城野が最終的に偽絵師・矢太郎のために自らが「身代わり」になって罪を被るという結末。
江戸時代末期を舞台としている話であり、どこか浮世離れしているように思いつつも、どの時代でも「情」というものは人をここまで突き動かすもの……というのを垣間見た気がする。

そして最後の「兄の場合」……「恋愛病患者」の頃から、父親に反抗的だった長男が今度は芸者と駆け落ちするという話。
だが「恋愛病患者」の悲恋から、結局、立ち直れていない次女を目の当たりにした父親が見る影ものなく……という落差に驚く。

一ついえるのは形こそ違えど、取り扱っているのは劇中で取り扱っているのは男女の間柄。
「恋愛病患者」→「兄の場合」が物語の時系列的には繋がるのだが、そこに敢えて真ん中に「宮城野」をもってきた意図……。
何があるんだろうと勘繰ってしまうのだが、本来関連性の無い「宮城野」を見た後で「兄の場合」を見ると「奇妙」な関連性が勝手に思い起こされる。

これが演出側の意図なのか、それとも本当にただの偶然なのか。
いずれにせよこの三作のオムニバスが、三作合計で1時間40分という短い時間であっという間に駆け抜けていった。
「日本近現代戯曲」の魅力が濃縮に凝縮された、秀逸な舞台だったのは間違いないと思います。



ここからは個人的に気になった出演者の方でも。

まずは「宮城野」に出演した二人、坂浦洋子嬢と木場孝一氏。
「宮城野」はほぼ終始、二人の芝居で進んだと言って過言じゃないのですが、二人の掛け合いがとにかく息をつかせぬテンポでどんどん進んだ。
単純にお二人ともうまいのもあったけど、非常に当時の人間くささというか、そういうのが終始滲み出ていた。
それにしても膨大な台詞量……よくあれだけほぼとちらずに良く言い切れたもんだと思う。
特に終盤は坂浦嬢演じる宮城野一人の独白になっていくんだけど、もうこれが圧巻……。
舞台の真髄というのを見せてもらった、そんな気が致します。
……そういえばこの二人、前作「イワーノフ」では夫婦役でしたね……。
この手の男女役をに慣れているのかな……そんな長年の付き合いの深さも垣間見える演技でした。

「恋愛病患者」、「兄の場合」は一家の主・佐々木貞一を演じた井ノ口勲氏と、長女の夫・謙一を演じた田中芳拡氏だろうか。
この二つの話、実は構成はほぼほぼ同じ。
駆け落ちした人物を謙一が迎えに行って、貞一以外の家族の意見をまとめて、最後は貞一と謙一が面と向かって話し合うという流れ……。
違うのは駆け落ちした人物なり、家族の意見と言ったところなのですが……。
個人的にはその貞一と謙一が一対一で面談を持つシーンの掛け合いのテンポが好き。
「恋愛病患者」では終始、重い時間が流れていくのを感じたのに対し、「兄の場合」ではその重苦しさが嘘のようになっていったのも印象的。
同じ役者同士の掛け合いでも、物語の展開でここまで印象が変わるという好例。
非常に見応えがありました。

最後に個人的な友人でもあり、今回のお目当てだった清水学氏について……。
「恋愛病患者」、「兄の場合」で佐々木家の長男・哲夫を演じていました。
彼の舞台はこれまで何度か拝見していますが、個人的には今回の哲夫が普段の彼を知る者としては一番違和感なく入れたという印象です。
「恋愛病患者」での妹を大事に思うがあまり、父親に強くたてつこうとする若々しさが目を引いたのですが、「兄の場合」の再登場シーンではどこか情けないお兄ちゃんっぷりが……(笑)
この落差が個人的にはたまらなかったのです。
いずれにせよ彼が哲夫というキャラをしっかり演じて、物語を語る上で大きなインパクトとアクセントをつけていたのは間違いないと思います。
今後も一友人としても、彼の活躍を願う次第です。



今回は短いですがこんなところでしょうか。
こうして「日本近現代戯曲」に触れ合う機会を得て、個人的にも非常に楽しませていただきました。
いわゆる昨今の小劇場とは違って、その時代に作られた作品は、それはそれで味わいがあると感じた次第です。

そんな事を感じた9月下旬、秋の始まりを感じる新宿での出来事でした。