【50回記念特別企画】AnB ぷれみあむぅ シリーズ・イベント史2(神楽坂時代~現在) | ヒトデ大石のなんとなくレポート置場

ヒトデ大石のなんとなくレポート置場

2011年8月「ヒトデ大石のどんなブログにしようか検討中。」からタイトル変更。
ライブイベント、舞台観劇のレポートを中心に書いていこうというブログ。
以前はmixiが主戦場だったけど、今はこっちが主戦場(笑)

さて昨日から始まったこの企画。
 
昨日に引き続き、イベント史を簡単に振り返ってみたいと思います。
昨日はイベント開催前から芝浦時代までを振り返りましたが、今回は神楽坂時代から現在までを振り返りたいと思います。
 
●神楽坂時代/2011年7月~2015年3月
 
芝浦StudioCUBE326から移転先として選んだのは、神楽坂EXPLOSION。
当時、主宰のFICEが最も懇意にしていた会場の一つでした。
2011年7月からこの後、3年8ヶ月の長期に渡り開催されたこの地で、AnB ぷれみあむぅ シリーズはいよいよイベントとしての成熟期を迎えます。
 
2011年から2012年にかけて「イカすアキバ天国」では、このイベントを長きに渡りイベントを支える出演者が次々と優勝する。
移転初回の第21回でひゞかなが優勝すると、翌回で芝浦時代から出場を続けていた森永まみ、そして現在も「ぢゃ☆ベストテン」に出演を続けるまかべまおも第23回に優勝している。
2012年になると後に「神楽坂の妖精」と称されるMa:rchen-holic*、芝浦時代からの挑戦者・みく16歳などが優勝。
そして四谷時代の第一回にも出演していたゅん((・∀・))ゅんが出場11回目にして優勝した。
(現在もゅん((・∀・))ゅんの優勝までの所用回数:11回は記録として残っている)
 
「ぢゃ☆ベストテン」は芝浦時代からの流れで、大和撫子、noisy、vol.23で優勝し9代目女王になったYUIMINOが中心の三つ巴の展開を見せていた。
そして2012年……遂に「ぢゃ☆ベストテン」の出演者数が11組に達したため「脱落システム」が稼動する事となった!
 
この「脱落システム」はイベント開始当初から設定されていたものの、これまで出演者が11組に達する事が無かったため、それまで稼動する事は無かった。
だが芝浦時代の後期から、順調に「イカすアキバ天国」での優勝者が増え続けた結果、2012年3月……vol.25にて初めて実装された。
この時、初の脱落の憂き目に遭ったのが、悲しみいちご商会(前:いちご姫withいちごダンサーズ)
前回のvol.24でとろ美が卒業しており、イベント草創期を支えた「オリジナル5」もこの時点でFICEを除く4組が「ぢゃ☆ベストテン」の舞台を去った。
イベントの中心はいよいよ「イカすアキバ天国」を勝ち抜いた出演者たち中心のものに移り変わろうとしていた。
 
またこの脱落システムをキッカケに「返り咲き」が初めて発生したのもこの時期。
初の返り咲き達成者は、第24回を優勝しながら、vol.26で脱落、しかし再挑戦の第27回で優勝して再び「ぢゃ☆ベストテン」に復帰した小泉千秋。
(ちなみに小泉千秋は後に再度、返り咲きを達成している)
このように「ぢゃ☆ベストテン」の脱落システムの本格稼動に伴い、「イカすアキバ天国」も勝ち抜きを目指す者だけでなく、復帰を目指す者の戦いの場という意味合いを持つようになり、微妙な変化が現れ始めた。
 
その一方、2012年の「ぢゃ☆ベストテン」を席捲したのは大和撫子だった。
vol.24からの四連覇で早々に2012年の年間最多勝を決めており、また総合の優勝回数で7回に到達し、この時点で歴代1位となっている。
そんな圧倒的な強さを誇った大和撫子にストップをかけたのが、みく16歳。
9月のvol.28でみく16歳が史上3例目の初ランクイン初優勝で10代目王者となり、翌vol.29でも優勝し連覇を達成して、大和撫子独走状態になんとか一矢報いた形だった。
 
2013年以降、これまでの様相は一転する。
「イカすアキバ天国」については、前年までは芝浦時代から引き続き出演していた出演者が多数だったが、この頃から神楽坂時代から出演を始めた出演者が優勝争いの中心となっていく。
2013年に優勝した桑名美沙子、デカシャツ喫茶、石戸なつみ、2014年に優勝したMicA、江織杏ら現在の「ぢゃ☆ベストテン」出演者の多くが神楽坂時代からの出演で、またこの時期に勝ち抜いている。
 
「ぢゃ☆ベストテン」でも大きな動きがあった。
芝浦時代から長きに渡りイベントに貢献したnoisyが2013年1月・vol.30の優勝でイベント卒業(翌月解散)
その後はvol.31から大和撫子が三連覇で三年連続の年間最多勝を獲得するも、9月のvol.34では森永まみが返り咲きからの即優勝で11代目王者に。
11月・vol.35で翌年飛躍する事になるデカシャツ喫茶が史上4例目の初ランクイン初優勝で12代目王者に輝いた。
だがそのvol.35で主宰でもあるFICEが「ぢゃ☆ベストテン」脱落。
これにより「ぢゃ☆ベストテン」開始当初の「オリジナル5」が全組「ぢゃ☆ベストテン」の舞台から姿を消し、完全にイカすアキバ天国優勝者……「アキ天キング」たちの戦いの舞台と化した。
 
2014年の「ぢゃ☆ベストテン」は前述のデカシャツ喫茶が年間4勝で、年間最多勝を獲得。
大和撫子が三年連続で保持したタイトルのタイトルの奪取に成功した。
そして翌2015年になると「ぢゃ☆ベストテン」に三年間出場し、これまで未勝利だったまかべまおが悲願の初優勝を飾り、13代目王者に君臨した。
 
……こうして長きに渡り、数々のドラマを生み出した神楽坂時代だが、その終焉は突然訪れた。
2015年3月の第43回、vol.43が終わり数週間後、神楽坂EXPLOSIONの体制変更が発表される。
これによりこれまでのように会場が抑えられなくなった影響で、会場変更をせざるを得ない状況となった。
 
しかしこの長きに渡り安定運営出来た神楽坂時代のおかげで、このイベントの一番重要な礎の部分がしっかり出来上がったという意味では、イベント史において最も重要な時代だったのは誰の目から見ても明らかである。
 
●四谷mono時代/2015年5月~2015年12月
 
上記の会場移転の影響から、次にAnB ぷれみあむぅ シリーズが移転したのは四谷mono。
なお本編にあたる「Aey!ney!Bey!MUSIC JUMP」は東高円寺ロサンゼルスクラブでの開催となり、芝浦時代以来実に約6年ぶりの本編、ぷれみあむぅシリーズの別会場開催となった。
 
先に結論から申し上げると、この会場、東京オリンピックの再開発地域に指定されていた関係で、2015年いっぱいでの閉鎖が決まっていた。
そのためこの会場でAnB ぷれみあむぅ シリーズが行われたのは僅か4回。
しかしその4回とも非常に内容の濃いものとなっている。
 
「イカすアキバ天国」では演者とその元推しの異色ユニット・Bevitrice e Golosoや「神楽坂の妖精」と称されたMa:rchen-holic*からりゅうきいずむがソロで優勝を決めている。
「ぢゃ☆ベストテン」では移転直後のvol.44にてまかべまおが三連覇を達成(後、2015年年間最多勝獲得)する一方、大和撫子、デカシャツ喫茶が久々の優勝を飾るなどして沸かせてくれた。
 
非常に短い期間ではあったが、神楽坂時代から延々と続くイベントの熱気を伝えてくれた四谷mono。
惜しまれつつも2015年末に閉店した。
だがこの四谷monoは、池袋への移転が決定。今年6月から池袋monoとしての再スタートが決まっている……。
 
●そして現在……
 
AnB ぷれみあむぅ シリーズもこの四谷mono移転に伴い、池袋monoでの開催は2015年後半期には既に大筋合意がされていた模様である。
だがどうしても移転のための準備に時間がかかる。
その間、このイベントを代替開催する会場が必要だった……。
 
そこで白羽の矢が立ったのが、現在、本編の開催地となっている東高円寺ロサンゼルスクラブだった。
 
そして5月……記念すべき50回目のAnB ぷれみあむぅ シリーズは、この東高円寺の地で行われる事となる……。
 
 
 
駆け足でイベントの歴史を振り返っていきましたが、皆様はどうでしたでしょうか。
自分たちがこのイベントに参加し始めた時期を懐かしむもいいと思いますし、また自分たちが参加し始めるより前の時代に思いを馳せるのもいいと思います。
 
「二ヶ月に一度のライブ」バトル……2008年から始まったこのイベントも、2011年3月「唯一の例外」を除き、二ヶ月に一度のペースを守り続けここまで来ました。
この間「ぢゃ☆ベストテン」に出場した出演者は……実に46組。
これに加え「イカすアキバ天国」を優勝しながらも、出場辞退したの出演者が2組。
 
次回からのは「ぢゃ☆ベストテン」に出場した46組と、出場辞退した2組の出演者について語った「出演者列伝」48回に渡り語っていきたいと思います。
 
明日からもよろしくお願いします。