改めてご報告 | ヒトデ大石のなんとなくレポート置場

ヒトデ大石のなんとなくレポート置場

2011年8月「ヒトデ大石のどんなブログにしようか検討中。」からタイトル変更。
ライブイベント、舞台観劇のレポートを中心に書いていこうというブログ。
以前はmixiが主戦場だったけど、今はこっちが主戦場(笑)

既にTwitterなどでご存知かと思いますが、先日、11月22日、我が家の愛犬・くらのすけが息を引き取りました。
享年13歳でした。

たかがペット……と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとって彼はかけがえの無い家族そのものでした。

思い返すこと13年前……当時、私はまだ大学生でした。
現在の実家が建って、ちょうど一年建った頃、父が犬を飼おうと言ったのがキッカケでした。
同僚の方のメス犬が仔犬を産んだので、その中から一頭、引き取ろうと……。

現在の実家は両親にとって念願の一軒家。
マンション購入と最後まで悩んだ結果、家を建てました。
以前から両親はペットを飼いたい想いがあり、家も建って一年、落ち着いた頃だったので、犬を飼うという発想に行き着いたものと考えています。

その年の年末……我が家に真っ黒なラブラドールと和犬(?)の雑種のオスの仔犬がやってきました。
その仔犬につけられた名前は「くらのすけ」

数ある名前候補から、姓名判断などをして名づけた名前です。
もちろん由来はあの忠臣蔵「大石内蔵助」からですが(笑)

我が家に初めてやってきた犬。
でもただのペットと位置づけたくなかった私は彼を「大石家の三男」として扱い「弟」として扱いました。
(ご存知かと思いますが、私にはもう一人、人間の弟がいますので彼が次男です)
我が両親の元に「養子」でやってきた仔ですから、私にとっては「弟」です。


その後の楽しい日々については、主に以前持っていた公式サイトや、mixi日記を中心にあげたのでご存知の方も多いかと思います。
気がつけば家族の一員として、くらのすけは自分たちにとって欠かせない存在となっていきました。

やがてもう一頭、ラブラドールのリキが加わり「四兄弟」となり、更に楽しい日々が続きました。

日記にあげていないけど、実は両親と昨年亡くなった祖父とは、年に1~2回、日本全国を車で北から南までしょっちゅう旅をしていました。
実は自分より全国津々浦々、歩き回ったんじゃないか!?
社会人になって、両親たちと旅に行けない分、余計にそう思います。

2年前の夏には、父の転勤に伴い、両親と共に沖縄まで一緒に行ってるので、、多分、北海道以外は全部回ったんじゃないでしょうか?
そういう意味で、常に両親や祖父と旅が出来た、くらのすけ達は幸せな犬だったのでは無いかと思います。
また社会人になった自分、家庭を持った弟に代わり、くらのすけ達には息子の役割……いや息子として両親に常についてくれていたのは、兄として非常に有難かったと感謝しています。


そんなくらのすけの体調が悪化し始めたのは、今年の夏。
8月の終わりに母から「会いにきて」と言われた頃からでした。
この時はまだ歩こうと思えば、歩けるし、そこまで心配していませんでした。
ただ確かに以前と比べると、やんちゃな面影は無くなっていました。
その後、数ヶ月は特にくらのすけの心配をするようなメールは無く、むしろ父には「心配しすぎ」と思われていたくらいでした。

そして11月20日。
くらのすけにとって13歳の誕生日。
今までに無いくらい、くらのすけの症状を心配する母から「会いにきて」というメールが来ました。
物を食べず、寝たきりになったくらのすけ。

その日の仕事を終え、実家に着いた自分が目にしたのは、明らかに今までで一番弱っているくらのすけの姿でした。
目は殆ど見えない。耳も遠くなって聴こえない。臭いも以前ほどかぎ分けられない。
私が実家から離れて過ごして2年半……くらのすけは明らかに目に見えて弱っていました。
それでも彼の首筋を撫でた時でした。

それまでほぼ無反応だった耳と尻尾が一瞬動きました。

「自分が分かるのか?くらのすけ?」

思わずそう呼びかけました。
その問いに答えは無かったものの、首筋を撫でるたび、ほんの少しだけ、耳とわずかに尻尾が動きました。
私はその反応だけで本当に嬉しかったし、もう十分でした。

「ありがとう、くらのすけ。今日一日待ってくれて。
 でももう辛かったら、無理しないでいいからな。
 本当にありがとう」

そう言って、この日は帰りました。
実は翌21日は父の誕生日。明後日の22日に弟一家や叔母が父を祝いに集まるというので、その時に再会できればいいと思っていました。

……これが私とくらのすけの最後の別れでした。


11月22日早朝。

くらのすけは隣で寝ていた母の隣で、安らかな顔をして眠るように息を引き取っていた……そのように父から聞きました。


その日の夜。
職場に半休をもらい、くらのすけの火葬に立ち会いました。

私の弟を送り出す、最後の別れとなりました。

でも私の中で、悔いは残っていませんでした。
最後まで家族として、彼を送り出せたのですから……悔いはありませんでした。

ただ家族と別れて、一人になって、初めて数多くの思い出が蘇ってきました。
その思い出の一つ、一つが愛おしくて……。


でもこうして送り出せた以上、これ以上、悲しんでも仕方有りません。

彼の死から三日が経ちました。
今はお骨になったくらのすけですが、今頃、どうしているのでしょうか……。

恐らくは昨年亡くなった祖父と再会して、空の上で散歩でも楽しんでいるでしょう。
そんな事を思います。


そういう訳で生前、くらのすけをネットを通じて愛してくれた皆様には、このようにきちんとした形で報告したいと思い日記にしました。

本当は色々写真を載せようと思ったのですが、あれもこれも載せると、足りないので、くらのすけの写真を見たい方はmixiにいっぱい掲載しているので確認でもしてみてください。

でも敢えて一枚載せるなら、この一枚かな……。


 
  

今年の夏に撮った一枚。
かなり弱っていたけど、くらのすけの風格漂うお気に入りの一枚です。

さようならは言わない。

いつか自分がそちらに逝く時まで、ちょっと時間はかかるけど、待っていてくれ。

くらのすけ、お前はいつまでも、私の弟だよ。