【舞台観賞】「異聞おとぎ夜話」(ジャングルベル・シアター) | ヒトデ大石のなんとなくレポート置場

ヒトデ大石のなんとなくレポート置場

2011年8月「ヒトデ大石のどんなブログにしようか検討中。」からタイトル変更。
ライブイベント、舞台観劇のレポートを中心に書いていこうというブログ。
以前はmixiが主戦場だったけど、今はこっちが主戦場(笑)

もう既に自分の「舞台観賞」シリーズではすっかりお馴染みの劇団ジャングルベル・シアター。
秋を迎えつつある9月末……9日にも渡る長きに渡り公演された、恒例企画であるギャラリー公演。

今回は劇団ジャングルベル・シアターのギャラリー公演初秋「異聞おとぎ夜話」の様子を、たっぷりレポートいたします(笑)

会場はお馴染み、神保町・ART SPOT LADO。
40席程度の会場には毎度お馴染みの座布団席や、公衆浴槽でお馴染みの椅子が置いてあったりします。
もうギャラリー公演も今回で5回目となると常連のお客様には当たり前の光景過ぎて、これが無いとジャンベルじゃないとまで思えるようなものになっております(笑)

毎度お馴染みの手作り感満載の公演で、開演前、スタッフとして右往左往する劇団員の皆様の様子も楽しめます(笑)
多分、この普段の劇場では見る事が出来ない劇団員の様子を楽しめるようになったら、もうあなたはジャンベルの常連決定です!(爆)

そんな訳で……本公演が行われる小劇場とは違い、40席程度のギャラリー。
今回、自分は全9公演中5回観劇に行きましたが(そこ突っ込まない・笑)どの回もほぼ毎回のように満席でした。
ただ毎日、一日一公演なので、実は公演回数からすると9日で9公演だから……マチネソワレ(1日昼夜2公演)が4~5日続く公演と比べても公演回数的には大差ないかもしれません。

しかしこの「おとぎ夜話」シリーズ、年々、公演の回数は確かに増えており、昨年秋の「続々・おとぎ夜話 寿」が7日だったのに、今回は更に二日増えました(笑)
まぁさすがにこれ以上、公演回数は増えないと思いますが……。

そんなこんなで劇団員の皆様の様子を眺めつつ、開演を待っていると大体5分前に前説開始。
今回は全公演で本多照長氏が担当。
前回のように面白い小話はなく、注意事項をきちんと説明していただきました。
本多氏、毎日お疲れ様でした。

そして定刻。
主宰・浅野泰徳氏のご挨拶から入ります。
毎度恒例「民俗学知っている人は挙手」のくだりからスタート(笑)
大抵、手を挙げるとしても常連のみ……という流れだが、最近は手を挙げる客が増えて嬉しそうな浅野氏の姿が印象的である(笑)

民族学に関する簡単な説明から入り、ステージの上に飾られている「七福神巡り」の解説。
そして今回の題材……「毘沙門天」について軽く触れてから、浅野氏の「おとぎ夜話、始まります」の掛け声の後、いよいよ本編開始。

さて今回も公演終了後につき、簡単だけど詳細なあらすじを完全ネタバレモードで紹介します!(笑)
恒例となっていますが、この「おとぎ夜話」シリーズは大まかなストーリーと三本のオムニバス形式で進行します。
今回もその進行に沿ってあらすじを説明いたします。



冒頭は歴史学者・喜多川守彦(西村太一・以下敬称略)がある本に記した一文を読み上げるところから始まる。

「この本を出版するにあたり、皆様にお伝えしなければならない事がある。この本は皆様が驚くような新発見や、ましてや大学向けのお堅い論文でもない。ただ子供の頃の自由研究をこの歳になって終わらせたようなものである」

そのような一文の後、この本を出版するにあたり、二人の人物の名を挙げようとする。
一人は旧友、そしてもう一人は……。



……綾州村・天竜神社。
この天竜神社は七福神の一尊である毘沙門天が祀られ、毎年祭で「百足神輿」という神輿がテレビ中継されるくらい有名な神社である。

この地を訪れていた喜多川は、ひょんな事から河川調査員・竜胆丸平四郎(浅野泰徳)と知り合う。
友人である郷土史研究家・大伴御幸(大塚大作)と共に訪れる予定だった竜胆丸だが、この時期に行われる祭見たさに大伴を置いてけぼりにしてこの地を訪れていた。
そのためこの地についてはもちろん、本来の調査対象である天竜神社など関わるものについての下調べもずさんなものだった。

当の竜胆丸は埋蔵金シリーズなどのテレビ特番で有名な喜多川に、こんなところで会えるとは思わず当初は驚くものの、埋蔵金調査のために喜多川がこの地に訪れたと思い込む。
近くには今は閉山したが、かつて金が取れた鬼板鉱山があり、また喜多川自身も天竜神社から遠くに見える鬼板鉱山とその斜面にある770本も連なる百足鳥居をずっと見つめていたからだ。
また喜多川自身も、埋蔵金調査の事を否定しなかった……。

遠くに見える百足鳥居に興味を示した竜胆丸。その先に神社や何か祀られているものが無いのかふと疑問に思う。
しかし百足鳥居の先には神社やそれに変わる御神体なども無い事を、既に調査済という喜多川に告げられる。
だが仮に「幻の神社」があるとすれば、毘沙門天が祀られていると喜多川は推論を述べる。
※ここで毘沙門天に関する知識が延々と台詞で語られますが、皆まで語るとかなり長くなるので割愛します。

そこで竜胆丸は天竜神社が百足鳥居の先にあったかもしれない「幻の神社」の変わりという仮説を立てると今度は「(明治初期に出来た)歴史も浅い、こんなふざけた名前の神社が、毘沙門天を祀っているのはおかしい」と喜多川に真っ向から否定される。
根拠として毘沙門天の使いである百足(ムカデ)と、竜と蛇といった水神の使いとされる動物は昔から仲が悪かったとされる。
それなのに「竜」の文字が入っている神社が毘沙門天を祀っている事自体おかしいというのである。
そして喜多川は、かつて鬼板鉱山を治めていた棚橋家に伝わる、一つの物語を語りだす……。

物語のタイトルは「蛇どんと百足どん」(笑)

・第一話

昔、綾州村と鬼板鉱山の麓・金香村の側を流れる長葦川に上流に大きな百足どん(升田智美)と、下流に大きな蛇どん(野上あつみ)が住んでいた。
百足どんと蛇どんはとても仲が悪く、事あるたびにいがみあっていました。
しかしある日、力が弱った蛇どんは百足どんに脅される形で、あと七日のうちに川から出て行くよう迫られてしまう。
力が弱くなった蛇どんはどうしようも無く五日間悩み続けた。
するとそんな蛇どんの前に、突然、逞しい(?)若者(大塚大作/二役)が現れる。
大きな蛇を目の前にしても一切驚かない彼を目の当たりにし、蛇どんは若い人間の娘に姿を変えて百足どんを倒すようお願いする。
快く引き受けた若者は蛇どんと一緒に百足どんが住む上流、そして山の中まで向かう。
途中一休みした途端、突然百足どんが現れ、そのまま若者との戦いに突入します。
だがどんな攻撃も百足どんの前には通用せず、若者は追い込まれ絶対絶命!
そこで蛇どんは百足どんの弱点を若者に伝えます。
若者は百足どんの弱点……人間の汗を大量に浴びせて、あっという間に死んでしまいました。
そして百足どんの死体は岩肌からくっついて離れなくなった。
すると百足どんの死体のあたりが急に輝き出して、若者がその辺りを斬りつけたところ……。

……そんなお話。牧歌的かつ色々笑える話(笑)
まぁ若者のビジュアルが逞しかったか(笑)とか色々ツッコミどことは満載でしたが概要はそんなところ。
これがかつて金で栄えた鬼板鉱山発祥の由来となった話との事。
喜多川はこの話を蛇どんが農民、そして百足どんが鉱山関係者を指し、かつての農民と鉱山関係者同士の争いの歴史の「たとえ話」として捉えていると主張する。
しかしこの仮説が腑に落ちない竜胆丸。素朴な疑問や、矛盾点を洗い出し喜多川にぶつけるが、その反論にまともに取り合おうとしない。

こうして竜胆丸の興味は鬼板鉱山と百足鳥居に向けられる。
先程の「蛇どんと百足どん」のオチの中にもあった、百足どんのために建てられた御堂が、「幻の神社」を現すのでは無いか……。
竜胆丸一人で鬼板鉱山、そして百足鳥居に向かおうとするが、喜多川も番組制作上の守秘義務を理由に竜胆丸と百足鳥居に同行する事になる……。



高さがバラバラの百足鳥居に沿って山道を登りきり、鬼板鉱山の見晴らしのいいところまで到着した二人。
辺りの地名を喜多川に確認しただけで「崩壊地名」の存在に気付き、この辺りが昔災害が多かった事に竜胆丸は気付き、また喜多川も感心する。
一方であちこちを探し回ろうとする竜胆丸に、危険という理由で勝手に探し回らないで欲しいと、かなり険しい表情で怒る喜多川。
竜胆丸が坑道などに落ちて亡くなった場合の責任を盾に怒っているのだが……。
そんな中二人の会話は、子供の背丈くらいしかくぐれない百足鳥居の段差や、天邪鬼などに会話は及ぶ。
すると突然、思案を始める喜多川……そしてここで再び、この地域に伝わっているという昔話を語りだす。

・第二話

戦国時代初期の話。
武士を志す近在の村出身の青年・次郎(神田英樹)は鬼板鉱山の見張り役を務めていた。
そんなある日、自分と同じ村出身の少女・お梅(松宮かんな)が鉱山にやって来た。
実家に弟が生まれたお梅は年季奉公のため、同じように近隣の村から集められた子供たちと一緒に鬼板鉱山に送られたのだ。
期限の二年が経てば、金の粒がもらえると言われたお梅は必死になって働いた。だが実際は金は領主の物であり、お梅は金をもらえるはずが無かった。
それでもは必死に働くお梅を、次郎は自分の飯を分けてあげるなどして手助けしてあげた。
やがて時は経ち、もうすぐお梅の奉公が終わる二年も近づいた秋のある日、鉱山を任されている大滝(本多照長)に次郎は呼び出された。
大滝は今度、金を城に運ぶ際、次郎を正式に武士として取り立てるよう領主に進言すると言う。念願が叶うかもしれない……喜ぶ次郎だったが、一つ条件を出される。

それは……子供たちを殺せという命令だった。

金山の場所を知られてはまずいため、口封じのために子供たちを殺すというのだ。
既に準備は整えられていて、滝壺の上に建てられた舞台の楔を一本抜けば、舞台は崩れて子供たちは流されて……という仕組みである。
「明日だ」それだけ言い残し、次郎の元を去る大滝……。
次郎は悩んだ。そして一度はお梅を説得して逃げようとするが、大滝にそれすらも阻止された。
迎えた翌日……次郎は子供たちのために、舞台の上に大量の握り飯を用意する。お梅を始めとする子供たちが我先にと舞台の上に上る。
そして頃合を計って次郎は楔を抜いた……。
舞台は崩れ、次々と川の急流にお梅たち子供たちは飲まれていき、子供たちの死体は下流へと流れていった……。
だが……お梅の死体だけは見つからなかった。
数日後……次郎は船に乗り、大滝と共に金を城に届けようと、滝壺を渡っていた。
だが滝壺の途中まで来たところで、次郎の頬に赤黒い液体が……。
そして上を見上げると……そこには松の枝にぶら下がったお梅の死体があった……。
そこで枝が折れ、お梅の死体は次郎の上にかぶさった。必死にお梅の死体を振り払う次郎。
しかしその直後、周りの景色が揺れ……そして次郎は……。

……そんな怖い話。
話の中に「大滝」「お梅」と言った「崩壊地名」の存在に気付く竜胆丸。
この話から竜胆丸はこの地域では、昔から土砂災害が多かったのでは無いかと仮定。
そして百足鳥居の段差は地滑りが原因と竜胆丸が仮説を立てると、突然、喜多川が幻の神社は金香村に埋まっていると叫ぶ。

竜胆丸の仮説のおかげで思わぬ調査が思わぬ進歩を見せたと喜ぶ喜多川。
大喜びの喜多川はそのまま、明後日までこの地に居ると言い残し、その場を立ち去った……。

だが妙に腑に落ちない竜胆丸。
そこで大伴にこれまでの経緯を掻い摘んで話す。
しっかりリサーチを済ませていた大伴との会話と、そして自身が撮った写真などから竜胆丸はある仮説に辿りつく……。



……翌朝。
昨日と同じ場所に喜多川が現れる。そしてそれを待ち伏せていたように竜胆丸も現れる。
まず竜胆丸は喜多川が実は、鬼板鉱山を治めていた棚橋家当主の嫡男である事を確認する。
そして更に前日の話(第二話)が、武田家隠し金山に伝わる「花魁淵」の話をアレンジしたフェイクである事も見抜く。

また竜胆丸は天竜神社と「幻の神社」の関係性まで言及。
「幻の神社」の存在を隠したい喜多川が、竜胆丸の目を山の上から下に逸らすためについた嘘と仮定する。
だが……喜多川は「幻の神社」を発見してはいなかった。
合点がいかない竜胆丸だったが、前日、喜多川にと行くなと止められた場所に穴を見つける。
その穴の中には落ち葉、木片、古い懐中電灯、そして白いカケラがあり……それを聞いた喜多川は膝から崩れ落ちる……。

「それはアミール……私の友達だった……」

・第三話

今から25年前の1987年。
当時小学校六年生だった棚橋守彦(塚本善枝)は当時、父親(竹内俊樹)が経営していた鬼板鉱山が綾州村をはじめとする下流の村から公害で訴えられていたため、学校では毎日のように綾州村の児童から酷いいじめに遭っていた。
毎日が地獄のような日々の中で「幻の神社」の探索だけが、彼にとって唯一の楽しみと言って過言では無かった。
そんなある日、一人の転校生がやってきた。綾州村に越してきたその転校生……山中アミール(福津けんぞう)は日本人の父と、インド人の母を持つハーフだった。
最初は綾州村の人間という事で守彦も、アミールを警戒していた。だがアミールが守彦がつけていた「幻の神社」に関するノートを覗き込んだ事がきっかけで「幻の神社」に興味を持つ。
その後、同じ綾州村のいじめっ子を追い払った事から友情が芽生えた。
それから毎日のように「幻の神社」探しに精を出す、守彦とアミール。
日に日に友情も深まり、夏休みの自由研究の題材で「幻の神社」を探し出して発表しようと誓い合った。
だが夏休み直前……父親の口から裁判の結果、鉱山が閉山する事を告げられる……。
守彦少年にとってもショックは大きかった。昔は綾州村とも仲が良かった事を知るだけにそれは余計に辛かった。
だがアミールの一言で守彦は激怒し、アミールと仲違いしたまま夏休みを迎える事となってしまった……。
守彦にとってつまらない夏休みが続いた。それでも何とか「幻の神社」の研究は続けたが、八月の終わり、父親の口から突然今晩引っ越すと告げられる……。
守彦少年はいつか「夜逃げ」する日が来ると覚悟はしていた。しかし仲違いしたままのアミールの事が引っかかったまま……。
だがそこに噂を聞きつけたアミールが現れた。
酷い事を言って突き放した事を謝る守彦。そしてアミールは最後にもう一度だけ「幻の神社」を調べようと提案する。
守彦とアミールは夕闇迫る中、百足鳥居を潜り抜け、山の斜面を駆け上がり、必死になってあたりを捜索した。
しかし必死になるあまり、そこに穴があった事に気付かずアミールは落ちてしまう。
必死にアミールを引き上げようとする守彦。だがアミールは……。



この後……ラストシーンへと繋がっていきます。
「幻の神社」は果たして見つかったのか。
そして……守彦を待っていた結末とは……。

……という事で、これでもかなり端折っているつもりなんですが、あらすじまとめるのが非常に難しいです(笑)
むしろこれあらすじじゃない。概要だ!(爆)
この「おとぎ夜話」シリーズを今後、映像化する場合、訴えられてもおかしくないくらい詳しく書いてます(爆)

でもこの「おとぎ夜話」の魅力を伝えるには、きっとここまで詳細に書かないと、なんのこっちゃになりますから(笑)
それぞれの出演者がどういう役どころだったか理解していただくためにも、ここまで書かないと無理だったと思います(笑)
(特にオムニバスですから、前後の関係は理解して話の説明しないといけない都合上、どうしてもこうなりますね)

とにかく……今回のお話がどんなお話だったか、ご理解はいただけたかと思います。



その上でまず物語全体の所感からお話します。

全体を通して、とても素晴らしい友情物語に仕上がっていました。
前回の「続々・おとぎ夜話 寿」でも男の友情を描いていましたが、今回もそれに負けないくらい素晴らしい出来です。
特に少年時代、何らかの理由で親友だったり、昔馴染みの友達と喧嘩した経験のある人ほど共感出来る内容じゃないでしょうか。
年代的には守彦少年が小学六年生で、それから25年後の現在の話ですから……30代の人ほどストライクゾーンな気がします(笑)

また全体を通しての謎解きも、程よく難しくとてもいい頭の運動にはなりました。
ただ個人的には初回観た時には、謎解きに没頭するあまり、物語全体の感動を全身で受け取る事が出来ませんでした(汗)
解説や単語については非常に分かりやすく解説してくれているので、最後のオチまで納得する事は出来るのですが、謎解きありきで観劇してしまうと物語純粋な感動そっちのけになってしまう可能性があるかもしれません。
※ただしこれは私のような常連ほど陥りやすい錯覚で、恐らく一回しか観劇しない人、始めから複数回観劇するつもりの人にすれば大した問題では無いものと思います。
また蛇や竜が「水神の使い」という知識などは、過去「新・おとぎ夜話」で弁天が取り上げられた際に学んだ事で、常連ファンには「あーそういえば……」的な復習的な要素も多かったと思います。

物語の心暖まるヒューマンドラマ的な部分と、観る者を思慮深く引きこむ謎解きの部分……。
ここのバランスの塩梅こそが「おとぎ夜話」シリーズの魅力だと思います。
相変わらず浅野氏の脚本はこういう部分のバランス感覚には非常に秀でていると思います。
ただ今回、オムニバス・第二話を完全に「フェイク」として謎解きの真相に触れる事が無い話として、いわば切り捨てている点が今までのシリーズと比べると「らしくない」印象もありました。
もっともこの点を突っ込むとすれば、毎公演観に来ている常連くらいでしょうが……。
逆に常連だからこそ分かる小ネタ(竜胆丸の電話口での息遣いは元ネタは「青葉の足音」)があったのは、個人的に嬉しかったですが……。



さてここからは出演者について語りたいと思います。
出演者の皆様、戦々恐々としてください(笑)

[ナビゲーター]

・浅野泰徳
竜胆丸平四郎役。本公演「青葉の足音」「サラマンドラの虹」の他、過去の「おとぎ夜話」シリーズでも登場している名物キャラクター。
もう浅野氏の代名詞みたいな役柄なので、今更役に関する説明とかツッコミとかは不要だと思う。
相変わらずの傍若無人っぷり(笑)にして、謎を解く時の閃いた時のまくしたてる口調、そして独特の間、どれをとっても完璧です。
常連なら安心。そうじゃない方から観ても、ストーリーテラーとしての立ち振る舞いに感心させられたのでは無いでしょうか。

・西村太一
喜多川守彦役。過去にジャンベルでは主役級を数多く演じているが、「おとぎ夜話」シリーズでは初の主役級。
ジャンベルの看板俳優とも言える存在でやはり安定感は抜群だった。
七三メガネという、これまでの彼の役柄からは想像できないビジュアルだったが、全く違和感を感じさせない。
全体通して、喜怒哀楽の起伏が多い役どころではありましたが、見事にそれを表現。看板俳優の面目躍如と言ったところでしょうか。

[第一話]

・大塚大作
主に勇敢な若者役。現代パートでは大伴御幸を演じる。
ジャンベル一熱(苦し)い男は健在!(笑)今回もその熱(苦し)さで会場を興奮と熱気(と爆笑)の渦に包み込んでくれた!
一方で現代パートでの大伴の演技はもう貫禄すら漂う安定感を見せており、竜胆丸同様、常連ファンには安心感を与えてくれた。
今回もまさに「大塚テイスト」満載の演技を魅せてくれた。さすがジャンベルが誇るホットコーナーである。

・野上あつみ
主に蛇どん役。ジャンベルが誇るスーパーアイドル。
コミカルな演技の中にも彼女ならではのかわいらしさが満載で、あつみ嬢ファンならずとも胸がときめいたのではないだろうか。
また細かいところでの蛇の演技も工夫がこなされており、ただかわいらしいだけではなく芸達者な彼女の一面も垣間見えたと思う。
ここのところジャンベルではヒロイン級が続いていたので、今回の役は久々に脇を固める彼女の良さが見えたと思う。

・升田智美
主に百足どん役。通称・マッシュ。今回の公演中にめでたく誕生日を迎えました。
今年初夏本公演「ママ」に引き続きコミカルな役どころを担う事になる。
女性にしては低音のハスキーボイスと、軽快な演技が物語全体のテンポを生み出しており、彼女の力量を感じさせる。
今回の演技でジャンベルにおけるポジションが確立されたと言って過言じゃないですが、昨年の「続々・おとぎ夜話」のようなシリアスな演技もまた観てみたいところです。

[第二話]

・神田英樹
主に次郎役。現代パートでは天竜神社の(マッチョな)宮司も演じる。
ここ一年で人間役が増えているせいか、非常に表情の作り方がうまくなったと思います。特に今回の演技はまさに彼の真骨頂が垣間見える。
第二話がスローモーションのような演技が非常に多かった中で、微妙な表情の変え方がスローモーションなのに迫力があった。
以前から自身が怖い役、もしくは恐怖に直面する役の時の演技は非常にうまい方ですが、更にそれに磨きがかかっていたと思います。

・松宮かんな
主にお梅役。副主宰にして、ジャンベルが誇る最後の切り札「ジョーカー」
松宮かんなここにあり!と言って過言では無い演技を魅せてくれました。
特にお梅を演じている時の純真無垢な少女としての彼女と、語り部として淡々と物語を語る時の彼女との落差には、鳥肌さえ立つ程の凄みを感じました。
さすが看板女優。文句のつけどころが一切ありませんでした。

・本多照長
主に大滝役。ジャンベルの「歩く存在感」。今回の公演の前説も担当。
その温和そうな外見から、人のいいおっちゃんを演じる事が多いですが、今回は「悪本多」モード全開(笑)
普通にニコニコしているのに「子供たちを殺せ」とか、神田氏演じる次郎に向かって「明日だ」と言って圧力をかけるところなど、淡々としているようで何気に凄く怖い。
外見のギャップに騙されていけない典型例ですが、それがサラっと出来るところに彼のベテランとしての力量を感じました。

[第三話]

・塚本善枝
少年時代の守彦役。通称・おこ様。背丈の低さから低年齢層の役を当てられる事が多い。
昨年2月の「悟らずの空」以来の少年役を熱演。久々の少年役だったが、ますます磨きがかかったように思える。
守彦少年を演じている彼女を観ていると、彼女が女性である事を一瞬忘れてしまう。それくらい役にのめりこんでいたし、実際少年になりきっていた。
少年役というジャンルに括れば、恐らくジャンベルの中では今のところ彼女の右に出る者はいない。それくらい少年役としての彼女は完成の域に達していると感じました。

・福津けんぞう
アミール役。本公演から福津屋兼蔵から改名。ジャンベル公演の出演自体が、昨年の「続々・おとぎ夜話 寿」以来である。
今回の役どころも日本人とインド人のハーフだが、彼は純粋な日本人以外の役を演じさせると本当にハマる(笑)
そういう意味では彼自身が彼そのものの存在自体で演技をしているので、彼が演じている事によって後から設定がついてくるような感じすらする。
でも笑わせるところとことん笑わせておいて、泣かせるところは泣かせるからやっぱり上手い。その辺りは浅野氏が一番、彼に求めているところだと思うけどそれをやり切る福津氏がやっぱり凄いと思う。

・竹内俊樹
主に語り部。随所で守彦の父、綾州村のいじめっ子や、担任の先生なども演じる。劇団員になってからは初のギャラリー公演。
竹内氏のオールマイティーぶりが発揮されたと言っていい今回の舞台。
どれもそつなくこなすあたり、彼のポテンシャルの高さが垣間見えるし、また演技の幅の広さを改めて感じました。
今回は便利屋的なポジションでしたが、今後、彼がジャンベルで劇団員としてやっていくには、いいアピールの場になったと思います。



……とまぁ上記のようになります。
正直言うと、皆様の演技については一切文句はありません。
非常に上手かったし、見応えもありましたし、本当に熱演の一つ一つに感動しました。

ただ……演じていた役に対する驚きが無かったのも事実。
これは常連客ならではの目線なのでしょうが、今回の配役からして誰一人として「え!?この配役」というのが見当たりませんでした。
逆に言うと皆様、過去に一度、二度(しかも割りと最近)は同じような役柄を演じています。
だから「うまい!」と思いつつも、ある程度、その上手さに予想がついてしまったので「意外性」の観点で言えば驚きはありませんでした。

そんな中でも松宮さんのお梅と語り部の時のギャップには鳥肌立ちましたし、塚本嬢は本当に少年そのものにしか見えなかったり、研ぎ澄まされた演技の凄みはところどころ感じました。
升田嬢は今回である程度、劇団内での立ち位置にメドが立ったように思えますし、竹内氏はこれから可能性が広がるような演技を見せていたと思います。
また今回のオムニバスのチーム分けは、今までに無いような組み合わせだったので、そういう意味では楽しめました。

ま、今回はそんなところで……。



いつもと比べて辛口な評価でしたが、今回の公演も非常に楽しませていただきました。
9月末の最後の一週間は、神保町に通うのが本当に楽しみだったし、また行けない日も舞台が始まる時間になるとソワソワしたりしていました。

このときめきにも似た感情とも、しばらくお別れになってしまうのですが、またジャングルベル・シアターが素晴らしい舞台を引っ提げて来てくれる事を私は心待ちにしております。

皆様、9日間本当にお疲れ様でした!
そして多くの感動を、本当にありがとうございました!

・ジャングルベル・シアター公式サイト↓
http://www.junglebell.com/