ゴリラからサル化へ人の退化かな

この本「『サル化』する人間社会」は、今から11年前の2014年に出版されました。著者は1952年生まれの京大霊長類研究所などに居られた山極寿一さん。
著者よれば、人間と共通の祖先をもつゴリラは霊長類の中でも生物学的にも遺伝子的にも人間に近く、その社会は今でも平和的で平等な家族社会であるが、サルの社会は優劣が厳然としている序列社会とのこと。人類進化の過程で、人間社会もある時期まではゴリラ社会と類似した平和・平等社会であったが、平和的で平等な人間関係を育み担う家族の崩壊と共にサル化しつつ今日に至っているように思える、と述べられている。
私は著者の「人間社会がサル化しつつある」との指摘に、現代社会における著しい富の偏在と経済格差の拡大、権威主義国家の増大、そして侵略戦争という現実が脳裏に浮かびました。
同時に、この本の最後の章での「人間の基盤にある生物学的な体と心は昔からあまり変化していないので、どこかの時期に自然回帰的な動きがあるであろう」という著者の見方に、私は、「人間社会が将来、再び平和で平等の社会を取り戻す可能性はある」とも思いました。
以下、著書の「はじめ」より抜粋:
・「人間の人間たるゆえんは、『家族』にあると考えています。」
(後の方で、著者は「家族は互いに見返りを求めず、助け合おうとします。・・・身内をえこひいきする集団、親がわが子を、子どもは親を、また夫婦、兄弟も、互いを優先して優遇します」と述べています。)
・「家族の起源は、初期人類が(アフリカの)熱帯雨林を出て、草原で暮らすようになったところまで遡れるのです。」
・「生物学的」、「遺伝子的」に「近いヒト科の仲間である」「ゴジラと向き合う長年の研究を通して、・・・初期の人類の姿が推測されます。」
・「ゴリラには、群れの仲間の中で序列を作らないという特徴があります。喧嘩をしても、誰が勝って誰が負けるという状態にはなりません。じっと見つめ合って和解します。ゴリラの社会には勝ち負けという概念がありません。」
・「多くのサルはゴリラと正反対で、まさに勝ち負けの世界を作り出します。サル社会は厳然たる序列社会で、もっとも力の強いサルを頂点にヒエラルキーを構築しています。弱いものはいつまでも弱く、強いものは常に強い。諍(いさか)いが起きれば、大勢が強いものに加勢して弱いものをやっつけてしまいます。」
・「(現代の人間)社会はどちらの部分も備えている(が)、・・・加速的にサル社会化しているように感じられます。」
「はじめ」以降の章で、著者は次のように述べている;
人類が進化の過程で家族を作り、それを基本単位として社会を構築してきたのは、人間にもゴリラのような平和主義的、平等主義的な側面が備わっていたからだ。しかしながら、コミュニケーションの場であったはずの家族での「共食」の習慣は消え、「個食」にとって代わられつつある。食卓が消えれば、家族は崩壊する。人間性を形づくってきた家族の崩壊は人間性の喪失である。そして、家族が崩壊すれば、家族同士が協力し合う共同体も消滅していかざるを得ない。また、近年はIT革命によってface to faceのコミュニケーション機会が減少し、人間関係の希薄化に拍車をかけている。
自己の利益と効率を最優先するサル社会に近づくということは、家族を失い、孤立する個人になってしまったとたん、人間は上下関係をルールとする社会システムの中に組み込まれやすくなってしまう。
私はこの言葉に触れたとき、現代社会における著しい富の偏在と経済格差の拡大、権威主義国家の増大、侵略戦争という現実が脳裏に浮かびました。そして、人間性の喪失が、まさにこのような現象の根底にあるのではないかとも思いました。
同時に、この本の最後の章での「人間の基盤にある生物学的な体と心は昔からあまり変化していないので、どこかの時期に自然回帰的な動きがあるであろう」という著者の見方に、救われた思いを抱きました。